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日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(2)

2.

「狭き門」における音楽の役割に留意しておこう。リュシル・ビュコランの弾くショパンのマズルカ。

Le soir, après dîner, Lucile Bucolin ne s’approchait pas à notre table de famille, mais, assise au piano, jouait avec complaisance de lentes mazurkas de Chopin ; parfois rompant la mesure, elle s’immobilisait sur un accord…

ブルジョワの子女に相応しく、ピアノを弾く習慣はリュシルからアリサとジュリエットの姉妹にも引き継がれる。以下でピアノを弾いているのはジュリエットだ。

– À présent, laisse-moi. Ce n’est pas pour causer avec moi que tu es venu. Nous sommes depuis bien trop longtemps ensemble.
Elle s’enfuit en courant vers la maison et un instant après je l’entendis au piano.
Quand je rentrai dans le salon, elle causait, sans s’arrêter de jouer, mais indolemment à présent et comme improvisant au hasard, avec Abel qui était venu la rejoindre. Je les laissai. J’errai assez longtemps dans le jardin à la recherche d’Alissa.

ついでクリスマスの場面、ジュリエットがテシエールとの婚約をする場面でプランティエの伯母とジュリエットが話をしている場面で、家具調度の 一つとしてピアノが描写される。

Les portes du salon et de l’antichambre étaient ouvertes ; j’aperçus, dans le salon maintenant désert, mal dissimulée derrière le piano, ma tante, qui parlait avec Juliette.

引き続き、ジュリエットに関する記述。今度はジュリエットがエドゥアール・テシエールと婚約した後、彼の趣味に合わせて、読書とピアノを 止めてしまったことを告げるアリサの手紙の一節。まずジュリエットが夫に合わせて音楽を放棄することが告げられる。アリサはそれを悲しんでいる。

Juliette paraît très heureuse. Je m’attristais d’abord de la voir renoncer au piano et à la lecture ; mais Édouard Teissières n’aime pas la musique et n’a pas grand goût pour les livres ;

だが、アリサ自身、理由は異なるのだが、ジェロームとの再会に合わせるように、修理を口実にピアノを片付けてしまう。ジェロームはピアノがなくなったことに驚くが、実はそれは 読書も含めた、ジェロームとの精神的な圏から身を引き離すことによる自己否定の最初の徴候である。ここでアリサの父もまた、自らは弾かないまでもアリサの弾くピアノを 聴いていたこともまた記される。娘の心の動きに対する(ジェロームと同様の、というべきだろうか?)父の察しの悪さの証言として。そしてアリサの行動が、ジェロームの意に反するだけでなく、 ジェロームとの結婚を当然のことのように思っている父親の意にも反するものであることもまた、告げられているのだ。

Le soir, entrant dans le salon, je m’étonnai de ne plus retrouver le piano à sa place accoutumée ; à mon exclamation désappointée.
– Le piano est à regarnir, mon ami, répondit Alissa, et de sa voix la plus tranquille.
– Je te l’ai pourtant répété, mon enfant, dit mon oncle sur un ton de reproche presque sévère : puisqu’il t’avait suffi jusqu’à présent, tu aurais pu attendre le départ de Jérôme pour l’expédier ; ta hâte nous prive d’un grand plaisir…
– Mais, père, dit-elle en se détournant pour rougir, je t’assure que, ces derniers temps, il était devenu si creux que Jérôme lui-même n’aurait pu rien en tirer.
– Quand tu en jouais, reprit mon oncle, il ne paraissait pas si mauvais. :

最後はアリサの日記で、ピアノを弾くこと、というより練習することがアリサにとってどういう意味合いを持つものであったのかが記され、ついでにそれが 外国語の書物を読むこととパラレルであったことが告げられる。アリサのプロテスタント的な完全への志向、絶えざる向上心といった性向の証言ともなっている。

J’aimais l’étude du piano parce qu’il me semblait que je pouvais y progresser un peu chaque jour. C’est peut-être aussi le secret du plaisir que je prends à lire un livre en langue étrangère : non certes que je préfère quelque langue que ce soit à la nôtre ou que ceux de nos écrivains que j’admire me paraissent le céder en rien aux étrangers – mais la légère difficulté dans la poursuite du sens et de l’émotion, l’inconsciente fierté peut-être de la vaincre et de la vaincre toujours mieux, ajoute au plaisir de l’esprit je ne sais quel contentement de l’âme, dont il me semble que je ne puis me passer.

「狭き門」において音楽がほぼピアノという楽器によって象徴されているのは、社会学的な視点からそれなりに分析が可能であろう。だがここで、音楽が彼女にとって、 放棄の対象となっていることに注目すべきだろう。プロテスタントではカルヴィニズムでの礼拝における音楽の排除というのはあったが、アリサがジェロームと共有していた 精神的な空間においては、音楽は寧ろ必要欠くべからざるもの、価値あるものと認識されていたようだ。

ショパンはリュシルの側に振り当てられ、ジュリエットはテシエールの趣味に合わせて音楽を放棄し、アリサも最終的にはピアノを拒絶する。 最後には音楽のかわりに沈黙が、寂静が支配するだろうか?音楽の拒否ではなく、音楽上のジャンセニズム、静寂主義を考えることが できるだろうか?他方で、ジャンケレヴィッチのように沈黙に向かう音楽というのを考える可能性も存在するかも知れない。ただし、具体的な 作品としては、ジャンケレヴィッチの圏にはほとんど接点を見出しえないだろう。寧ろ、ジャンケレヴィッチが追求した存在論的な領域、 「何だかわからないもの」「ほとんど無」を、デリダの幽霊についての思考、「憑依論」、今は亡き「灰」についての思考に引き寄せるとき、 アリサの日記の存在領域を画定することが可能なのではないだろうか。デリダに関連しては、その「郵便効果」に関する思考に対して、 「狭き門」が手紙という形式をその構造上の一つの核に据えている点に接点を見出すこともできるだろう。総じて、「散種論」から「幽霊論」 へのデリダの思考の推移の過程を通じて「狭き門」を読むことができるように思われる。

具体的な音楽としては、例えば、時代は異なるが、アルヴォ・ペルトのような音楽 がアリサには相応しいのかも知れない。ブレンターノの詩につけた「何年も前のことだった」のことを思いうかべてもいいだろう。あるいは ピアノ曲としては、「アリーナのために」のような作品を思いうかべてもいいだろう。ベンヤミンが見抜いた「エデンの園」に相応しい音楽という意味でも、 沈黙と語りの(もしかしたら欺瞞をそこに認めうるかも知れない)弁証法を見出しうるという意味でも、ペルトの音楽は、「狭き門」という作品に 相応しい質を備えているように感じられる。 狭義では宗教的なものであるか、典礼的な意味合いでの祈祷の音楽であるかは問題にならない。寧ろペルトが選び取った貧しさ (ティンティナブリ)による祈りの形をした音楽の産出(それは本当に無名性を目指しているだろうかと疑問を呈する人がいても不思議はない。)よりも、 日記で「うまく書けた」と感じた部分を破棄するアリサのパスカルの雄弁に対する拒絶の方が、ペルトが会ったというあの修道僧の言葉 (「祈りの言葉は用意されているのだから、新たに作る必要などない」)に忠実ではなかったかと思えるのだ。 だが、もしそうであるとするならば、一見すると表面的な雰囲気こそペルトの方がより相応しく見えながら、実は、三輪眞弘のモノローグ・オペラ 「新しい時代」が提起する問題圏の方が、一層アリサには相応しく、「新しい時代」の少年こそが21世紀のアリサであり、彼の参入する儀式こそ、 アリサが辿った過程の純化・抽象化なのかも知れない。その危うさも含めて。

もう一人、ジッドのほぼ同時代で生活環境等にも共通点があり、かつ、フランシス・ジャム(ちなみに彼はアリサを評価する立場に立って「狭き門」を絶賛する 評を書いている)が友人であるという点で共通点のあった作曲家、アンリ・デュパルクを思いうかべることができるかも知れない。デュパルクは数百曲あったとも 言われる歌曲の大半を回心の経験とともに破棄し、わずかに遺すことを認めた十数曲の歌曲(それはまた、「狭き門」の物語の少なくとも前半部分の雰囲気には 相応しく、プリュドム、ルコント・ド・リールといった高踏派の詩人やボードレールの詩に付曲したものである)をもってフランス音楽の中に確固たる地位を占めているが、 そうした彼の生の軌跡をアリサのそれを重ね合わせ、かつ上述のペルトについても触れつつ、私はかつて以下の様な文章を記したことがある。

残された作品を見る限り、ジャムの回心前の詩篇「暁の鐘から夕べの鐘まで」に比べてもなお、デュパルクの作品は、あまりに時代の空気に敏感すぎたのであろう。己が曲を付けた詩の価値自体について否定することはなかったけれども、意に満たなかった多くの歌曲とともに、ロマン主義の時代に繰り返し取り上げられた、「無心さ」ゆえに人を破滅させる「オンディーヌ」の物語(プーシキンには「ルサルカ」に取材した作品は2つある。1つは1819年作の詩で、これは修行僧が水の精に会って破滅する、より民話的な内容のもの、もう一つは1828年頃着手されたが未完に終わり、没後1932年に出版された劇詩であり、これは自分を裏切った王子への復讐が主題の物語である。デュパルクは自分で台本を書いたようで、その内容は音楽同様破棄されたため正確に知ることはできないようだが、いずれにせよ後者に基づいていることは確からしい。)に取材したオペラを破棄せずにはいられなかったデュパルクの心情について、私は否定的にコメントすることなどできない。 数学者をやめて「パンセ」を書いたパスカルの回心同様、デュパルクの後半生の宗教的な隠遁を「不毛」とか「損失」と評価する声も理解できないではないにせよ。勿論、こと音楽の創作という観点から見た場合にはそれは評価というよりは事実なのだろうし、更に言えば、デュパルクの自作破棄がもっと徹底したもので、永らく破棄されたと思われてきた1870年出版の初期作(5つの歌曲)のうちの3曲のみならず、「旅へのいざない」も「前生」も「フィデレ」も遺さなかったとしたら、と考えたら(しかもそうした想定は決して極端なものではないだろう)、確かにそうした評価にも一定の価値は認めざるを得ないかも知れないとは思う。ミームというのも結局は存続したもの勝ちなのだ。デュパルクが作品を一つも残さなかったらジャムの件の詩は書かれただろうか。更に(ジャムはそういう人ではなかったが)ジャムが宗教的信念に基づき回心後の詩作を絶つようなことがあれば、私はデュパルクその人を知りえただろうか。(レムの「ビット文学の歴史」に情報量の観点から神秘主義者の著作を分析し、神の沈黙を証明するという(コンピュータ「が実施主体」の)プロジェクトがあったが、ここでは話はもっと極端なのだ。そもそも分析する著作すらないのだから。一方でデュパルクのことを考えていて、ふとアルヴォ・ペルトが修道僧に会った時のエピソードを想い出した。ペルトは祈りのために音楽を書いていると言ったのに対し、修道僧は、祈りのことばはもう用意されているから新たに何も付け加えることはない、と言ったらしい。だがペルトは作品を書くことを止めなかった。私はその話を読んだときにペルトの態度の方を不可解に感じたのだった。そう、デュパルクの態度の方が遥かに一貫していないだろうか?もっとも、あえてそうしたエピソードを明かしたからにはペルトは多分答えを持っているのだろうが。だが、私思うに件の修道僧はそのペルトの答えを決して認めないだろう。もう一つ。ジッドの「狭き門」で、アリサがパスカルを批判する件がある。数学者をやめたことを惜しむどころか、「パンセ」を遺したことすら問いに付されうる、というわけだ。「私は年をとってしまった」というアリサのジェロームへの言葉の意味は、要するに相転移の臨界のこちら側に来てしまった、という意味なのではないか。「ルサルカ」を破棄したデュパルクと同じ側にいる、ということなのではないか。)

だが、そうした仮定を積み重ねることにさほど意味があるとは思えない。結局そうしたぎりぎりの均衡のところでデュパルクの作品は残った。否、より正確には後半生の「不毛な」デュパルクも全ての作品を破棄しようとしたわけではなく、ある作品は遺したのだ。1911年出版の13曲の歌曲はそうした作品たちだろう。そして何よりも大切でかけがえのないことに思えるのは、遺された作品のうち少なくとも幾つかは、そうした臨界的な状況に見合った実質を備えているように感じられることだ。状況のアウラというのがあるかも知れないとは思う。だが多分、そういうことを知らずに聴いても、そうした作品の持つ不思議な輝きの持つ例外性は感じ取れるのではないかとも思う。一見時代の好尚に合った「流行の」作品に見えて、実際にはそれらの作品は、それぞれが「行き止まり」なのだ。それがペルトの言う「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えたということなのかどうかについては、デュパルクの場合には慎重であるべきかもしれない。少なくともデュパルクの作品は、祈りの音楽ではないし、書かれた時にはペルトが考えていたような問題を意識していたわけではない。だが、だからこそ、逆説的に、もし「エデンの園」の音楽というのがあるのだとしたら、それに相応しい無邪気さがあるのだとしたら、それは寧ろデュパルクの場合こそ相応しいのではないかという気がしてならない。それを求めていたわけではないが故に、この音楽の裡には自己放棄と自己実現の弁証法のようなものはない。そうした弁証法を技法の次元であれ、創作の契機の次元であれ、音楽自体の素材として取り扱うという危険からこの音楽は偶然にも(奇跡的に、というべきだろうか)自由なのだ。あるのは一方通行の自己放棄だけだし、それは徹底して音楽の外(つまり音楽そのものの破棄)にしかない。(勿論、無意識にそうした自己放棄を手探りしていた痕跡が、その音楽に無いとは言えないだろう。もしかしたら、その音楽の持つ不思議な輝きこそ、その反映であると言うことが出来るかもしれないのだ。臨界的な状況は、時代の趣味に規定される素材としての詩の、あるいは作曲技法の選択を超えて、その音楽に痕跡を遺しているのだと思う。)いずれにしてもヴァルザーがブレンターノを主人公にして書いた散文にあらわれるあの薄暗い大きな門前に相応しい音楽があるとすれば、それはデュパルクの作品なのではないだろうか。その向こう側には沈黙が広がる、相転移の地点のほんの手前の音楽、それがデュパルクの作品なのだと私には思えてならない。

そうした「エデンの園」の音楽を、より身近なところで見出そうとするならば、再び三輪眞弘の「新しい時代」の系列の一連の作品(ここでは 「言葉の影、またはアレルヤ」もそこに含めることにする)を考えてみるべきだろう。

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