断片VIII 極東の架空の島の…
ヴァーチャル巡礼ということを考え、透谷に関してはそれを リアルな巡礼と重ね合わせるということを思いついて実際にやってみて、 三輪さんの作品については、こうした具体的な 場所がどうした、ということをそもそも思いつかない ことにふと思い当たりました。
例えば過去の異郷の作曲家の場合はどうでしょうか? ここではヴァーチャルな巡礼は、リアルには訪れることのできない 異郷の地の訪問の代補として機能します。けれどもそもそも、 その作曲家の音楽はいわゆる「絶対音楽」であり、 別にある場所にちなんだ「標題音楽」を書いたわけ じゃないとしたら、そんな巡礼に取り立てて意味はないと言うべき ではないでしょうか?にも関わらず、そう言い切ることもできないとしたら、 こちらはこちらで何があるのだろう、と思います。 時空の隔たりがあることが前提になっているから それを埋めたいのか?
では透谷は?ここでは場所は重なっていて、けれど時間が ずれているからこそ、リアルな移動を伴う「巡礼」が成り立つという 構造があるのは確かです。だけれども、それがどうしたというのか? 透谷がそうした具体的な場所と結びついた文章を 幾つか書いているからなのか?では、実際には透谷の 本領があるはずの、ヴァーチャルな世界はどういう 関係を持っているのか?逆に同郷人で、活動の空間の 重複が大きいことが、展望の妨げになることはないのか?
三輪さんの作品に例えば国立やドイツの幾つかの場所や 岐阜や大垣の土地が映り込んでいるというふうに、 考えてみようともしないことはこちらはこちらでどうなのか?
それは極東の架空の島の音楽だから?
リアルな極東の島国、地震と津波と原発災害の記憶に もしかしたら1000年というスパンで向き合わなくては ならない場所、三輪さんと私が住んでいる場所は、 もちろん無関係ではないけれど、でも三輪さんの音楽と 結びつく特定のどこかの場所を同定しようとすると、 それは具体的な地名と具体的な日付を持つどこかではなく、 ヴァーチャルな、カバーストーリーの中の場所と時にしか 座標を持たないような、そんな感じがしています。
カバーストーリーの中の場所と時を架空の年表と 地図にまとめたら、極東の架空の島の年代記が できるのでしょうか? でもその中に三輪さん自身がいるのか? いるのはたとえばギヤック族の民族主義の作曲家で あって三輪さんではないのではないか?
例えば「ひとのきえさり」を聴いて、まぎれもなく感じる 「日本的なもの」と、とりあえず言う他ないものの 本当の場所はどこなのか?
もっともそれは三輪さんの作品を受け取る側が 必要とするフレームにすぎなくて、三輪さんご自身は また別なのかも知れない、とも思うのですが。
作曲家が、聴き手がいる場所というのは、1世紀前、 いや半世紀前、四半世紀前の武満とかの世代とすら、 もう違ってしまっているんじゃないか、もしかしたら、 自分が子供の頃は必ずしもそうではなかったけれど、 いつの間にか、違った世界に踏み込んでしまっている のではないか?リアルな空間移動の方の意味が浸食を 受けて変容しているのではないか、というようなことを 感じています。
そうしたことを私は空間そのものを扱う作家ではなく、 音楽家や詩人・思想家を通じて感じ取るのですが、 それは空間がそこでは表立って扱われておらず、 いわば隠れたパラメータになっているからだろうとは 思います。隠れているからこそ感じ取れる、、、
一方で、別のレベルで作品に密接に結びつく、 もっと直接的な場所の記憶というのは勿論あります。 それは、あまりに自明のことなので、暗黙のうちに 前提としてしまい、その事実を忘却してしまいがちなのですが、 同時代に同じ場所に生きた人間の特権として、私は三輪さんの 作品の初演に立ち会う機会を何度と無く持っています。 ある時にはコンサートホールで、ある時には美術館で、 あるいは公共の文化施設でと、様々な場所の、作品にとっては (それが仮に初演でなく、再演であったとしてもなお、或いは 寧ろより一層、というのも初演されて再演の機会のない作品は、 初演の機会に恵まれない作品と同様に数多あるでしょうから) 特権的な時点に関連付けられた記憶があるのです。
そうした場所の記憶は、本来は三輪さんの作品の内包とは 独立の外的な事実、必然的ではなく、様々な状況のもたらす 偶然により作品の上演と結びついたものですが、それでも ある作品がある時、ある場所で演奏されたということそのものは、 その作品自身の記憶でもあるはずです。と当時に、それはその演奏に 立ち会った三輪さんの記憶でもあり、またその現場に遭遇した私の 記憶でもある。作品の上演を、作品「自体」に対して副次的な ものと捉えるのは、作品を演奏と享受も含めたプロセスの全体であり、 そうしたプロセスの反復の歴史全体であるという考え方からすれば、 奇妙な転倒という他ありません。
三輪さんの作品は、特に自己の構造に対して反省的で意識的である 「逆シミュレーション音楽」において明確な様に、上演の手順書という 性格付けが強調されています。実現されるべき音響を示すやり方は その方法の一つに過ぎず、寧ろ音響を実現する手順や方法を記すこと、 音響を随伴する行為を指示する側面が際立っています。そこから 読み取れることは、実は音響を記譜した場合であっても、それは 実現されるものの一部を示しただけであり、具体的で、都度異なって 一回性のものであるという意味でアナログ的な都度の上演を デジタル化して、反復すること、つまり別の時空に複製することを 可能にしたものであるということです。
それは作品が初演された時点と場所から遠く隔たって、 例えば1世紀の後に、別の場所で実現することもありえるでしょうが、 恐らくはその時には、今、1世紀前の異郷の音楽を聴くのと同じような 感覚に捉われるのでしょう。作品が誕生した時空に近すぎる私には、 その作品が、やはり特定の場所と時点に結びついていることに対して、 その同じ特定の場所と時点に私もまた結びついているが故に 気付かないだけなのかも知れません。想起としての「巡礼」が成立する ために必要な、隔たりが、忘却が、今、ここにはないのでしょう。
一方で、「巡礼」が可能になるためには、それが想起する出来事が、 今、ここに複製される必要がありますが、そのためには様々な制約条件が 存在しえます。作品の裡にデジタル化された指示を読み取って、 必要とされる媒体を用意して、手順の通りに実行しなくてはならない。 それが媒体に強く依存していれば、媒体自体が喪われているが故に、 再現不可能な場合もありえるでしょう。あるいは手順が、既に意味を 為さなくなっているような場合もありえるでしょう。そうした条件を超えて、 ともかくもそうした複製が可能であるということは、作品が別の時点に おいて、とにもかくにも適応することができたことを意味します。
カバーストーリーは、それ自体、作品が成立するために必要とされる 環境をある仕方で記述したレシピの如きものであると考えることは できないでしょうか?今、ここで三輪さんの作品を聴く人間にとって、 受け取り方によっては音響に付加された余分なものに感じられるかも 知れない「極東の架空の島」の年代記が、そうした異なる時空へ作品が 移植されるための「通路」の如き役割を果たすのではないでしょうか? やはりそれもまた作品の不可分の一部として、具体的な場所と時点を 持った現実的な出来事を記憶し、複製可能なものとするための デジタル化による抽象を経た結果であり、その中には構造が保存されて いるのではないでしょうか?
(2018.8.10公開, 2024.7.28 noteにて公開)
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