あかさたな

イギリスとジョルジュ・バタイユが好き🤟

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  • イギリス

    これまでに書いたイギリス関連のnoteです。

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    私が書いた記事の中で、個人的に気に入っているものをピックアップしています。

  • 短編小説

    これまでに書いた短編小説です。友人と書いたリレー小説を含みます。

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【リレー小説】天使の堕獄

「お嬢様とおつきのメイドの暗い百合」をテーマに、友人の「矢代 スズシロ」氏と書きました。15000文字くらいです。 〈一〉矢代 スズシロ  栄華を極めた帝国の、狂瀾怒涛たる享楽の都。そこでは叶わぬ望みはないという。  悪魔に魅入られた大商人が一夜で身代の全てを蕩尽したかと思えば、橋の下で乞食坊主の占いを聞いていた若者が一日にして大富豪となる。魔術師がこの世の道理を曲げ、神憑りが不吉な予言を垂れる。そのような時代にあっては、父祖らが奉じていた理性や人倫など一顧だにされぬ骨董

    • 都市とナショナリズム──ウィーンより

      大学のレポートを見やすいよう加筆修正したもの Q. 都市というものの変遷に鑑みたとき、ナショナリズムは克服されると思うか?増幅されると思うか? 都市のモダニズムとポスト・モダニズムの展開を踏まえると、ナショナリズムは完全な克服も際限なき増幅もされないと思われる。 それは、都市に見られるナショナリズムとその克服が、モダニズムとポスト・モダニズムの両者に関わっているといえるためである。モダニズムにもポスト・モダニズムにも、ナショナリズムを増幅させる要素と克服する要素の両方があ

      • 一群れの雑考──イギリスへの謎の憧れ

        なんだかんだでnoteを始めてから、260本を超える記事を投稿したらしい。 ここらで自分が何を考えているのか、一本の記事を軸にして、関連性のある他の記事を引き合いに出しつつ、まとまった形で可視化してみようと思う。 今回軸に据えるのは、以下の記事である。 じゃあ、さっそく始めよう。 この辺りは、上記の記事以前に書いた「フランスへの謎の憧れ」を踏まえている。 フランスは現実から乖離した美しい理想を追求する。 ただの印象だが、フランスの追求する理想とは、いつも古すぎるか新し

        • 必要なのは執念

          一定以上の長さの作品を完成させるうえで最も重要なのは、静かに、長くくすぶり続ける執念だと思う。 激しい情熱はせいぜい一日か二日しか保たない。ゆえに情熱だけで書き上げられる作品の長さの限界は、私の場合5000字程度だと思われる。 それ以上の長さの作品を書こうと思ったら日をまたがないといけないし、激しい情熱が去った後にもモチベーションを維持する策が必要だ。 私の場合、それは激しくはないが、ずっと心の片隅にくすぶって「気がかり」にさせてくる執念だった。 「今すぐ書かずにはいられな

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        【リレー小説】天使の堕獄

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          ムカ着火ファイアー!

          腹の立つことがあった。怒りへの対処法についてメモを残しておく。 ①深呼吸?飲み物を飲む?あんま効かない 「怒りの絶頂は数秒しか持続しないから、数秒をやり過ごすことが重要だ」みたいな話を聞いて一生懸命に深呼吸をしてみた。 が、数秒後にも怒りは全然ピンピンしていた。なんだよ! 数秒間頑張ればやり過ごせるのは「衝動」であって「怒り」ではない。 落ち着こうとして飲み物を淹れた結果、数杯のカフェオレが一瞬にして胃の中に消え、腹はチャポチャポになった。考え事をしていると、つい飲み

          ムカ着火ファイアー!

          貴族的自己矛盾

          恵まれたもの特有の、無邪気な傲慢さが嫌いだ。どうにもこうにも鼻につく。 しかし、(少なくとも私より)恵まれていない人と会話しているときに「話が浅い」「つまらない」「そうじゃない。矮小化しないでくれ」と感じてしまっている私がいる。 そんな自分に嫌気が差す。その一方で、そんな自分にまんざらでもない。 恵まれたものを厭う。しかし確かに恵まれないものと一定の距離をおいて、彼らへの優越感に浸っている。 優越感を自覚して、恵まれたものでありながら、そうであることを憂う。優越感を自覚した

          貴族的自己矛盾

          「すべての労働は売春である」

          『O嬢の物語』はエアプです すまないな ジャン=リュック・ゴダールは「すべての労働は売春である」という言葉を残したという。 そして『O嬢の物語』は、女主人公が「自由を放棄し、男たちに強いられた屈従と涙と拷問のさなかで訓練を積み、奴隷の境遇を受け入れ、ついには晴れやかな精神状態に達する」物語である。 要は、マゾヒズムの悦びを描いた小説らしい。読んでないからしらんけど。 さて、バタイユ曰く、古代における売春は「肉体を捧げるという聖なる贈与」「男性の欲望に対して、女性が逃げる

          「すべての労働は売春である」

          私がめんどくさがりであるがゆえに、他者は賢い

          現代人の面白いところは「(自分を含む)人間は怠惰だ」という認識と「自分は賢く、他人はバカだ」という認識が両立していることだと思う。 これ、考えてみればおかしな話じゃないか? 「自分は賢く、他人はバカ」なのであれば、他人の行動を黙って見ていることはできないはずだ。逐一アドバイスをしたり、手を加えたりしたくなってしまう。 そして実際、こういう行動に出る人は、掃いて捨てるほど見られる。 これは怠惰とは正反対じゃないのか? もちろんそこには、他者よりも優位に立つことによるエゴ

          私がめんどくさがりであるがゆえに、他者は賢い

          粗品のタオル、「もの」への執着

          まともなタオルがほしい。 なにせ、自宅にあるタオルの半分が粗品の、ペラペラゴワゴワで吸水性も最悪なタオルなのである。ついでにいえばデザインもやかましくてダサい。 これで「まともなタオルがほしい」といったって、さしたる贅沢にはなるまい。 けれどどうにも、この程度の欲求を「滅すべき物欲だ」と言い張る修行僧みてーな自分がいるのだ。私の中の修行僧は言う。 「ものにこだわるな。物質的な豊かさは、真の豊かさではないのだから。粗品のタオルだって使えないわけではないのだから、買い替える

          粗品のタオル、「もの」への執着

          働きたくない!!!!!

          キチゲ発散記事 うわああああああああ働きたくない働きたくない働きたくないいいいい!!!! 労働の! 疎密波! ふざけんな! さっさと帰らせろ!!!! 休日少ないんだよおおおおおおそもそも一日8時間も働けるかボケえええええ!!! そのうえ残業とか殺す気か!!!!! 盆暮れ正月全部休めないとか正気かよ!!!!! インセインはTRPGだけで十分だっつーの!!!! 甘え?人罪? うるっせえええええええええだからどうした!! 甘えでも人罪でもなんでもいいわどうとでも呼べカス!! て

          働きたくない!!!!!

          ラブレターを書いたぞ!

          定期的にラブレターを書きたくなる発作(?) 君のことが本当に好きなんです。 言葉にすると何もかもぜんぶ薄っぺらな気がして、ずっと言えませんでした。 だけど、それでもなんとか言葉にしなければ伝わるわけもないから、思い切って筆を執りました。 どこが好きなのか、って? 君の気高いところが好きだとか、聡くてまっすぐにものを見る目が好きだとか、時折隠しきれなくてにじみ出る弱さが好きだとか、言おうと思えば言えることは色々ありますが、どれも月並みな気がしてしまいます。 言葉はものを

          ラブレターを書いたぞ!

          凪いだ水面のようになって

          「できるようになる」というのは、凪いだ水面を覗き込むことに似ている。 波紋のない、澄んだ水を湛えた湖面を、底まで見通すようにじっと向き合う。 最初は覗いても水底など見えない。あちらこちらから風が吹いて、水面にさざなみが立つ。砂利の巻き上がった水もうっすらと濁っている。 けれどもずっと向き合っていると、ふと、風が弱まりさざなみが収まってくる瞬間がやって来る。 そのときに湖面を覗き込むと、水は驚くほどに澄んでいて、どこまでも見通せるような気がしてくるのだ。 そうして表面から

          凪いだ水面のようになって

          かっこいい文章が書きたい

          かっこいい文章が書きたい。書けない。厨二病くさい悪文なら毎日書いている。 常々思っているのだが、私の文章は紙面が詰まっていて目がすべる。 まず漢字が多すぎるのだ。推敲しながら漢字をひらがなに開こうとしても、なんだか変に子どもっぽく見えてしまって、上手くできない。 そして結局漢字のまま、読む気の失せる文章を乱造している。今みたいに。 あとは単純に文章が回りくどくて読みづらい。難しい言葉を使うなや! ↑これとか特にひどい。もっとシンプルにできるだろう……! ↑これで十分に

          かっこいい文章が書きたい

          文学わっかんね〜な

          私は小説が読めない。きっと、文学的素養が死滅しているのだろう。 登場人物の心情という主題がよく分からないのである。だから面白いとも思えない。 小説の画期的なところは、「個人の内面」という曖昧で閉じたものが作品へと昇華されるようになったことである。 没人格的な叙事詩に代わり、個人の内面に焦点が当てられるようになったことが、小説のもたらした転機なのだ。 叙事詩──すなわち歴史とは異なり、小説の主題とは徹頭徹尾個人的であり、閉じたものだ。 閉じていたもの、本来であれば心のうちに

          文学わっかんね〜な

          理性の原罪(キリスト教によせて)

          私は神仏の類いを信じないことにしている。 だが、理性こそが原罪なのだと思っている。 理性はキリスト教徒(キリスト教以外の宗教はよく知らない)がいうように、人が神という真理へと近づくために与えられた恩寵ではない。 現代人がいうように、感情を統御し曖昧さを排し、論理的に、冷厳だが正しい判断を下すためのものでもない。 いや──正確にいえば、こうした側面も大いにあるのだけど、それが理性のすべてではないということだ。 前にもこんな話をしたが、理性はその出自からして呪われている。

          理性の原罪(キリスト教によせて)

          誰もあなたの献身に報いないのだとしたら

          休みをとっているはずの上司が職場にいた。ええ…… この人はちゃんと休めているのだろうか。以前も休日出勤していた気がするが。というか、退勤後に残って何かしているところもたびたび見かける。 「さっさと帰って寝てくれ」と言いたいところだが、おそらくそうもいかないのだろう。気の毒に。全くもって労働社会はクソである。働かせすぎなんだよバカ。 仮に「歴史上のどんな人物でも一人だけ抹殺できる能力」を手に入れたとしたら、私は迷いなくカルヴァンに使うだろう。 もちろん、歴史は偉人のように

          誰もあなたの献身に報いないのだとしたら