「夫婦別姓問題」が喧しいです🙂↕️ 特に、アッチ系のメディアやネットのインフルエンサーたちは強烈に夫婦別姓を推してます😰 しかし、私としては、他人様のことを「頭が悪い」とか「古い」とか言ったり、「権利を主張して義務を無視」する傾向の人たちの主張には、これに限らず賛同できません🙆
何かをしようと思うなら、上手くいかないのは当たり前。最初から当たり前。 生きると言う事もみんな例外なく初めての経験で、上手くいかなくて当たり前。 明日がくる限り問題ない。
どんなに安定した生活をしていても飛ぶことを望まなければカゴの中の鳥である、自分を信じることができる限り人は飛び続ける事が出来る。何処へ辿り着くかまではわからないとしても。
https://youtu.be/H_2jH6XVYU0?si=UGIlIRvqpYWGhoIF これは全員を皮肉っているともとれるけど、ゼリーは違う💙 無理をしている方は、他の人に無理をさせる傾向がかなり高い🦆それは無理をさせている方々が、もうすでに無理を超えまくってるから、そうするの。1番無理してるのは、無理をさせてる方々😂
自分自身を説得するためだけに何か行為に駆り立てられてる人がいる。彼は思慮が足りないだけの行動を情熱的であると言うし、 ただの優柔不断でさえも臨機応変だと考える。批判精神を伴わない学習能力とは概ねこのような人物の行動と大差はない。
人生に意味など無い。 真っ白なキャンバスでしか無い。 だからそこに思い通りの絵を描く事ができる。意味を与えることができる。
病気をして初めて健康のありがたさに気付くような気付きをごく当たり前な日々にいくつも発見し続けられるなら、これ以上の幸福は無いだろう。
【問題の整理】 命とは燃料である。あなたが本当にやる価値があると認めたもののために燃やし尽くすべきものが命である。だから、生活の為に命を燃やし尽くすのは本末転倒なのである。
礼儀と言うものが礼儀のための礼儀でしかないようなものであっても、それでもないよりはマシだと思う。礼儀を示す動機として誠実さや慎み深さ思慮深さがあればそれは完璧な礼儀だけど、完璧な礼儀が態度で示せる人は今まで何人も会ったことがない。社交辞令と礼儀は異なる作法だ。
今死ぬか生きるかの瀬戸際を駆け抜けている時、そんな修羅場のど真ん中には何の悩みもない。常に悩みとヒマはセットなのだ。
生きているから呼吸をするのではなく、呼吸をするから生きている。 同じように人間の身体的動作とは意思より先に発せられる。
感情を意思に従わせるのは無理な相談だが意思は身体の動きなら従わせる事が出来る。 そして感情とは身体の快・不快によって気分を産むのであるから、感情を意思の元に置きたいなら進んで身体を動かす事が肝要になる。
《連載小説》おじいちゃんはパンクロッカーのマガジン作りました。地味ですが地味なりに地味に頑張って地味に書いてます。ちなみにあと二回くらいで地味に終わります。 おじいちゃんはパンクロッカー https://note.com/natujikan/m/m9fe6e95ba174
人を信るのは勇気がいる。人を信じるには無私の精神に近づかなくてはならない。 これが胆力であり器のデカさだ。 人を信じるとは全くのボランティアだ。 共助の社会をつくるにはどうしょうもない人間をどこまで信じ続ける事が出来るかにかかってる。
自然の中で癒されるのは何故だろう。 星空を見上げただけでもそこには無限に広がる宇宙と無数の星屑が展開している。我々は自己の煩わしさから逃れほんの一時だけ自然の一部に同化する自分を離れて眺める。 虫の声が聴こえている。
欲の皮袋にモノを詰め込む作業というのは賽の河原で石を積まされる作業とさして変わらぬ徒労である事を知ることが、足るを知るという事の前段階に必要な理解であると思う。
存在してるとは対応していると言うことである。好きとか嫌いとか抜きにして対応している。嫌いな奴でも死んでしまえば妙な欠落感が出てきて対応にせまられるのであるから。
恵まれた条件に生まれることが出来なかったとしても、そこを恵まれた条件に変えてしまう力が生命には備わっている。 自然の中に、人の中に。
暴力は強さの誇示である以上、臆病さと弱さの所産である。本当の強さを持つ者は暴力を恐れない故に暴力を超えた解決策を示す。
詐欺師でもコミュニケーション能力が高ければそれなりの成果を出すだろう。 あらゆる能力とは人格とイコールではないと言う当たり前の事実が分かっていればコミュ力がその人の素晴らしさだなどとは夢にも思わないだろう。
幸とはすべからく通りすがりのものである。 我々もまた人に幸をもたらすべく通りすがりのさりげなさを持つべきである。
犠牲とは自ら引き受ける場合においても他人に強いるにしても煩わしい自己認識からの逃避行という性質のものだ。 誰かを熱烈に応援する心理は自己犠牲的であるが、同時に自己から目を背ける事が出来る解放的な時間でもある。
虚無に対する涼しい態度。 諦観と両立する自尊心。 これが誠に器のでかい人の特徴。
あなたがあなたの人生にどんな態度で臨むかであなたの人生の価値が決まる。