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自民党総裁選と立憲民主党代表戦のクリティカル・ポイント

さて、今日は久しぶりに「政治」の話をしたいと思う。先日、古谷経衡さんと久しぶりに対談した。テーマはこの国の「保守」だったのだけど、時節的に自民党の総裁選の話題にも多く触れている。

この議論の内容は動画のほうを見てほしいのだけど、今日ここで書きたいのは別の話だ。
これを言うと、いろいろな方面から怒られそうなのだけど、やっぱり僕はどこかで、立憲民主党と日本維新の会は共闘するべきだと思うのだ。

僕は立憲民主党の左派の一部には、さすがにもうちょっと考えてほしいというか、それでは旧社会党的な敗北主義(最初から2着狙いで正義顔しながら安定保身を試みる)の縮小再生産にしかならないのではないかと疑問を感じているし、日本維新の会についてはちょっとそのポピュリズム的な手法とか、たくさんいるモンスター議員の排除とか、本当にそういう人が混じっているのとマーケティング的においしいと思っている人たちが両方いるせいで出てくるネトウヨへの目配せとか、そういう「体質」そのものをそろそろ改善してもらわないと絶対に支持できない。

しかしいくら考えても、この国に潜在的な政権交代の可能性を考えるなら、この二党がそれぞれ変わって、妥協できるところは妥協して「組む」しかないと思うのだ。

では、どこが妥協ラインか。

僕の考えは、改憲は認める。しかし「ネトウヨ」的な歴史修正主義や性差別には、徹底して抵抗する。というラインだ。

現状では一国平和主義を結果的に肯定してしまう9条が、現状の国際関係上平和主義として必ずしも機能しないのは自明なので最終的には自衛隊を国軍化した上で、あらためて憲法前文のコスモポリタニズムに従って、平和主義勢力として国際社会で活動する宣言をする、というのが妥当だと僕は思う。(よく言われるのだけれど、解釈改憲でなんでもありになっている自衛隊よりも、法で厳しく統制された国軍のほうが安全だ。そして解釈改憲という「裏ワザ」は自衛隊が法的に「曖昧な」存在であることを利用したものだ。)

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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