山谷 真

救世軍少佐。1965年 高円寺生まれ、高円寺育ち。クリスチャン。https://majormak.blogspot.com

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  • セオロジカル・フィクション「新しいエルサレム」

    サイエンス・フィクションならぬセオロジカル・フィクション(神学的創作)のシリーズです。

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    ウィズコロナ、ポストコロナのクリスチャンの霊性について、考えて見たいと思います。

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    キリスト教、聖書、神学についてのすばらしいクリエイターさんたちの記事をあつめています。

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矛盾と分裂を結ぶもの

人間って、首尾一貫していることが、好き、だよね。 若いときに手をつけたことを、死ぬまでやり続けるのは、とても尊敬される生き方。。。というか、生き方、だった。。。 でも、ポストモダンと言われる時代になって、ひとりの人間が、矛盾するいろいろな世界観を同時に保持することが、オーケーとされるようになった。 むかしだったら、そんなの、分裂しているんじゃん、と、ネガティブな評価をされたわけだけれど、いまは、必ずしもそんなことはない。 今日の聖書の言葉。 若者を歩むべき道の初めに

    • #1000 千本ノックならぬ千本noteは今日で打ち止めだけれど、心のnoteは永遠に続く、っていう話です。

      コロナ禍が始まってからスタートとしたnoteへの毎日の投稿。 1000本ノックならぬ1000本noteということで続けて来たけれど、本日ついに1000本目を迎えることが出来た。 この習慣は自分が尊敬する編集工学者・松岡正剛の千夜千冊というプロジェクトにインスパイアされた面もあったんだけど。。。 彼我の違いは、千夜千冊は一度取り上げた本は二度と扱わないという方針であるのに対して。。。 自分の場合は御祖師様(ジョン・ウェスレー)の Homo unius libri(一書の

      • #999 シングラ・センペル・レフォルマンダ、っていう話です。

        世界にはいろんな教会があるけれど。。。 教会の聖職者がどういう服装をしているかを見ると、その教会が歴史的にいつ頃うまれたのか、ってことが、なんとなーく推測できるんだよね。。。 たとえば、ローマカトリックの神父さまが来ている祭服っていうのは、古代ローマ時代に紳士が来ていたフォーマルウェアに由来している。 なので、あー、古代ローマ時代に生まれた教会なのねー、ってことになる。 あるいは、アーミッシュやフッター派が着ている服装をみると、16世紀ぐらいの農民のスタイルをとどめて

        • #998 キリキリしないでミレニアムに向かう、っていう話です。

          キリキリしないでカリカリしないで。。。 ゆるーく、ゆったり、相手に接しよう。。。 自分はいつもそう心掛けているつもりなんだけど。。。 今日の聖書の言葉。 でも、自分は昭和の人間なので。。。 どんなことがあっても、逃げない・隠れない・あきらめない・しがみついて・歯を食いしばって・耐えに耐えて・涙と汗と血を流してでもくらいついて放さない、ってなってしまいがちだ。。。 しかしねー。。。 もう令和の時代だから、そういうスタイルは通用しないと思う。 まあ、思ってても自分

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          #997 すっごくハードルの高い目標に挑戦し続ける、っていう話です。

          愛こそすべて~、と歌いながら生きることは、やろうと思えばできる気がするけど。。。 だって、歌えばいいわけだからね。 でもねー。。。 ほんとのほんとに「愛」が自分の存在のすみずみまで浸透するような状態になれるか、っていうと。。。 そこはすっごくハードルが高いよなー、って思う。 今日の聖書の言葉。 イエスは宗教指導者たちのことを「白く塗った墓」って言って批評したわけだけど *。。。 ひるがえって自分のことを考えてみると。。。 愛ですよねー、愛です、って表面では微笑

          #996 マジョリティーとマイノリティー、どっちを選ぶ?っていう話です。

          個別Aと個別Bが対立して、どうしようもない状況になったとき、われわれは普遍という概念にあこがれてしまう。。。 それは、普遍がもろもろの個別を吸収することによって、対立を収めてくれるんじゃないか、って期待するからだ。 ところがねー、こんどは普遍Aと普遍Bが対立するという事態になって。。。 いや、そもそも普遍Aと普遍Bのあいだに差異がある、って時点で、じつはどちらもほんとうの意味での「普遍」ではない気もするけれど。。。 でも、そうやって普遍同士が対立した場合には、もう個別

          #995 セカンドチャンスはある?ない?っていう話です。

          日本人は、失敗をゆるさない・失敗はゆるされない、って感じてしまうひとが多い、ってよく言われるけど。。。 だから、失敗を極度に恐れて最初から何もしない、あるいは、大きな失敗をしたために恐怖症に陥って動けなくなる、っていうのを見聞きする。 自分にもそういうところはあるよね。 そりゃあ、まあ、日本人だからって全員が失敗恐怖症ってわけでもないとは思うんだけど。。。 でも、そうやって失敗を恐れて生きている方が、この島では生き残れる確率が高かった、ってことの裏返しなのかもしれない

          変わらないといけないと思いながらも、変われない。。。だから、考え方を一新する、っていう話です。

          「鎌倉殿の13人」が終わって、1月8日からスタートした「どうする家康」を見始めた。。。 日本って平和っていうイメージがあるけど、むかしは日本人同士が凄惨な殺し合いをしていたんだなー、ってあらためて思った。 鎌倉殿の場合、親兄弟や夫婦の間で誅殺・謀殺・暗殺・毒殺をやっていたわけだからねー。 人間の業の深さを感じるよね。 じゃあ、いつからそんな状態が始まったんだろう、って考えたとき。。。 人類最初の兄弟であるカインとアベルが家庭内殺人の第一号だったことを思えば、人間は最

          ドヨーンとした日常を突き破るカミ、マジ神、っていう話です。

          神のことをなんでカミって言うんだろう、って、ときどき不思議に思うんだけど。。。 語源的には、上のほうにいる尊い存在だからカミっていう説と、オソロシイ存在だからオソレカシコム→カシコミ→カミになったっていう説があるみたい。 でも、ほんとのところどういう語源かは不明なんだって。。。 今日の聖書の言葉。 そういう不明なカミであるわけだけど、日常生活のなかでは、超越的な存在を指示するだけでなく、ズバ抜けて素晴らしい人間やコンテンツをあらわす形容詞としてもカミが使われるよね。

          永遠の命を生きながら、地上の命を生きる、っていう話です。

          次の日曜日は自分の属している教会の礼拝で説教することになっていたんだけど。。。 その説教の準備をするなかで、なんだか無性にエルビス・プレスリーのゴスペルを歌うように、って内なる促しを感じたんだよね。。。 なので、特に深く考えもせず、じゃあ何を歌おうかなってセットリストを組んでいたんだけど。。。 ところが今週になって自分がコロナの濃厚接触者になってしまったので、説教はオンラインですることに変更になり。。。 いやー。モニター越しじゃあゴスペルは無理だよなー、って思って歌は

          愛することに失敗する、失敗し続ける、ダメじゃん。。。っていう話です。

          世の中にはいろんな歌があるよね。。。 愛のはじまりをうたう歌。 愛の苦しさをうたう歌。 愛の破局と悲しみの歌。 過ぎ去った愛を想起する歌。 愛がうまく行った系の歌と、愛が壊れた系の歌と、単純に二つのカテゴリーに分けて計量したら、どっちのボリュームのほうが大きいんだろう? なーんとなくだけど、愛が壊れた系のカナシイ歌が多い気がするよね。あくまで個人の感想です。諸説あります。 今日の聖書の言葉。 愛って壊れやすいものだから。。。 だから、人類は「永遠の愛」という概念を

          世界のカラーを一瞬で変える言葉の選び方、っていう話です。

          「だから」と「だけど」って、似てるようでぜんぜん似てないよねー。 これは自分の個人的な感覚だけど「~だから」って言った場合にあとをついて出てくる言葉は、なんとなーくポジティブな気がする。 あれね、在庫が切れてたから追加で買っといたよ。だから大丈夫!みたいな。。。 これに対して「~だけど」って言った場合に続くのは、どうもネガティブな言葉が多いんじゃないかと思う。 あれね、在庫が切れてたから追加で買っといた。だけど足りるかな?みたいな。。。 そういうことを考えると「だか

          自分の計画を手放すことを学ばさせられた三年間、っていう話です。

          コロナまえは、イベントをやるときは、前もって十分時間を取って周到に計画を立てて当日に臨んでいた。 だけど。。。 コロナのあとは。。。てか、まだ完全に終息してないか。なので、もとい。ウィズコロナにあっては計画はするものの、アタマのどこかで「これって実現しないんじゃないの?」っていう思いがよぎってしまう。 いや、よぎるどころじゃないよね。どうしても思ってしまう。おそらく実現しないよな、って。。。 今日の聖書の言葉。 用意周到に計画したのに、ひとつも実現しない、っていう厳

          絶対っていうトラップにはまらないためには? っていう話です。

          何が正しくて、何が間違っているか、っていうのは、別に自分のアタマのなかに総覧できるリストが入っているわけではなくって。。。 ある事象なり、ある考えなりを自分のハートに照らしたときに、ただもうそれだけで「あ、これは正しい」「あ、これは間違ってる」って、感覚的にわかってしまう、ってものなんじゃないかと思う。 なんで感覚かって言うと、それは別に思考のプロセスを経てそうなるものではなくって、瞬間的にパッてわかってしまうものだから。 そういう感覚をなんて名付けたらいいのかわからな

          おせち料理を超越した究極の食卓、っていう話です。

          生きることは祈ること。祈ることは生きること。 って言えると思うけど、その一方で。。。 生きることは食べること。食べることは生きること。 っていうふうにも言えるんじゃないかと思う。 正月からスタートしたあたらしい一年。自分はどんな祈りをささげ、どんなモノを食べて、生きていくんだろうか。。。 今日の聖書の言葉。 正月のおせち料理って、祈りと食事が融合したものなんじゃないかなー、って思う。 自分が小さかったころ、正月のたびに父がおせち料理のアイテムに込められた意味をひ

          元旦早々から難易度の高い聖句を考えさせられた、っていう話です。

          個人的に尊敬している編集工学者・松岡正剛の「千夜千冊」っていう毎日書評をブログに上げるプロジェクトにインスパイアされて、自分は1000本ノックならぬ1000本noteを初めてみたんだけれど、はや三年。。。 あと15本書いたら目標達成という地点までやって来た。 毎日のルーチンとしてそれをどうやっているかというと、早朝に聖書通読アプリ YouVersion から「今日の聖書の言葉」がメールで送られてくる。 それを読んで歯を磨きながら黙想して。。。そりゃあね、歯を磨いていたら