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「石丸現象」の分析から考えた「改革」の「ガス抜き化」リスクと「そうならないための3つの提案」について

さて、今日は昨日記した都知事選……というか、都知事選の「ネタ化」が象徴する政治的なニヒリズムについての議論の続きだ。僕の考えは「政治的に振る舞うことを目的にしてはいけない/しかし、政治的に振る舞うことを恐れてはいけない」というものだ。要するに、昨今のインターネット・ポピュリズムは正しく軽蔑しながら、確実に効果のある打ち手を一つ一つ打つことと、地道にベタな啓蒙を続けることだ(すべてを解決する「魔法の杖」以外は欠陥商品だと「批判」してドヤ顔するTwitter病患者は、小学校の社会科からやり直して来たら良いと思う)。

今回の選挙で言えば、過激な文言(「◯◯に連帯しない人はブロック」的な物言い)で気持ちよくなっている人はしっかりたしなめながら、二択のうちマシな方を総合的に考えて投票するしかない(昨日も書いたが僕は「今のところ」蓮舫に入れると思う)。

ちなみにこういうときに「どうせ何も変わらない」と言いたがる人は、単にマクロな社会はさすがにすぐには変化しない(規模が大きいものは変化が見えにくい)ことを利用して、「ほら、何も変わらなかっただろう」「変わらないと言った俺が正しい」「俺はお前より賢いのだ」と後出しジャンケン的にアピールしたい人で、ただの安易で卑しい人たちだと僕は思う。

こういう手合いは正しく軽蔑されるべきだし、こういう言説でコンプレックス層を動員して課金させたがるメディアや言論人もまた、しっかり軽蔑されるべきだと思う。(「俺賢いアピール」をTwitterやFacebookでするのが気持ちよくて、この手のペテンに引っかかっている人は、僕の同世代の男性、特に中途半端に地位がある人に多いと思うのだけど、本当にみっともないからマジでやめたほうがいいと思う……。)

さて、その上で今回考えてみたいのは「石丸現象」だ。都知事選を「売名利用」することの是非は、一度置いておく。彼の政策には賛成できるものと、そうでないものがあるのだけれど、今日ここで論じるのは彼の出馬のもたらす「ガス抜き」効果だ。

昨日、古い友人がFacebookでこの石丸伸二を「敗北主義」として批判していた。敗北主義とは、ある種の左翼用語で最初から勝利を目的とせず、敗北を前提としているのだが他の目的(「やりきったという自己満足」とか「正義のために殉じたというナルシシズム」)は満たされたから良い、という考え方だ。つまり彼は石丸のような「改革勢力」がもはや「敗北主義」的なガス抜きになっていることを指摘したのだ。

要するに、平成の政治改革を信じていた30後半〜40代の「ガス抜き」として、まるでかつて(今の)左翼のように石丸(的なもの)が最初から二番手、三番手狙いの「敗北主義」として機能しているのでは……ということだ。僕はこの指摘は、的を得たものだと思う。たとえば僕は国政レベルの「日本維新の会」の活動は、実質的な敗北主義に陥っていて、そのために左派(立憲民主党など)に対しては「批判すること」が手段ではなく目的に近づいているとすら感じているし、度々そう指摘していた。

僕もまた(彼個人の資質は横に置いた上で)「石丸現象」は平成の「改革」勢力が本格的に現実的な批判勢力ではなく、一部の有権者のガス抜きを担当し、セコく議席やYouTubeの登録者数を稼ぐ「敗北主義」に陥ってしまったことの象徴だと考えている。言い換えれば、このままでは平成の「改革」を支持していた層は、55年体制下の旧社会党的な「左翼」の位置ーー社会は変わらないけれど自分は正しい側にコミットしているのだから知的で誠実だと確認できるのでOKーーに落ち着いてしまい、彼らの好きな言葉を使えば「批判だけしていればいい」状態に甘えてしまうようになってしまうと思うのだ。

では、どうするか。ここでは「改革」勢力とその支持者にとりあえず3つの提案をしたい。それは「右派マーケティング(歴史修正主義や排外主義、女性差別)から手を切る」こと、「既得権益批判」と「リバタニアリズム」をデカップリングすること、そして「経済よりも社会をケアすること」の3つだ。これは石丸批判ではなく、「石丸現象」をポジティブに今後に活かすための提案だと思って欲しい。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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