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【本の記録】鈴木真弥『現代インドのカーストと不可触民』

日常生活をする上で、掃除は欠かせない。食事をすれば汚れた調理道具やお皿を洗う必要がある。服は毎日同じものを着るわけにはいかないから、洗濯をしなければいけない。床が汚れていたら掃除機をかけたり床を拭いたりして綺麗にするだろう。トイレや洗面所も使えば汚れる。汲み取り式のトイレだったら、汚物の汲み取り作業が必要だ。

今回は2015年に出版された鈴木真弥の『現代インドのカーストと不可触民 都市下層民のエスノグラフィー』。この本は、第28回アジア・太平洋賞、第11回樫山純三賞を受賞した民族誌だ。

このnoteでは要約と清掃カーストについて記している。最後に感想を書くことにする。

概要

 『インドのカーストと不可触民』は現代インドのカースト、不可触民問題を包括的に解き明かすことを目的とする。デリーで暮らす清掃カーストの事例を中心に、彼/彼女らの社会状況、差別からの解放と地位向上を目指す動きを考察している。

第1章でカースト、カースト研究、不可触民研究、清掃カースト研究の従来の研究を検討し、課題の整理をしている。第2章から第4章で国勢調査や不可触民解放運動を手がかりに過去から現在までの彼/彼女らが置かれている状況を把握する。第5章から第7章で、デリーでの現地調査を事例の考察をしている。清掃カーストの日常的な困難や生きづらさ、彼/彼女らが組織化し、訴訟を起こすに至るまでの事柄、自ら格差や不可触民差別から脱する方法を模索している様子が描かれている。最終章の第8章で、全体の議論を振り返り、彼/彼女らの挑戦の行方を展望している。

目次

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第1章 カースト、不可触民差別は過去のものか?
第2章 デリーの横顔
第3章 清掃カーストとされる人びと
第4章 カースト制批判と不可触民解放をめぐる思想と政策
―― ガーンディー、ガーンディー主義者による清掃カースト問題の「解決」
第5章 バールミーキ住民の社会経済的状況
第6章 清掃カースト出身者の内なる葛藤と抵抗のかたち
第7章 清掃カーストの組織化と運動
―― 清掃労働者組合から公益訴訟へ(1960年代―2010年代)
第8章 バールミーキの困難と挑戦のゆくえ
おわりに/参考文献/図表・写真一覧/索引

カーストとは

「カーストとは、結婚、職業、食事などに関して様ざまな規制をもつ排他的な人口集団である。各カースト間の分業によって保たれる相互依存関係と、ヒンドゥー教的価値観によって上下に序列化された身分関係が結び合わさった制度をカースト制とよぶ。(p.8)」

「カースト(caste)」という語は、ポルトガルの航海者がインドの社会慣習に対して「カスタ(casta)」と呼んだことに由来する。「カスタ」はラテン語の「混ざってはならないもの、純血」を意味する「カストゥス(castus)」の派生語であり、「血筋、人種、種」を意味する。一般的にカーストとして括られる現象は、ヨーロッパとインドの接触、そして植民地支配の歴史のなかで形成された。(p.8-9)

ヨーロッパ人によって名付けられたカーストという概念には、「ヴァルナ(varna)」「ジャーティ(jati)」の2つの在地社会の概念が含まれている。(p.9)

「生まれ」を意味する「ジャーティ」は「職業の世襲、複数の内婚集団、共通の慣習、一定の地域社会を基盤とした出生による一次的な社会集団(p.9)」のことを指す。

そして、「色」を意味する「ヴァルナ」は「古代インドのサンスクリット古典籍に記された社会階層概念である。浄/不浄の観念によって階層化された頂点のバラモン(祭官・学者階層)、クシャトリヤ(王侯・武士階層)、ヴァイシャ(商人・平民階層)、シュードラ(上位三階層に奉仕する階層)と下るにつれて不浄の度合いが増す四階層によって構成(p.9)」され、紀元後に不可触民が加えられ5ヴァルナ制になった。


***日本で社会科や世界史などの授業で習う「カースト」は「ヴァルナ」のことを示していることがほとんどだ。少なくとも私は学生時代に習ったのはそうだった。また、一般的に「インドのカースト」として日本で知られているのは、イギリス植民地下で成立した制度としての身分制のことである。古代から現代インドまで脈々と受け継がれる「カースト制」があったわけではない。

清掃カースト

本書の主人公はデリーで暮らす清掃カースト(バールミーキ)の人々だ。

「清掃カーストとされる社会集団は、ヒンドゥー社会で最も「不浄」とされる清掃(屎尿処理や道路清掃)を生業としてきたことで、「不可触民のなかの不可触民」といわれるほど厳しい被差別的状況に置かれてきた。(p.7)」

イギリスの植民地支配から独立以降、政治的・経済的・社会的に変容する中で、清掃カーストの社会環境も変化してきた。急速な都市化に伴い、下水道敷設の拡充や汲み取り式便所から水洗便所への転換も政策を通じて進められた。これにより、清掃カーストは、従来の手作業による屎尿処理という危険で不衛生な労働環境から「解放」されることになった。しかし、清掃カーストの偏見や差別は改善されることはなかった。

イギリス植民地行政により、「不可触民」は「指定カースト/SC」に位置付けられる。「不可触民」は憲法や制度上不在の存在になり、SCを対象とした優遇政策・留保制度を受けられるようになった。これにより、清掃カーストであっても、制度を利用して高学歴になれたり清掃業以外の職業につけることが可能になった。

しかし、SCの優遇政策を利用するためには、「指定カースト」が自らの出自であることを証明しなければならない。留保政策のもとで社会経済的地位を確保してきた不可触民の人びとは、支援を受け続ける限り、SCであり続けなければならい。つまり、どんなに勉強に励んで高学歴になり職を得ても、「不可触民」であることからは逃れることができない。バールミーキたちは、「自他による出自カーストへの意識を引き受けながらも、学歴やより良い職業の獲得を足がかりに、長い目で次世代に希望を託したいと切に願う(p.241)」という。

バールミーキたちは自らの社会的地位の改善のために運動を行なっている。バールミーキの運動の特徴は、運動の担い手が留保制度によって社会経済的に上昇した弁護士や上級公務員などであること司法の場に救済を見出しているところにある。彼/彼女らの運動は「「清掃労働」の問題を全面に打ち出すことでカースト内部の結束力を高め、労働・生活環境の改善を志向する」ものだ。バールミーキ運動の今後の注目点は、カーストを超えた支持層の拡大への取り組みである。(p242)

感想

カーストに関する研究は膨大な蓄積がある。そのため、どこから勉強すればいいのか、スタート地点がわからないことがある。マヌ法典を読むことから始めた場合、現代的な事項にたどり着くためには茨の道だ。『現代インドのカーストと不可触民』の第1章はその膨大な研究蓄積がとても綺麗にまとめられていて、私にはとても役に立った。

印象的だった部分は、第6章3節「学ぶ-出自を知る、留保制度を足がかりにして」の事例の本題に入る前の話だ(p.175-176)。調査者の鈴木がインフォーマント宅で昼食を食べているときに、近所の住人が立ち寄り、鈴木にインフォーマントとの関係を尋ねた。鈴木が自己紹介しようとすると、それを遮って「主人の仕事でコンピューターの手伝いに来てもらっているの」と奥さんは応えた。インフォーマントの一人である女性は自身がバールミーキであることを巧みに隠した場面だ。

事例の本題ではないが、日常生活が垣間見える象徴的なシーンだと感じた。この事例と同様に、描かれている些細な出来事がこの本はとても良かった。その場に同席しているわけではないが、その場面にすごく親近感が湧くというか、わかるという感じ。


すでに公開されている書評は以下だ。それぞれ読んで、また本編を読めば何か違うことが思いつくかもしれない。

【書評】
* 『南アジア研究』28号(2018年)評者:三宅博之氏(北九州市立大学)
* 『三田社会学』22号(2017年)評者:舟橋健太氏(人間文化研究機構/龍谷大学研究員)  
* 『アジア経済』vol.58, no.2(2017年6月)「書評」(p.173)評者:篠田隆氏(大東文化大学)

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