彗 -すい-

多分、駄文。Non-binary Anarchist Queer 仏教 生きにくい日常…

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多分、駄文。Non-binary Anarchist Queer 仏教 生きにくい日常を、少しでも。mail: natsu.g72◎gmail.com ◎→@

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葉蔵と僕 【人間失格】

この後に展開される文章は、僕と主人公である葉蔵との共通点についてが主だ。僕に個人的な体験の述懐も含まれ、とても真面目とは程遠い文章である。それでも良いと思われた、一寸奇を衒った文をお好みの諸君は、どうぞそのまま… 「人間失格」という作品の著名さは、太宰治の作品の中で随一と言って良い。 これは人を信ずることのできない悲しい男の半生だ。まず、幼年時代つまり「第一の手記」から始まる。何故三回飯を食うのか、わからないと葉蔵は言う。僕もそう思ったことはある。しかし、それは大抵、空腹

    • アナーキーと国家不在におけるオートノミーの重要性(3)

      なぜオートノミーはアナーキーと国家不在の基礎なのか? 自律性、すなわち自制的であること、あるいは従順に自由であることは、アナーキーと国家不在の基礎である。アナーキーに関して言えば、自律性はアナーキーでなくても存在しうるが、もし自律性が存在しなければ、アナーキーは単なるオクラーキー(暴徒支配)になってしまう。つまり、真の自由にはアナーキー以外のどのような政府形態も最も適していないが、もし誰も自律性を持たなければ、アナーキーは人々が通常理解するような混沌とした現実としてしか存在

      • アナーキーと国家不在におけるオートノミーの重要性(2)

        オートノミーに最も適したアナーキー 哲学者ロバート・ポール・ウォルフにとって、アナーキー、つまり指導者を必要としない社会は、自律性、つまり義務的な自由に最もよく適合する。なぜなら、それが自由の個人的側面と集団的側面を維持できる唯一の方法だからだ。たとえば、今日の民主共和制は、各選挙が「多数派の暴政」である為、人々の生来の自由能力と一致していると主張することは出来ない。つまり、民主主義は、すべての人々に影響を与える政策を推進するために全会一致の決定を必要としないため、民主主義

        • アナーキーと国家不在におけるオートノミーの重要性(1)

          概要 一般的に理解されているように、「アナーキー」という言葉は多くの人の背筋をゾッとさせる。通常、「アナーキー」と聞いて思い浮かぶのは、無秩序、危険、混沌である。指導者のいない社会に対するこのような素朴な見方にもかかわらず、アナーキーが最も自由な共存形態だとしたらどうだろう?この記事ではまず、哲学者イマヌエル・カントの、洗練され成熟した「従順な自由」(自律性)の概念に関する見解を説明することで、自由のより正確な定義から始める。次に、哲学者ロバート・ポール・ヴォルフのレンズを

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        葉蔵と僕 【人間失格】

          少子高齢化は本当に悪なのか?「まやかし論」を検証する

          序に代えて 皆さんは、子供を産むことをどのように考えているだろう? わが国では昨今、少子高齢化が急速に進行しており、それを解決することは喫緊の課題であると“一般的に”言われている。日本経済新聞などのいわゆる大手メディアは、2025年以降、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となってしまう「2025問題」をしきりに取り上げている[1]。確かに国民に危機感を植え付け、問題意識を持たせること自体は成功しているといっても過言ではないが、別の視点から見れば、国民の不安を過度に煽っている

          少子高齢化は本当に悪なのか?「まやかし論」を検証する

          「ヴァギナの脱構築」について

          有史以前、女性器は様々な石像や木像、舞踊を通じて表象されてきた。 その目的・意図は考古学者や人類学者の知見を以てしても類推することしかできないが、現代における女性器のプライベート性を殊更に強調するような風潮や習慣は古代のそれらと比較しても、特異な現象であろう。例えば古事記[i]におけるアメノウズメは、アマテラスが天岩戸に隠れて世界が暗闇に包まれた際、うつ伏せにした桶の上に乗り、背を反り胸乳を露わにし、裳の紐を女陰(=女性器のこと)まで押し垂れて、低く腰を落して足を踏み轟かし

          「ヴァギナの脱構築」について

          自己が輝いていた瞬間

          注:第3・4・5・6話は「僕と葉蔵」からの引用が含まれる. 第1話 私が抑圧されていると気づいたのは,いつ頃だっただろうか.これは私が日々の圧迫から逃走/闘争し,抗い続ける物語である.人は時に抵抗することによってのみ光を放つ瞬間があるのである.私の家庭では大変「仲睦まじい夫婦」がその実権/権力を握っており,様々な規範や子細なルール・習慣に至るまで,綿密な構成を創出し,またそれらを私に随わせることを誇っていた.その規範に嫌悪感を覚えつつも,両親,とりわけ母親の言語の扱い,態度

          自己が輝いていた瞬間

          日本/ナチ・ドイツにおける精神障害のスティグマ化

          1.日本における精神障害のスティグマ化とその分類 スティグマとは,日本語における「差別」や「偏見」に対応する語であり,具体的には,「精神疾患等の個人の持つ特徴に対して,周囲から否定的な意味づけ(nagative meaning-making)を付与され,不当な扱いを受けること」とされている.現代において,精神疾患やHIV,LGBTQ+のような社会的立場が劣位である人々に対する差別や偏見を含む,広範な意味を持つ言葉として用いられている[1]. スティグマの問題は,多くの場

          日本/ナチ・ドイツにおける精神障害のスティグマ化

          私がアナキストである理由 Why I am an Anarchist

          近代以降、アナキストたち/民衆は様々な手段・実践を用いて国家権力の魔の手から逃れ、抵抗してきた歴史がある。ドイツの空き家占拠、アメリカのヒッピー、ウォール街を占拠せよ、デンマークはコペンハーゲンの無主地を占拠したコミュニティの作製=自由都市Christiania(大麻などの売買が2004年まで合法)、洞爺湖サミット反対運動…。枚挙に暇がない。つまり、アナーキーな空間=コミューンは、私たちの手で造れるのであり、今現在も存在しているのである。態々「無産階級国家」などを建国しなくて

          私がアナキストである理由 Why I am an Anarchist

          空間とその画定

          私は自己/他者が画定した境界に囲まれた領域を「空間」と呼ぶ。当人にとってその空間は「世界」であり、その世界の中で一生を卒える者もいるだろう。然し、その境界は政治的・文化的・社会的である。その世界に「閉じ込められて」いたことはその世界の外部に出て初めて解ることであり、そのような境界を画定した者が自己なのか、他者なのかということも初めて解るのである。私たちが無自覚に従っていた規範や慣習、ルールやルーチンに至る迄、克明に。私たちは自らが軟禁せられている世界から飛び出して初めて「客観

          空間とその画定