放送大学の「フィールドワークと民族誌」という、文化人類学の講義を視聴している。それまで学んできた深層心理学、臨床心理学と通底するものを強く感じるが、逆に言えばそれらを学んでいなければ今の講義もピンと来なかったと思う。文系の学問ならではの意義深さを痛感させられているところだ。
放送大学・人間と文化コース「フィールドワークと民族誌」の講義を視聴。まだ2講目までだが、大村敬一教授のお話がお上手でビックリ。かつての大学では、教員の話し方を問わなかったもの。電波に乗っているとはいえ、隔世の感。
“美術部の夏休みの課題は デッサンで描写力観察力をつけ スクラップブックで アイデアを増やし 1日1枚写真で 構図力や視点を探る” ――『ブルーピリオド』 こちらのアイディアをもとに、動画を見ながら文章にする描写練習を始めた。驚くほど「見ないで」書いていることが露呈してしまう。
学術書を読むとき、結論大好き症候群に陥ることがある。具体例を読み飛ばし、俯瞰して捉えたくなるのだ。 けれど民族誌を読むときには、ディテールにこそ重要な点が宿っている。人々と対面し、内輪に入り込んで見えてくるような、ささやかな景色。ようやく、わたしはそこを認識しつつある。
“初めの何週間か, 村々をたずねまわった長い期間のことを, いまでもよく覚えている.…熱帯の退屈と憂鬱のなかで, 人が酒におぼれるように, 私は小説を読みふけった.” ――マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』 夜な夜な、小説の朗読に耳を傾けるわたしには、この一節が刺さる。