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「政治」とうまく距離を取るために必要なこと

さて、今日はちょっと「そもそも」の話をしたい。なぜ「そもそも」の話をしたいのかというと、都知事選後の状況を見ているとこの国については左派と冷笑の100年戦争の結果として自民小池的なものが漁夫の利的にずるずる延命し続ける未来しか見えないからだ。そして「国内政治の話(笑)」みたいな感じを隠さない、リジェネラティブなビジネスイベントとかに出席しまくっている人たちの「アフリカの難民には興味津々だけど渋谷のホームレスには無関心」な感じもちょっとあんまりだと思う。

「政治がよくならないと社会が良くならないのは前時代的な考え方だ」とドヤ顔で語り、SDGsとかソーシャルイノベーションとか冠についたイベントに出席してはFacebookで登壇者にタグ付けした投稿をしている「意識の高い」人は、政治的なアプローチがないと救えない人がいることを少しは勉強して知るべきだし、そもそも中学校の歴史の教科書から学び直すべきろう。

で、今日の本題は「政治的なもの」とどう距離を取るかという話だ。僕の考えでは、問題はここに尽きる。いま、池に落ちた犬(蓮舫)に石を投げて笑うと自分が強く賢く見えると考えてそれを実行する冷笑系言論人ほど醜いものはないし、逆に蓮舫が3位になった途端に小池よりも石丸が憎くなって毎日中傷を投稿している左派は明らかにショックから「敵」を見失っている。

つまり「政治」的なアクションをSNSを舞台に展開すると、人間はインスタントに承認を獲得することができすぎてしまうせいですっかり中毒になってしまう。一方で「これからは政治ではなく経済。イノベーションで世界を救います」的な薄っぺらいキャッチフレーズのノリで生きているおじさんたちは、自分がたまたま経済成功している立場にあぐらをかいて、ビニールハウスの中から安全な話題だけにコミットして、泥臭いところから目をそらしているだけだ(だから「政治的アプローチしか届かない領域」が目に入らない)。

つまり、前者は政治に「近すぎ」て、敵を叩き味方に承認される中毒でおかしくなり、後者は逆に「遠すぎて」政治的なものを過小評価している。じゃあ、どうすればうまい具合の中距離というか、状況が変化しても中距離でいられるように自分を保てるのか、という古くて新しい問題について簡単に考えてみたい。

僕の考えはざっと3つある。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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