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自分のアイデンティティーを考える上で、どこに目を置くか、ということから考えを進めて、じゃあ、永遠のアイデンティティーはどこに?という話です。

自分のアイデンティティーってことを考えるとき。。。

ふつうに考えると、血と土、って要素に目が行くよね。

血。。。ご先祖さまから連綿と続いている「いのち」のつながり。

土。。。生まれ育った風土や文化が形作る「いのち」のスタイル。

今日の聖書の言葉。

主よ、あなたは御自分の地をお望みになり
ヤコブの捕われ人を連れ帰ってくださいました。
詩編 85:2 新共同訳

いのちの「つながり」って言う場合、遺伝的なことをイメージする。

髪と目が黒い。ひとえまぶた。肌が黄色。赤ちゃんのときの蒙古斑。アルコールに弱い。。。などなどが、自分の属性になってる。

いのちの「スタイル」って言うのは、生活のスタイルのことだ。

箸を使う。納豆・味噌・醤油のような発酵食品が好き。家で靴を脱ぐ。畳の香りが好き。お風呂は毎日。。。みたいな属性。

じゃあ、日本語をしゃべり・日本語で思考する、っていう属性。。。

これは、つながり? スタイル? どっちなんだろうね?

コトバは、生まれ育った風土のなかで後天的にインプットされる属性だ、って、ずっーと思ってたんだけど。

もし、そうであれば、コトバは、スタイルということになるよね。。。

でも、この記事を読んで、すこし考え方が変わったんだ。

上記の記事では、ほかに。。。

ノルウェー人の女性がドイツによる爆撃で破片を浴びて脳を損傷し、突然ドイツ語なまりで話すようになった。

米海軍の元兵士がカリフォルニア州のホテルで意識を失い、目覚めるとそれまでの記憶をすべて失ってスウェーデン語しか話さなくなっていた。

オーストラリアではバスの運転手だった女性が衝突事故で重傷を負い、フランス語なまりの英語を話すようになった。

。。。というケースも紹介されている。

これって、どういうことなん!? (@_@)

そこで、以下は、まあ、自分の想像なんだけど。。。

血のルート、つまり、ご先祖さまを、自分からスタートして、ずーっと、ずーっと、たどっていくと、最初の人間アダムに行きつくわけじゃん?

で、アダムの原初的な「いのち」には、その後の人類史で展開されるあらゆる言語が、あらかじめ、ぜーんぶインプットされてたんじゃないのかな。。。

でもって、もしかしたら、アダムにデフォルトで入ってた全言語の能力が、「いのち」のつながりを通して、いまなお、われわれの脳のどこかにコッソリ格納されているんじゃないのかな。。。

んでもって、なんかの拍子に格納庫の扉が開いちゃうと、とたんに、どんな言語でも喋れるようになっちゃうんじゃないのかな、って。

主よ、あなたは御自分の地をお望みになり
ヤコブの捕われ人を連れ帰ってくださいました

アブラハム・イサク・ヤコブの子孫という「いのち」のつながりを生きるイスラエル・ユダヤ人。

ヘブライ語を話す彼らは、約束の地に帰りたい、その中心にある聖なる都エルサレムに帰りたい、っていう悲願を抱いて、数千年を生きたわけだけど。。。

その悲願が、あまりにも長い期間、かなえられなかったために、彼らはヘブライ語を忘れてしまったほどだった。。。現代になって復活したけど。。。

なので、彼らの悲願は超自然的な方法で昇華されて、ついに、地上のエルサレムではなく、天から「新しいエルサレム」が降下して来る、っていう、壮大なビジョンへと変貌したんじゃないかと思う。

そのビジョンが、新約聖書の最後を飾る黙示録に示されている。

天から降って来る「新しいエルサレム」のビジョンの前では、血というアイデンティーも、土というアイデンティーも、やっぱり昇華されてしまう。

そして、神人であるイエス・キリストに似た人間、という新しい属性が、全人類に付与されることになるんだ。

イエスに似た人間、という新しい属性は、アダムのすべての息子たち・娘たち。。。肌が黒いのも、白いのも、黄色いのも、赤いのも、箸を使うのも、ナイフとフォークを使うのも、手で食べるのも、肉食も、ベジタリアンも、ヴィーガンも、その他もろもろの、あらゆる属性を、ぜーんぶ昇華し、ぜーんぶ包含している。

その結果、アブラハム・イサク・ヤコブの「いのち」のつながりの中にいない、かつ、聖なる都エルサレムと縁もゆかりもない、この自分が、全人類もろとも巻き込まれて、「新しいエルサレム」の住民として登録されちゃってる、という驚くべき展開になっている(詩編87編参照)

ときどき、「新しいエルサレム」のゲートをくぐったときの自分の姿を想像してみる。

そのとき、自分は、どんなコトバを喋るんだろう?

もし、アブラハムと会って話す機会があったら、自分はヘブライ語を喋ることになるんだろうか?

でも、もし、さっき書いた自分の想像が正しければ。。。

そばにいる天使が棒切れで自分のアタマをぶったたいてくれるだけで、とたんに格納庫が開いて、あらゆる言語を喋れるようになるはずだよね。

神の都(エルサレム)よ、あなたについて、
もろもろの光栄ある事が語られる。
わたしはラハブとバビロンを
わたしを知る者のうちに挙げる。
ペリシテ、ツロ、またエチオピヤを見よ。
「この者はかしこに生れた」と言われる。
しかしシオン(エルサレム)については
「この者も、かの者もその中に生れた」と言われる。
いと高き者みずからシオンを
堅く立てられるからである。
主がもろもろの民を登録されるとき、
「この者はかしこに生れた」としるされる。
歌う者と踊る者はみな言う、
「わがもろもろの泉はあなたのうちにある」と。
詩編 87:3-7 口語訳


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