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三輪眞弘(監修)・岡田暁生(編)『配信芸術論』

2か月前

「TRANSMUSIC 2014」について

「火の鎌鼬」再演を聴いて

「ひとのきえさり」日本初演を聴いて

MIDIアコーディオンによるペルゴレージ「スターバト・マーテル」歌唱の試みについて

「New Tonalism / 新調性主義 ―逆シミュレーション音楽の彼方へ―」について

「万葉集の一節を主題とする変奏曲」再演を聴いて

「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」について

「アルゴリズミック・コンポジションの(不)可能性」についてのメモ

「愛の賛歌 4ビット・ガムラン」東日本初演を聴いて

自己組織化システムとしてのマーラーの交響曲についてのメモ

「三輪眞弘音楽藝術」の題名についてのメモ

NEO都々逸シリーズ「せんだいドドンパ節」初演の感想

「Musica ex Machina ―機械じかけの音楽 記念コンサート 自動ピアノ演奏会」を聴いて

「59049年カウンター」世界初演を聴いて

「中部電力芸術宣言」を読んで

「科学技術終結期」に旧人によって書かれたメモ

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第1章 <二分心>の位置づけ

マーラーの音楽の「自伝的性格」について

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(2)

「三輪眞弘 Golden Nica 受賞記念報告会」に参加して

「舞楽 算命楽」日本初演を聴いて

魔法の鏡・共感覚・盲者の記憶:モリヌークス問題からジッド『田園交響楽』を読む(31)

「Musica ex Machina ―機械じかけの音楽」再訪記(2)

魔法の鏡・共感覚・盲者の記憶:モリヌークス問題からジッド『田園交響楽』を読む(32)

「魔法の鏡」に関する三輪眞弘氏に宛てた応答の断片、または「新しい時代」への応答のための準備作業

「弦楽のための369 B氏へのオマージュ」再演を聴いて

近藤譲を通して見たマーラー

「新しい時代」への応答のための準備作業(2):ワーグナー「パルジファル」についてのメモ

断片VIII 極東の架空の島の…

魔法の鏡・共感覚・盲者の記憶:モリヌークス問題からジッド『田園交響楽』を読む (20)

方法主義のシンギュラリティ、あるいは世界創造のレシピ ―「IAMAS ARTIST FILE #09 〈方法主義芸術〉―規則・解釈・(反)身体」展 レビュー 山本和弘

「新しい時代」への応答のための準備作業(3):再び「言葉の影、またはアレルヤ」について

アドルノ「エピレゴメナ」(『幻想曲風に』所収)に寄せて

音楽を一人きりで聴くこと:マーラーの場合

主観性の擁護について:「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012」公式ガイドブックにおけるマーラーに対する言及を読んで

今更、どうしてマーラーなのか

「ありえたかも知れない民謡」としてのマーラーの歌曲についての覚書

サントリーホール サマーフェスティバル2023 所感まとめ

En-gawa プロジェクト「ひらかれた家」サントリーホール・サマーフェスティバル2023に協力しています。

【掲載情報】作曲家の三輪眞弘さん、音楽学者の岡田暁生さんとの鼎談記事がONTOMOで公開。今年のサントリーホールの「サマーフェスティバル」では三輪さん企画で、出入り自由のガムラン屋台村が出現します。なぜかキング・クリムゾンの話題も。 https://ontomo-mag.com/article/interview/suntory-hall-summer-festival2023/

ジャワガムランアンサンブル マルガサリについて

マルガサリMarga Sari 大井さんにQ&A

《変容の対象》2023年8月第7-8小節目

イェリネク戯曲の言葉について『騒音。〜』稽古場音声日記【小林洋平編】

騒音。稽古場レポートより0121

三輪眞弘「オリンピックに向かう社会」〜『スポーツ劇』(2016)特設サイトより

【対談】三浦基×佐々木敦「演劇のリアリティとアクチュアリティ」(その1)〜『光のない。』(2014)CHITEN✕KAAT特設サイトより

吉岡洋「我らの褒賞は買収されることはない」〜『スポーツ劇』(2016)特設サイトより

グリコの人か、キリストか〜『スポーツ劇』フライヤー