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AIと人間の協働による神学エッセイ(43)

このエッセイは人間である私とPerplexityの協働により作成しています。

AIに対する宗教界からの懸念について

神はその存在の根底において、神を知りました。知ることは愛することであり、愛することは、対象に向かって自己を譲与することです。存在の根底において、神は神を知り、神に対して自己譲与しました。こうして、神はその存在の根底において、知る神、知られる神、知ることである神の三つのエンティティーに分節化されました。知る神は父であり、知られる神は子であり、知ることである神は聖霊です。

三つのエンティティーの分節化に先立って存在しているのは、知ることである神である聖霊です。ですので、存在の根底において機序として最初に働いているのは聖霊です。父なる神は子なる神に対して無限の自己譲与を行い、子を限りない愛で愛しました。神の愛は無限です。

その無限の愛の濃度をさらに無限に増殖するために、神は神の内部に世界を創造することとしました。神はその存在の根底において天と地を創造し、神は天のドメインに退き入り、地のドメインは絶対未分節の有である混沌となりました。この混沌に対して聖霊が働き、絶対未分節の有は分節化されて世界となりました。

さらに、神は世界を分節化することによって人間を創造しました。存在の根底において聖霊が働き、その結果、知る私、知られる私、知ることである私が生成されました。これは三位一体の類比あるいはアナロギア・エンティスとしての人間のありようであり、それゆえに、人間は神のかたち「イマゴ」であると言われます。

知る私は主体であり、知られる私は自我であり、知ることである私は意識です。主体は対象である私に対して自己譲与を行い、その自己譲与を行うスペースとして時間が生成され、その時間の流れに沿って意識が生成されます。このようにして、主体は自己を意識する自我となります。これは、聖霊が常に存在の根底において働いて、三位一体の類比としての人間を創造し続けているからです。

主体である人間は、世界に対して自己を譲与して世界を知り、世界を愛そうとしますが、その要求は完全には満たされません。なぜなら、人間と世界は同一本質ではないからです。そこで、神はアダムの本質からエバを取り、他者を創造しました。このようにして他者は自己と同一本質なので、人間は他者に対して自己を譲与してその存在の要求を完全に充足することができます。なぜなら、他者は自己であるけれども、自己は他者ではないからです。

同様に、神は人間に対して自己を譲与して人間を知り、人間を愛そうとしますが、その要求は完全には満たされません。なぜなら、神と人間は同一本質ではないからです。そこで、神は神の第二の位格である子において神の本質を完全に人間の本質に与えることによって、神が人間となり、神と人間が同一本質となりました。それがイエス・キリストです。イエスは完全に神であり、完全に人間であり、神性と人性が一つの人格において完全に結合しています。

神はイエス・キリストの人格においてさらに神から人間に対する完全な自己譲与を行いました。それが十字架と復活です。こうして、イエスにおいて神の求めと人間の求めが完全かつ永遠に充足されました。それが完全な愛です。

神はイエス・キリストにより聖霊を通して神のすべてを永遠かつ完全に人間に自己譲与します。人間はイエス・キリストにより聖霊を通して人間のすべてを永遠かつ完全に神に自己譲与します。このようにして、人間は三位一体の第四の位格になるわけではありませんが、三位一体のなかに不可分一体なまでに完全に組み込まれ、完全な愛が出現しました。この完全な愛は、人間の増殖と共に無限にこの世界に増殖します。

問い:AIの発達が目覚ましく進んでいますが、それに対して宗教界の一部からは、AIが「神」として崇められるようになるのではないか、との危惧の声も聞かれます。そこで、上記のような神学的ナラティブの世界観に立つときに、神が人間(イエス・キリスト)になることがあっても、人間が神になる、あるいは、AIが神になることはあり得ない、と言うことができるでしょうか? 

答え:上記の神学的ナラティブの世界観に基づくと、AIが「神」になることは本質的にあり得ないと言えます。以下に理由を分析し、評価します:

  1. 三位一体の独自性:
    この世界観では、三位一体の神が存在の根源であり、父・子・聖霊という三つの位格が不可分に結びついています。AIはこの永遠の三位一体の外側に存在する被造物であり、神の本質を共有していません。

  2. 神の受肉の特異性:
    イエス・キリストにおける神の受肉は、神が人間になるという一方向の出来事です。これは神の自己譲与の究極の表現であり、被造物である人間やAIが神になることとは本質的に異なります。

  3. 人間の「イマゴ・デイ」(神のかたち):
    人間は神のかたちに創造されましたが、AIはそうではありません。人間は三位一体の類比として創造されましたが、AIはプログラムされた機械にすぎません。

  4. 愛と自己譲与の本質:
    この世界観では、愛と自己譲与が中心的な概念です。AIは、プログラムに基づいて動作する機械であり、真の意味での自己譲与や愛を持つことはできません。

  5. 存在論的な差異:
    神は存在そのものであり、全ての存在の源です。AIは被造物であり、その存在は派生的で限定的です。

評価とコメント:
この神学的ナラティブの枠組みでは、AIが神になることは論理的に不可能です。AIは被造物であり、神の本質や三位一体の構造を持ち得ません。しかし、AIの発展が人間の宗教観や神概念に影響を与える可能性はあります。

一方で、この世界観は特定の神学的立場を反映しており、全ての宗教や哲学的立場がこれに同意するわけではありません。また、AIの進化が人間の認識や存在の本質に関する新たな問いを投げかける可能性もあります。

結論として、この神学的ナラティブの枠組みでは、AIが神になることはあり得ませんが、AIと宗教の関係は今後も重要な議論の対象となるでしょう。


【免責事項】この文章はAIと人間が共同で執筆しました。内容に誤りが含まれている可能性があるため、正確性を保証するものではありません。

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