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筋トレとアナーキーは相性が悪い

マッチョほどルーティーンに縛られる生き物もいまい。
私の趣味は筋トレなのだが、筋トレの唯一にして最大の弱点は「筋トレによって日常生活が制約されてしまう」ことだと思っている。

まず、筋肉のために週に2〜3回は筋トレがしたい。
可能なら「今日は腕、次は背中、その次は脚……」みたいに、日ごとに鍛える部位を分割できるとなお良い。
翻って、鍛える部位を分割しつつ各部位の筋力を落とさないためには、かなりの頻度でジムに通わなければならないともいえる。

ジム通いが習慣となってきた頃には、旅行などの数日かかる予定が入るたびに「あっ、しばらく筋トレできない……」という感情に苛まれることとなる。
そう、スケジュールが筋トレという決して完結しない予定によって制約されてしまうのだ。

そして、食事にも気を遣うようになる。なってしまう。
やたらめったらPFCバランスを気にしてしまうし、酒席でもふいに「アルコールは筋肉に悪いのに」という憂いがよぎってしまう。素直に食事を楽しめない。
あとは根本的に「カタボリックを防ぐために、ご飯を食べなければならない」という義務感に取り憑かれる。食べることが大して好きでもないのにね。

つまるところ、筋トレとアナーキーは相性が悪い。

マッチョはゾミアやピダハンのようには生きられないだろう。筋トレに取り憑かれた人間は、多くの場合土地と結びついたルーティーンの中で日々を送ることになるからである。いつもの場所にあるいつものジム、いつもの筋トレ仲間、いつもの食事というわけだ。

(ジムと食事は他の土地に行ってもどうにかなるだろうが、筋トレ仲間ばかりはどうにもならない。高重量を扱うときに補助に入ってくれる人って貴重なんですよ……)

そして「旅行」や「豪華な食事」みたいな非日常的な贅沢と距離を置くようにもなる。
いや、たまの贅沢に限った話ではなく、日々の生活からして根無し草のようにフラフラと生きていられないのだ。金がなければジムには行けないし、プロテインもBCAAも買えないからね。

現代社会における必要を超えた筋肉を維持するためには、ランニングコストがかかるのである。
そして筋肉の維持は様々な「安定」を要する。安定したメンタル、安定した仕事、安定した収入、安定した生活習慣、安定したスケジュール等々。

だからマッチョとは、国家と市場によって支配された現代社会に極めて適合した存在だ。現代社会に適合しなければマッチョにはなれないのである。
規則正しい生活を送り、よく食べ、よく運動し、よく眠り、いい感じに働く。急にどっか行かない。仕事をやめない。物事を投げ出さない。ドカ食いとか断食とかしない。ストイックに己の肉体と向き合い、爽やかに汗を流す。たまに大会にも出る。

──「筋トレが趣味」とか言っておいてこんなことを思うのもなんだが、私はマッチョが根ざしているこういう思考様式に、若干の居心地悪さを感じている。

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