見出し画像

「舞楽 算命楽」日本初演を聴いて

聲明付「舞楽 算命楽」 日独交流150周年<創造する伝統>委嘱作品(日本初演)
雅楽:東京楽所
舞人 <東の舞人> 笠井 聖秀 <西の舞人> 小原 完基
鞨鼓 松井 北斗
太鼓 高多 祥司
鉦鼓 金澤 裕比子
笙 野津 輝男 中村 容子
篳篥 山田 文彦 四條 丞慈
笛 片山 寛美 植原 宏樹
声明:真言宗法響会・天台聲明音律研究会

2011年6月19日:東京オペラシティー コンサートホール


(…)ここでもまた、日付の跨ぎ越しが起きていることに気付かざるを得ない。3月11日という日付の前にドイツで「算命楽」が初演されたという情報を耳にし、 日本初演が6月19日であることを私は知っており、その初演に立ち会うつもりでいたし、その旨を明確に周囲に表明していた。3月11日の後、「算命楽」の 初演を含むコンサートもまた「自粛」の対象になりえただろうし、実際にそのような検討は行われたようだ。勿論、それを「自粛」と呼ぶのは不正確であるにせよ、 聴き手の側である私もまた、そうした問いをすることもありえただろう。否、実際に何度と無く逡巡し、反芻したには違いないのだが、実のところふとした巡り合せで コンサートの日に他のことを優先させるということは常にあり得ることで、必ずしもそうした全てを日付を跨いだことに帰するのは、 それはそれで不正確で不誠実なことだろう。 例えば当日、激しい頭痛に見舞われて音楽を聴くどころではないという理由だってありうるのだ。 途中で聴き続けることを断念し、コンサートホールを後にすることも、また。

あるいは更にまた、プログラムに含まれる「作品そのもの」(だがそれは、どこから始まり、どこで終わるのだろう。とりわけても、雅楽の場合には、、、) とは一見外的に見えるかも知れないことが理由になることも。例えば当日入場の際に受け取った公演の冊子には、もともと予めそうであったはずの 「日独交流150周年<創造する伝統>ドイツ国ツアー凱旋東京公演」という添え書きに加えて「東日本大震災 追悼公演」と明記されている。 これを事前に知っていたら、それはコンサートへの参加にどう作用しただろう。更に第2部の「舞楽法会」と題された上演の最後に 「読経 般若心経 東日本大震災 哀悼をご唱和頂ければ幸いです。」という言葉を、更に冊子に挟み込まれたこれもまた「東日本大震災 慰霊」と添え書きされ、 日付と場所とコンサートのタイトル「雅楽の未来 奇跡の聲明」が記された般若心経を含むコピーを不意打ちされるようにその場で受け取り、 発見するのではなく、そのように予告されていたとしたらどうだろう。

他のコンサートにおける演奏家のキャンセル、それに伴うコンサート自体の中止や演目変更が頻繁に起きる最中で、これらは些細なことかも知れない。 否、文脈に応じてコンサートの意図を調整し、それを聴き手に向かって表明することは、敬意を表すべきこと、賞賛されるべき行為でこそあれ、 批難は勿論のこと、いかなる留保の対象にはなりえないのではないのか。

確かにそうなのだろう。恐らくは。

だが、しかし。にもかかわらず、後ほど、遠回りの後に改めて言及するように、私は留保ををしたいと感じているのだ。それが些事拘泥であるとしても。 例えば私がなぜメシアンを「実演」で聴くことを繰り返し、常に断念し続けてきたか、今後も「録楽」としては聴きながら、 恐らくは「実演」を拒絶し続けるかの理由、 逆に何故三輪さんの音楽に限っては例外的に「実演」で聴くことに拘るのか、それを少なくとも「逆シミュレーション音楽」以降の三輪さんが創作者として 意図していることへの応答という点を擱いたとしても(しかし多分、全く無関係ではないと考えている理由によって)なおそれに拘るのかの理由、更には 色々な事情で回数を絞ることを余儀なくされつつ、私が香川靖嗣さんの能の実演に立会い、三輪さんの作品の実演に立ち会うことを止めない、 否、止められない理由は、結局のところ他の人にとっては些事に過ぎない、つまらない理由によるのではないかと感じているし、それを 偏狭と見做され、その結果としての視界狭窄や展望の一面性を指弾されても仕方ないと思っている。しかし私は例えば批評をするためにそうしているのではなく、 単に生きていくためにそうしている(つまり私は批評をすることで生きているのではない、というように受け取っていただいても構わない)のだから、私としては どうしようもないことなのだ。

「算命楽」そのものではないそうした様々な要因が「算命楽」を取り囲み、文脈を形成する。否、「黄鐘調音取」、「越天楽残楽三返」、「西王楽 破」に 先行され、休憩を挟んで「舞楽法会」に後続されるプログラム構成にしても同様であり、私の場合に限れば、クラシック音楽のコンサート、 現代音楽のコンサートの多くを、そのプログラム構成ゆえ拒否したり、断念したりを繰り返しているのであれば、ここでもそうした可能性が原理的にはあるのだろう。 色々な音楽に接するという「啓蒙的な意図」によるプログラム構成、だがどれが「マージナル」なのか、どれが「目当て」なのかはコンサートホールを訪れる 個々の人それぞれだろう。このコンサートの場合には雅楽の聴き手(その一部は演奏者の知人であったり、演奏者に雅楽を習っていたりするかも知れない)、 声明の聴き手(その一部は演者の知り合いかも知れない)、現代音楽の聴き手(こちらは木戸さんや三輪さんの知人や学生、木戸さんの国立劇場以来の試みの同伴者や 三輪さんの音楽の聴き手であり、私は最後に分類されることになるのだろう)が混在し、だがこうしたケースの常でそれらは多くの場合相互に交わることはない。

そして例えばそういう立ち位置の私の雅楽への接し方は以下のようになる。ガムランに比べれば雅楽については遥かに多くの文脈を私は偶然にして持っていて、 だが実演に接したことは未だない。あるいはまた現代雅楽についての文脈、例えば武満の「秋庭歌一具」は知っているし、細川やシュトックハウゼンの試み (新作雅楽として委嘱された点を除けばほとんど共通性のないこの2つを並列にしたことに何らかの意図や予断を読み取っていただいて構わない、 この2つ以外に言及しないことも含めて)を知っている。西欧における雅楽の受容の一部、例えばラッヘンマンの「マッチ売りの少女」のことや、 メシアンの「七つの俳諧」のこと(やはり共通性が希薄なこの2つを並列にしたことにも何らかの意図や予断を読み取っていただいて構わない、 やはり同様に、この2つ以外に言及しないことを含めて)を知っている、等々。こうしたこともまた、今回の「算命楽」の日本初演に立ち会う背景として 書きとめておくべきだろうか。


「算命楽」は、それでは三輪さんの創作の文脈において、どうなのか。三輪さんの作品の常で(「フォルマント兄弟」の作品ではそうでないことに留意しよう) カバーストーリーを備え、アルゴリズム・コンポジションであり、規則に従って描かれる軌道を持つ力学系であるそれ、だが「音楽」としての実現においては その系列を間違えることなく踏破する訓練を積んだ人間を必要とし、結果的にほぼ「逆シミュレーション音楽」の要件を充たしているそれ、しかもここではある 伝統、ただし「新調性主義」とは異なって非西欧のそれではあるが、伝統の下に高度な技能を備えた演奏者を目がけて書かれたその「作品」は三輪さんの近年の 創作の集大成として捉えることができるだろう。三輪さんには木戸さんの復元楽器を用いた作品が存在し、その多くは木戸さんの企画するコンサート・シリーズの 委嘱作だが、その中には「逆シミュレーション音楽」の傑作、箜篌のための「蝉の法」が含まれる。この作品は西陽子さんという優れた奏者による素晴らしい リアリゼーションにより、西欧音楽の文脈における後の「新調性主義」を予告するような作品だが、箜篌は正倉院に保存されていた古代楽器であり、 恐らくは雅楽にも用いられたらしいことを思えば、三輪さんが雅楽を作曲することには意外感は全くない。

ほぼ類似の構造(ここでいう構造は当然のことながら、結果として生成される音響のそれに限定されず、「音楽」という行為総体のそれのことであるが)を 備えた作品として、例えばガムランのための「愛の賛歌」を思い浮かべる人もいるだろう。いずれも声と身体(舞)と器楽合奏というメディアの複合である点も 共通しているかに見えるかも知れないが、類似はそこ迄だ。まず「愛の讃歌」はカバーストーリーを持たない。(これは決して三輪さんにおける「音楽」にとって 外的ではない。カバーストーリーはデリダ風に言えば「パレルゴン」のようなものなのだ、と言えば端的な説明になるだろうか。)更に言えば、 「愛の賛歌」でいわば「外付け」であったのが舞であったのに対し、ここでは声、即ち声明が「外付け」である点が異なるし、それ以上に規定となる アルゴリズムが雅楽のみならず舞の所作をも規定する点に注意する必要があるだろう。つまりここでは「音」と「所作」の間に支配・従属関係もないし、 どちらかが権利上先行するわけでもなく、同じアルゴリズムの2つの実現なのだ。 一方でそれに対して声明は、歌における「歌詞」に相当する言葉ともども、「算命楽」の外に置かれている。勿論「声明」の入りは時間的に 厳密に制御されているのだが、それでもそれはあくまでも「付加」されているのだ。

西欧音楽の伝統においてはまず「音楽外」と見做され、従って「作品そのもの」の価値を問題にするという自己了解を持つ西欧的な評価の観点からは 敢えて無視されるであろうカバーストーリーは、だが三輪さんの「音楽」の「仮象性」を担保する装置であって、「…という夢をみた」という枠が音楽の儀礼性を 境界付け、無効を宣言しつつ、同時にアウラを保つことを可能にするために必須のものなのだが、「算命楽」においてはそうした「仮象性」は例えば舞人の 持つレインスティックのような棒によっても補強されている。レインスティックを中南米の楽器であると見做せば、舞楽に対しては異質な要素ということになるが、 似た楽器は例えばインドネシア等にもあるようだし、そもそも今でこそ日本の伝統音楽であり、式楽である雅楽も、中国・朝鮮半島や東南アジアから 流入した要素が混淆したハイブリッドな存在であることに思いを致せば、「算命楽」こそ「極東の架空の島」の式楽に相応しいということになるだろう。

レインスティックは雨乞いの、従って豊饒の祈願と結びつくようだが、ここで用いられているアルゴリズムがフィボナッチ数列を用いているのは、フィボナッチ数列が 自然界における様々な事象の時間的発展のパターンの背後に見出すことができることを思えば極めて「自然」なことである。その一方で アルゴリズミック・コンポジションに纏わる、いつ始まり、いつ終わるのかといった問題に対してこれまでも三輪さんは、例えば 「新しい時代 布教放送」において権利上、永遠に続くこと(ただし電力が供給される限り、という制限を三輪さんがつけていたことを思い起こそう。それはまさに 「中部電力芸術宣言」と照応する。ここでは主題的には扱えないが、それは3月11日以後の音楽にとって本質的な問題であるし、それが「儀礼性」や「超越性」の 契機とこのように交差することは恐らく偶然ではないのだということを、大急ぎで付け加えておこう)により問題を消去して解決するような、 単なる技巧に留まらない本質的な対応をしてきているが、今回のケースは上記のフィボナッチ数列をベースとした演算により得られる系列が偶々60段で 1周期をなすことから、その1周期分を作品の持続と定義することで作品を終わらせる合理的で自然な方法を得るとともに、四季の巡りのような円環的な時間を 示唆することによって、作品の数理的な構造に儀礼性を埋め込むことに成功していたと思う。だがこれも、そもそもが雅楽の伝統においては調性と季節が対応し、 一部楽器の移調上の制約を逆手にとって、同じ作品名の下に季節によって異なる旋律を持つ作品が演奏されたりといったことが行われ、 季節が一巡りすれば同じ音楽が、同じ風景が戻ってくるのであって、ここでは作品はいわば円環的な時間の一部分であることを考えれば、完全に異質な発想とは思えない。

(ちなみに「管絃音義」によると黄鐘調は南の方角・赤・夏・火、それに対して例えば盤渉調は北の方角・黒色(紫)・冬・水で あるという。するとここでは三輪さんが「369」の一連の作品で取り上げたシネステジア(共感覚)を話題にすることができるだろう。私は弱いながらも 色と音の共感覚を持っていて、西欧音楽では調性と音の結びつきは比較的明確に感じとれる。黄鐘調の雅楽の響きはどうであったか、それが他の調との コントラストでどうなのかはわからないが、明色系(朱やオレンジに近い)の、温度は高く、でも湿度が低い風の流れが自分の頭の中を吹き抜けるような 印象を覚えたことは記録しておきたい。それはコンサートホールの実際の明るさ、空調により制御され、肌に感じられる温度とは別であり、しかも血のめぐりの ようなものに直接影響する。例えばの話、そうした調子に浸ることで、頭痛がふと和らいだりということすら起きるのだ。更にもう一点付け加えると、 西欧風に言えば「献堂式」にはコンサートホールを焼き払う火を招きよせることを避けてば黄鐘調は避けられ、盤渉調が用いられるいうのを、 これは能楽の囃子の文脈でだが聞いたことがある。(雷の能「賀茂」の替の合狂言、田植えの狂言である「御田」の前に奏でられた盤渉楽の色合いと 温度感の印象を書き留めたことを思い出す。)ここでは逆に、地震と津波による被災を思えば、 季節による選択の結果とはいえ黄鐘調は如何にも相応しい。ところで、原子力災害に対しては、一体どの調性が相応しいのだろうか。 そしてこうしたことどもを背景に三輪さんの「新調性主義」をもう一度考えてみても良いだろう。ちなみに「算命楽」には 鮮明な共感覚を感じることはなかったが、これが作品における数と音の対応のさせ方と関係があるのか、それとも偶然なのかは現在私が持っている情報では 判断できない。しかしながら、それが西欧の伝統のそれであれ、あるいはメシアンのそれのような個人的でありながらシステマティックな拡張であれ、 全く異なる伝統に属する雅楽のそれであれ、こうしたことを話題にできるためには、「音楽」が作曲者の主観的な感情なり感性の表現、「心から心へ」の、 ある「コミュニケーションモデル」のそれではない、形式・システムを備えた一連の「行為遂行」であることが要件となることに注意しよう。)

三輪さんが選択したアルゴリズムがもたらす時間発展の構造は、段のようなユニットが規則に従って変容しながら継起し、円環的に巡回して反復する、 それゆえ始まりもなく終りもない(どこを起点にとってもいい)ものだが、これは西欧(とはいえ古典派以降限定だが)のソナタ形式のように対比するユニットを 建築的に組み上げて弁証法的なプロセスを実現したり、大きなパネルのようなユニットをコントラストに留意しながら併置するような構造とは全く異質であり、 だから芥川作曲賞を受賞した管弦楽曲はラヴェルのそれに目配せしつつ「ボレロ」を僭称したものだったが、ここでは少なくとも巨視的には遥かに違和感無く 雅楽の持つ時間的な構造に馴染むように感じられた。

例えばソナタ形式の音楽がそうであるような別の場所に向かう旅ではなく、線的で終末論的な時間ではなく、何度でも反復されうる円環的な時間の把握の 伝統が、ここではまさに継続が反復であるアルゴリズムによって事後的に再構成されているのである。 恐らくは客席の多くを占めていたであろう、普段から雅楽か声明かのいずれかを聴くことに馴染んでいる方々にとって、そして何より演者にとって「算命楽」が どの程度「変」であったり「不自然」であったりするのかについてはガムランとは異なって雅楽については多少の文脈があるとはいうものの、私自身には 判断することができないが、様々な点で明らかに異質でありながら、あたかも過去、既に伝承が途絶え残ってはいないが、どこかに似たようなヴァリアントが あったかも知れないという感じを与える程度の自然さを私は感じずにはいられなかった。繰り返し演奏されることで「伝統」として定着しうるような「接木」に 成功しているという印象を受けたのである。繰り返しになるが、伝統的な「雅楽」そのものが少なくとも日本においては輸入品であり、「接木」の産物であることを 改めて確認せずにはいられない。

思えば雅楽においては、西欧の音楽なら作品の外にあるチューニングが「音取(ねとり)」として作品の中に取り込まれ (能なら開曲前のお調べがそれにあたるだろうか)、あるいは参入音声(まいりおんじょう)・退出音声(まかでおんじょう)のように、まさに儀礼の枠そのものを 音楽が担うこともあり、作品の境界のあり方がゆらいでいる。こうした「音楽」の「制度」の中に「逆シミュレーション音楽」という「制度」を置き、あるいはその一部を なすカバーストーリーを置いてみれば、三輪さんの試みは、一見したところ全く異質な発想に基づくものに見えながら、実際には見たより遥かに自然なものであり、 寧ろ相違は三輪さんの試みが極めて(現象学的な意味合いで、ただし現象学の対象としてではなく、主体としての意識、但し構成され、それ自体還元の 対象となる「私」ではない、現象学的還元の主体であるところの意識という意味で)意識的、(カント的な意味合いで)批判的に行われているという点に存するのである。


だが、初演に立ち会った総体的な印象ということになれば、私は躊躇なく、能なら「翁」を連想させるような儀礼性を非常に強く感じたことをまず挙げるだろう。 「翁」は能にあらずと言われ、非常に儀礼性が強い。実際に接すればすぐわかるが、それは作品というより豊饒を祈念する儀式に近く、演者に求められるのは 「間違えずに最後までやること」が第一であるようだ。とはいえ優れた演者による「翁」の持つ効果はまさに呪術的と呼ぶに相応しい、どんな能とも異なった独特で 非常に強い身体への働きかけを持つことを私は身をもって経験している。「算命楽」の日本初演に接して、私はこの作品が繰り返して上演されることによって 「翁」と同じような力を備えた作品となる可能性を垣間見たように感じたのである。初演にも関わらず、新作であるにも関わらず、あるいは「前人未踏」の試み であるにも関わらず感じられる「既視感」「既聴感」、一度目でなく既に何度目かの繰り返しである(実際、演者にとってはそうだったのだが)という感じ。或るはまた、 開始と終了にあたり、コンサートホールに相応しく(あるいはそれが雅楽鑑賞の「ルール」なのかも知れないが)拍手が起きたが、拍手は不要であるといった感じ。 (私は原則として能の上演では決して拍手はしない。勿論「翁」で拍手は論外である。)それはこれが端的に「奉納」であるという印象を受けたということなのだろう。 「奉納」を行うというのは、世界認識の構造を抽象化・象徴化して提示する(ただし聴衆に対してではない)こと、「奉納」に立ち会うというのは、そうして提示された 認識の様態を肯定的・同調的に(ホワイトヘッド的な意味合いで)「感受」することであり、そこには一般的な意味での個人の感情表現の介入する余地はない。 「超越性」というのはそうした条件下で可能になるのだ。

近年活発な「フォルマント兄弟」の活動においては、メディアの持つ「幽霊性」を取り扱うことが意図されながら、その実現については私個人としては違和感を 抱き続けてきた。今回、三輪さんの単独作である「算命楽」の演奏に接して感じたのは、「儀礼性」や「超越性」(もっともこの2つを「や」で結ぶことの妥当性に ついては慎重な検討が必要だろうが)が欠如しているが故に「フォルマント兄弟」の作品では「幽霊」が取り扱えないのでは、ということであった。 実は「フレディの墓/インターナショナル」についての感想において私は既にこの点について触れているのだが、それを改めて裏側から確認したようなものである。 あたかも三輪さんの作品が、あるいはその作品を支え、「逆シミュレーション音楽」の定義のようなかたちで定着された「音楽」についての豊饒なパースペクティブが それ自身、「フォルマント兄弟」の作品が今のところ抱えてしまっているかに見える限界を浮かび上がらせ、批判しているような感覚に囚われてしまうのである。

自動音声合成装置は過去ではなく、未来の「復元楽器」のようなもので、その奏法や、それが用いられる伝統は端的に今は存在していないのだ。 にも関わらず、その活動はあまりに安易に(まるで「雅楽」を利用して単純に「現代音楽」を作曲するように)「現在」(と呼ばれる、だが実は時間論的には 「過去化」の結果に過ぎない「存在」)に自閉しているのではなかろうか。それは「幽霊」を予め厄払いしているから、心霊写真や聖骸布のようなものとの 比較が可能になるのではないか。これもまた既に述べたことだが、幽霊を怪談に回収するプロセスを「お化け屋敷」によってなぞってしまうことで 「幽霊性」の括弧入れを(意図せずしてか、確信犯的にか)強化してしまっているのではないか。

あるいはまた、例えば呪文のような「翁」の詞を聴き取り、「意味」を理解しようとするだろうか。音声記号を表示したり、歌詞を表示したりして 「意味が判別できる音声合成」たろうとすることはどうなのか。人工音声合成技術に基づく模倣により「事後性」を仮構することに汲々とするのではなく、 せめて「音楽」の持つ「行為遂行性」について留意すべきではないのか(「Neo 都々逸」の成功の理由の少なくとも一つは恐らくそこにあるのだ)という疑問も浮かぶ。 例えば「翁」の謡の人工的な実現はより容易なのか。私は以前、「フレディーの墓」に関して「音」と「音楽」との間を問題にしたが、更に加えて「意味」と 「音」と「音楽」との間を問題にすべきなのだろう。だがこうした問題もまた、こうしたコンサートの感想とは別に、きちんと扱わねばなるまい。

勿論ここでは「幽霊」の意味が違う、そこでは「事後性」による仮構が問題なのだという反論がすぐに起きるだろうが、本当に「意味が違う」のだろうか。 それが単なるフェイク、出来の悪い贋作以上のものであるためには、「事後性」の仮構のみでは不十分では、あるいはもっと言えば、「音楽」において 「事後性」の仮構が成功するには、単なる「コピー」とは異なった何かが必要なのではないのか。フォルマント兄弟のうち一人は公的な助成プロジェクトにおいて、 自ら「音楽家兼メディアアーティスト兼メディア理論研究者」と規定しているわけだから、せめて、通りがかりの半可通のソフトウェア技術者にこうした疑問を 抱かせない程度の「理論」を提示して頂きたいものである。勿論、今が3月11日という日付を過ぎ越した後であることを踏まえて。


かくしてこの問題はもう一度最初の問題に、3月11日以降の問題に戻って行く。最初にこのコンサートの枠付けについて、冊子に追記がなされ、 あるいは作品の一部に改変が行なわれたことについて触れたが、実は三輪さんの作品について言えば、3月11日以後、追悼や慰霊を目的とし、 意図された追加や改変がなされているようには感じられなかった。それは最初に演奏された管弦、即ち「黄鐘調音取」「越天楽残楽三返」「西王楽 破」 についても言えることかも知れないが、震災から程なくして拝見した能「朝長」がそうであったように、ここでは表面的には何も変えずに同じことを繰り返すこと (ちなみにここでの「同じ」は、季節によって調子を「変える」という雅楽のしきたりに従うことも含んでいる)が「追悼」や「慰霊」となりうる、 ということを感じずにはいられなかった。

勿論このことはどんな作品にでも無条件に生じるわけではない。ここでは寧ろアドルノがかつて「アウシュビッツの後で詩作は可能か」と 問いをたてたこと、それに対してパウル・ツェランが実際の詩作自体によってそれが可能であることを示したことを想起しつつ、「3月11日の後で」は と問うべきなのかも知れない。震災後に音楽が必要かといった類の問いは、音楽が「儀礼性」を喪い、「超越」への契機を持たずに「娯楽」として 「消費」されているといった了解を前提としているということはないだろうか。創作と演奏と聴取の分離に抗すべく、集団作曲や集団演奏、 聴衆の参加を求める試みも数多く為されてきたが、聴取はそうまでしなくてはならないほど頽落し、毀損されてしまっているのだろうか。 そこには音楽についてのある予断が、例えばそれをメッセージの伝達としてのコミュニケーション過程に類比させて了解することにより、音楽を 矮小化した理解の中に閉じ込めるような暴力が働いているのではなかろうか。そうした予断の下、「音楽=メッセージ」の「内容」について議論され、 「意味」を外から付けなくてはならないかのような強迫が生じているかのようだ。まるで「音楽」の外に、更に祈りがなければ音楽が正当性を 喪ってしまうかのような強迫が。聴衆に参加を強制し、自分が用意したフレーム、それ自体が様々な文化的・宗教的・政治的コンテキストを孕んだ 儀礼にコンサートを予告もなしに変容させ、あるいは聴衆を「作品」に取り込み、服従させる暴力を行使しなければ、慰霊も追悼も不可能であるかの如き強迫が。 そのようにして「作品」の上演を正当化しなくてはいけないのか。それが「3月11日の後」に対する唯一可能な応答なのだろうか。それならばいっそのこと 「コンサート」でなく、端的に「慰霊式」「追悼式」と何故しないのか。コンサートホールでの「凱旋公演」に立ち会うべく、コンサートホールに入場するための チケットの費用は一体何のために用いられたのか。これもまた一種の「エシカル消費」というわけか。

こうしたことに今、ここできちんとした検討を加え、結論を出すだけの時間的余裕も能力も私にはないことを認めざるを得ない。そのかわりに一言だけ、 誤解のないように念のため書いておくが、私は「追悼」「慰霊」という意図に疑問を呈しているわけでもないし、コンサートの場において企画側、 作曲者、演奏者がそうした意図を表明し、聴き手に呼びかけること自体を拒絶しているわけではない。些か乱暴な言い方を敢えてすれば (そうでないとうまく伝わらないことがままあるので)、善意を、良心を感じないわけではないのだし、そもそも私は「3月11日」のことを考えつつ、 このコンサートが「追悼」「慰霊」たりうるだろう「からこそ」、会場に 足を運ぶ判断をしたと言っても過言ではないのだ。少なからぬコンサートにおいて「追悼」「慰霊」のためにプログラム変更が行なわれ、そのための曲が演奏されて いることは頻繁に耳にするが、そうした態度表明同様、企画者や木戸さんの意図は紛うべくもなく、率直に、ここでもそうした態度表明が為されたことに 敬意を表したいと思う。

だがその一方で、だからといってそうした点に一見何も触れなかった三輪さんが、三輪さんの作品がその点においてより劣るという判断をする人がもしいれば、 そうした判断に対して断固として異議を申し立てるだろう。「算命楽」が例えばドイツでどのように評価され、あるいはこのコンサートを経て日本でどのように 評価されているか詳らかにしないが(調べようと思えばできるのだろうが、率直に言えば私には今、それをするだけの時間がない)、私は「算命楽」が 再演され、定着することを強く願わずにはいられない非常に優れた作品であると感じたし、三輪さんのこれまでの作品の中でも際立った鮮烈さを感じる 作品であると思っている。勿論、3月11日以降の文脈で、否、寧ろ、そこでこそ、なお一層。「算命楽」の初演に立ち会うことができたことは、能「朝長」の 上演に立ち会うことが出来たことと並んで、私にとってはかけがえのない経験であった。

もう一つだけ目配せをするならば、三輪さんが「中部電力芸術宣言」を3月13日に公表したこと、このコンサートに先立つ6月16日の東京藝術大学における特別講義に おける三輪さんの発言(これについては別に感想をまとめる予定なので、ここでは詳述を控える。講義の記録はストリーミングで視聴可能なので、直接参照されたい。)、 そして三輪さんには「言葉の影、またはアレルヤ」のような作品があるということを指摘しておきたい。一見したところ三輪さんの作品系列のなかでは、ここでの 文脈に対して接点が少ないと思われるかもしれないし、実際、3月11日より前に書かれた「算命楽」と関連づけようと意図しているわけでもない。 そうではなくて決定的な「出来事」の後で「音楽」が可能か、それはどのようなものでありうるかについての問いかけの記録として、上述のパウル・ツェランの 詩作に相当するものとして、思い浮かんだが故、ここで言及することにしたのである。

ともあれ少なくとも今、この場で私にできることは感じたことをそのまま書き残すことでしかない。私は音楽家でもなければ美学者でもないし、 メディア論研究者でも音楽評論家でもない。美一般、現代音楽一般、メディアアート一般、雅楽一般などについては私の能くするところではないし、 そのことについてどうしようとも思わない。仮に何かを思ったところで時間や能力の制約から、どうすることもできないのはわかりきっている。 私は私なりのやり方でコミットメントをしていくしかないし、間接的ではあるけれど、チケットを購入してコンサートに赴くのみならず、こうした感想を書き付けて 公開するのみならず、もっと別の仕方、私が自分にできる範囲で最善と考える仕方でこのコンサートを囲繞する状況にコミットメントをしたことを申し添えておきたい。


欄外に。大急ぎで。時間の制約を受けて。

1.もう一度「電力芸術」について。「算命楽」が「電力芸術」なのは、一つには「逆シミュレーション音楽」と同様、創作のプロセスでコンピュータが用いられたということもあるし、 もう一つには、Webでも確認できる3Dアニメーション画像によって振り付けが行われ、舞人に伝達されたということもある。記譜法のシステムや 型付けの伝承のシステムは「音楽」や「舞」の継承の単なる補助ではない。それらが作品がどのように伝承されるかを決めてしまうし、 伝承が途絶えた際にはそれらのシステムが取り扱いうる要素を手がかりに復元するしかなく、事実上、復元されたものを規定してしまう。更に、コンサートという イベントが事実上、電力なしに維持できないことは否定すべくもない。それ自体は電力とは無縁のもので、少なくともかつてはあった筈の雅楽もまた、 現代においてはその拠点を電力を莫大に消費するコンサートホールに置かざるを得ない。勿論そうしたことを批難する意図は全くない。そうではなくて、 一見したところ電力とは無縁に見える伝統もまた、電力にどうしようもなく依存した生活の一部なのだということを再度確認すべきだと感じているに過ぎない。 そうであってみれば寧ろ、「中部電力芸術宣言」こそ「慰霊」に、「追悼」のためのパンフレットに相応しかったのではないかと私には思えてならないのだ。

2.もう一つの「事後性」について。こうして私は1週間遅れて、ようやく演奏に接した感想を文章に定着させようとしている。勿論、私の場合、遅れの原因は準備でも 熟成でもなく、単なる中断、延期だ。ところで1週間後には既に印象の想起でしかあり得ない。(だが厳密には、聴いた直後ですらそう言わざるを 得ないのだろうが。)ところで想起とは再構成に過ぎず、再構成とは事後性に基づく構成に過ぎない。勿論この場合には時間的にも権利的にも 先行する原体験があるように私自身には見える。だがそれは何時始まり、何時終わったのか、ある一定の時間、コンサートホールの座席に座り音楽を聴いているその 間は権利上、稠密にそうであると言い得るのか。それが消費なら、消費は何時終わるのか。それが慰霊なら、慰霊は何時終わるのか。「3月11日以降」が いつ終わるというのだろうか。コンサートホールを出れば「追悼」はおしまいなのか。否、否。そんなことはあり得ない。それは続いている。それは終わらないだろう。 (…)

(2011.6.26未定稿のまま公開、30加筆, 7.4誤記修正・加筆, 2024.7.1 noteにて公開)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?