人気の記事一覧

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問題に対しての僕なりの解答

2週間前

「21世紀のアイヒマン」は昭和企業の歯車人間ではなく、むしろ「意識高い系」なのではないかという仮説

人間はどのような条件下で「制作」に動機づけられるのか、という問題を再考する(國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を手がかりに)

3週間前

「なぜ人間は〈働く〉ことでカネも承認も社会的な役割も得ようとしてしまうのか」という問題を考える

本屋が街から消えたあと、都市に必要な本屋「的な」場所について考えてみた話

2か月前

この春から働き始める新「社会人」のみなさんは、「世間人」にも「共同体人」にもならないで欲しいという話

1か月前

僕が江東区の自民(維新)支持者だったら、(いろいろ文句はあるが結局)乙武さんに入れるしかないのではと考えるその理由

2週間前

「敵」が醜く描かれる世界は果たして「リベラル」であり得るのか(たぶん、難しい)という話

2週間前

「幸福」「ウェルビーイング」を社会的な価値として「定義」したくなる人間の欲望はかなり危険なのではないかという話

1か月前

「贈与経済」は「怪獣使いと少年」を救えない(むしろ追い詰める)という話

2週間前

『オッペンハイマー』と「歴史」の問題

1か月前

人間は「公共」の場では、むしろ「何者でもない」存在として扱われるべきなのではないか、という話

「新NISA(的なもの)」が可視化してしまった「日本は当面よくならない」という諦めが社会にもたらす(悪)影響について

2か月前

「チート化する社会」という不可避な不幸が、そこまで迫っている(もう訪れている)のではないかという話

1か月前

平成の「改革」という「物語」が終わったあとに、この国の政治に必要なことは何かを考えた話

「自民公明党」「立憲共産党」「国民維新の会」の3択を迫られる時代が来たときに「メディア」はどうあるべきかという話

在野研究者やフリーの書き手がもっと「食べやすく」なるために整備したいある回路について

1か月前

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の再読から考えた「退屈」が既に攻略された世界の問題

1か月前

続『葬送のフリーレン』と〈母親〉の問題

2か月前

久しぶりに訪れた石巻で「本当に必要だったのは〈復興〉ではなかったのではないか」と考えた話

2か月前