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記事一覧

【リレー小説】天使の堕獄

「お嬢様とおつきのメイドの暗い百合」をテーマに、友人の「矢代 スズシロ」氏と書きました。15000文字くらいです。 〈一〉矢代 スズシロ  栄華を極めた帝国の、狂瀾怒涛たる享楽の都。そこでは叶わぬ望みはないという。  悪魔に魅入られた大商人が一夜で身代の全てを蕩尽したかと思えば、橋の下で乞食坊主の占いを聞いていた若者が一日にして大富豪となる。魔術師がこの世の道理を曲げ、神憑りが不吉な予言を垂れる。そのような時代にあっては、父祖らが奉じていた理性や人倫など一顧だにされぬ骨董

イカロス

バタイユの『太陽肛門』を読んでからだろうか、イカロスというモチーフに取り憑かれている。 頭の中がグチャグチャなので、とりあえず単語だけ連想ゲームで吐き出そう。 太陽─鷲─鳥─翼─イカロス─墜落─塔─象牙の塔─真理─太陽。 これを「神話=男性性」という色彩が包みこんでいるのだ。 というか以前、この一連のイメージを元にして短編小説を書いたんだった。 だからこのnoteは、上記の作品の解説記事?でもある。 さて、知っての通り、人間は太陽を直視することができない。あまりに眩し

信用貨幣論、善悪の彼岸、笑劇

全ての門外漢が書いている 「貨幣の起源は信用だった」という説がある。信用貨幣論というらしい。 例えば、酒場の店主Aが客Bにツケでビールを飲ませてやったとする。 そのときに「〇〇酒場の店主Aにビール3杯分の借り B」みたいな証書を発行しておくのだ。 しばらくして、Aがこの証書を持ってBのもとに訪れたら、BはAに「ビール3杯分の借り」に見合うようなものを返済しなければならない。 まあ、Bがこの約束を反故にしたら終わりなのだが…… つまるところ、この約束を成り立たせているのは

恐怖と「男性」

ここでいう「男性」は、ラカン的なニュアンスでの「男性」です! 既存のジェンダー・イメージを利用するようなずるいやつでごめんな! あと普通に妄言 ニーチェが『悲劇の誕生』『善悪の彼岸』で言っていることに「逆じゃね?」と思った。なお根拠はない。 ざっくりいうと「高貴な者は恐怖を掻き立てるものを善とするが、奴隷は恐怖を掻き立てるものを悪とする」的なことが主張されている(『善悪の彼岸』の312ページあたりで)。 でもって、「最初の冒涜(=肯定されるべき能動的な罪)は恐怖と苦悩を

善と無力(キリスト教によせて)

アウグスティヌスの時間論 ニーチェ『善悪の彼岸』 バタイユ『宗教の理論』 言うまでもなく、善くあるためには無力である必要がある。そして、この無力さには一抹の愚かさが含まれている。 そしてその「愚かさ」とは、合理的な判断ができない文字通りの愚かさというより、愚かでいようという合理的な判断なのだ。 例えば、善の神は無力だ。それは無力を貫き通して十字架上で死ぬような神なのである。苛烈さや恐ろしさのゆえに神であるような、多神教の神々とはわけが違う。 そして、この「無力さ」も文

普通の親子関係にこそ含まれる憎悪

この記事は、マルセル・モースの『贈与論』やデヴィッド・グレーバーの『負債論』なんかを読んでいると分かりやすくなると思うよ! 最近ふと思ったことがある。 とりたてて「毒親」というわけでもない、ごく普通の、なんなら良好な親子関係の中にこそ混じらざるを得ない一抹の憎悪があるのではないか、と。 それは親子の関係が実質的に対等ではなくヒエラルキーに基づいたものであること、ならびにヒエラルキーの関係が固定化していることによる。 言うまでもなく、親が子を養い育てる以上、親子の間には「

フランスへの謎の憧れ

フランスは「理想」の国だと思う。 つまり、実情はどうあれ、あるいは可能かどうかはさておき、美しい憧れみたいなものをいつの時代も追求してきたということだ。 この点で、フランスは果実の国というよりは、むしろ花の国なのだろう。 時折それは乱れ咲きとなり、徒花であれ世界中に薫香を散らしてゆく。 (他の国だと中国辺りがこれに近い気もするが、私は中国ミリしらなので断言はしない) そもそもフランスは、その最古の時代からして理念的なのだ。 まあ、大昔の「フランス」が今と同じ意味でのフラ

「〇〇の主役は我々だ!」という組織の考察

【追記】この記事はレパロウ登場前に書かれたものです これは国民(チャンネル会員)ですらないニワカが、「〇〇の主役は我々だ!」というゲーム実況者集団に関して独断と偏見に基づいて書いた考察……ってか妄言です。全ての文末に「しらんけど」がつきます。 個々の動画・企画やメンバーの解説については、他の人がクッソ気合いの入った紹介文を書いているので、そちらを見てください。 あと、本文中のメンバーなどの名前は全て敬称略です。 最後に、「ちゃうな」と思ったら適当にブラウザバックしてくれよな

スペインへの謎の憧れ

⚠️若干下品かもしれない⚠️ 太陽の国!地中海世界!イスラーム世界!レコンキスタ!大航海時代!金銀財宝!奢侈!宗教的熱狂!魔女狩り!野蛮!熱病!迷信!闘牛!奇祭! ──そんな感じ。 私はブラスフェマスの世界観のモデルがスペインだと聞いてどきどきしています。 兎にも角にも、エスポシトとかメルキアデスのビジュがいい。おぞましいのに、一抹の切なさとか、目も眩むような奢侈とメメント・モリとの融合とかを感じさせてくれていい。 それも、ただ忌避すべきおぞましさだけでなく、なにか人

価値という概念

価値なるものは実在しない。 価値というのはどこまでも人間の主観だ。 「そうはいっても、例えば金の値段なんかは客観的じゃないか」と思うかもしれないが、これだって結局はフェティシズムの制度化なのだ。 つまるところ、「金には価値がある」という人間一般の主観が制度化された結果として客観的に見えているだけであって、その本質はなお主観なのである。 だって、金に価値があるのは、人間がそう信じているからにすぎないじゃないか。 というか、金が価値を持つ理由なんて大方それで完結する。 工業

美へのフェティッシュ

フェティシズムとは、ものそれ自体に価値があるとみなすことである(細かいところに突っ込むと、本当は色々あるんだけど……)。 そしておそらく、フェティッシュの対象として最もメジャーなものは「金」と「美」だと思う。 金は、価値の交換媒体としての役割を果たすからこそ価値があるはずなのに、いつの間にかそれ自体に価値があると思われるようになっている。 金勘定が楽しいのはそのせいだろう。万札数えるの、楽しいよね?? 多分、美もそうなのだと思う。 美はいつしか「自分のために美しくなる」と

高貴と野蛮

高貴さと野蛮さは、セットで語られることが多い気がする。 まあ、今のところn=2なんですけど…… 例えば、ジョン・ラスキンは『ゴシックの本質』の中で、ゴシック建築の「粗野」や「野蛮さ」を「高貴な特徴」であると評している。 ラスキンの言うところの「粗野」「野蛮」とは、建築が不完全で洗練されていないという意味である。 「建築が不完全ってどういうこっちゃ」と思うかもしれないが、これは例えば、シャルトル大聖堂の正面なんかを見ると分かりやすいと思う。 ↑見て分かる通り、シャルトル

【短編小説】ムーサは自分を去勢することにした・B面

A面↓ 「ある女性アーティスト」本人視点です。こんなこと考えるヤツがあるか! A面と合わせても中々に意味不明だなぁ……漠然と頭の中にあった「書きたいこと」を上手く言語化しきれなかった感じ。 でも、これ以上書いても冗長になってしまうので、ここで筆を置くことにします。  公平を期するため、先に告白しておくとしよう。私は女である。  それでは、私の夢想を聞いてもらおうか。  思うに、自分の中にある「創造性」の量には限りがある。  だから、我々はこれを無為に浪費してしまうこ

自由と責任

「自由には責任が伴う」と、私たちは聖句をそらんじるがごとく唱える。 しかし、責任とセットにして語られるこの「自由」は、ある種の擬制であるようにも思われる。 結局のところ「自由があるから責任が生じる」のではなく、「誰かに責任をとらせないといけないから、自由というものがあることにされた」んじゃないのか? だって実際、人生の選択を自分の意志のみによって行うことのできる人間が、この世界にどれだけいるというのだろう? ──こんなことはザラだ。 結果として彼らは、行きたい学校に行