見出し画像

『虎に翼』と〈戦後〉の問題

さて、先日成馬零一さん、三宅香帆さんの3人で朝ドラ『虎に翼』についての中間総括的な座談会を行った。

これ、普通に面白いのでみんな見て欲しいのだけど、今日はこの座談会を通じて考えたことを書いてみたい。僕がこの『虎に翼』の後半戦で注目しているのは岡田将生演じる星航一とヒロイン・寅子とのロマンス……ではなく「戦後」をどう位置づけるのか、という問題だ。

座談会でも話したが、この『虎に翼』の特徴は「法」というモチーフにある。寅子は、フェアなルールによって定められた「法」にしか納得しない。決して、共同体のなかの「空気」に流されることはない。彼女の「はて?」という「異議申し立て」は基本的にルール(法)を無視して「そういうことになっている」という「空気の支配」に対してものだ(もしくはそのような「空気」に支援された間違った「法」に対してのものだ)。

要するに、寅子はルール(社会)と運用(共同体)では前者を支持する人間として描かれる。もちろん、ルールそのものがおかしいこともある。しかしそのルール(法)が間違っていると感じるなら、その間違いがルール(法」)にのっとって正されることを望むのだ。

そして戦後とは寅子のこうした信念とは裏腹に、ルールは「建前」と見なされ、「本音」での運用がルールを有名無実化して行われてきた時代であり、そしてそこではその態度が「清濁併せ飲む」ことでの「成熟」だとされてきたのだ。その代表が「解釈改憲」で「なんでもありになった憲法9条の問題だろう。

ちなみに誤解しないでほしいが僕は憲法9条は改正して、将来的に自衛隊は国軍にすべきだと思っている。僕は別にかつての「勇ましい日本」がいいとは1ミリも思っていないが、さすがに現状の9条はあまりに「一国平和主義」すぎると考えるからだ。そして僕は憲法すら「運用」レベルで有名無実化し、「解釈」でなんでもやってしまう「空気の支配」は単純に法治国家として未熟すぎると考えている……というわけだ。だから僕は寅子の「はて?」には、かなり深いレベルで共感しているのだ。

つまり寅子の「はて?」という異議申し立てとは、要するに「空気の支配」に対する「法の支配」からの「異議申し立て」だ。しかし、戦後社会とはやがて日本国「憲法」すらも裏切る「空気の支配」の国になっていく。これに対して、寅子が後半戦でどのような態度表明をするのかを、僕はとても注視しているのだ。それは「右」と「左」の対立ではなく、「法」と「運用」、社会と共同体の対立なのだ。

この寅子の「はて」をめぐる「法」と「運用」、社会と共同体の対立を考える上で補助線になるのが、丸山眞男に対する吉本隆明の批判だ。

ここから先は

997字
僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。