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「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問題に対しての僕なりの解答
「21世紀のアイヒマン」は昭和企業の歯車人間ではなく、むしろ「意識高い系」なのではないかという仮説
人間はどのような条件下で「制作」に動機づけられるのか、という問題を再考する(國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を手がかりに)
「なぜ人間は〈働く〉ことでカネも承認も社会的な役割も得ようとしてしまうのか」という問題を考える
本屋が街から消えたあと、都市に必要な本屋「的な」場所について考えてみた話
この春から働き始める新「社会人」のみなさんは、「世間人」にも「共同体人」にもならないで欲しいという話
僕が江東区の自民(維新)支持者だったら、(いろいろ文句はあるが結局)乙武さんに入れるしかないのではと考えるその理由
「敵」が醜く描かれる世界は果たして「リベラル」であり得るのか(たぶん、難しい)という話
「幸福」「ウェルビーイング」を社会的な価値として「定義」したくなる人間の欲望はかなり危険なのではないかという話
「贈与経済」は「怪獣使いと少年」を救えない(むしろ追い詰める)という話
人間は「公共」の場では、むしろ「何者でもない」存在として扱われるべきなのではないか、という話
「新NISA(的なもの)」が可視化してしまった「日本は当面よくならない」という諦めが社会にもたらす(悪)影響について
「チート化する社会」という不可避な不幸が、そこまで迫っている(もう訪れている)のではないかという話
平成の「改革」という「物語」が終わったあとに、この国の政治に必要なことは何かを考えた話
「自民公明党」「立憲共産党」「国民維新の会」の3択を迫られる時代が来たときに「メディア」はどうあるべきかという話
在野研究者やフリーの書き手がもっと「食べやすく」なるために整備したいある回路について
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の再読から考えた「退屈」が既に攻略された世界の問題
久しぶりに訪れた石巻で「本当に必要だったのは〈復興〉ではなかったのではないか」と考えた話