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都知事選が「こうなって」しまった問題の本質にある「糸井重里的穏当さ(ニヒリズム)」について考えてみた話

さて、今日は「都知事選」について考えてみたいと思う。僕は結論だけ述べれば、蓮舫に投票すると思う。特段彼女が良い候補だとは考えていないが、今回の選挙は実質的に二択なので小池百合子の3期継続よりは、長期的に東京と日本によい効果があると考えるからだ(それ以外の候補は実質的な顔見世なので、選挙とは無関係に評価すればよいだろう)。もちろん、この判断には国政レベルの、どうせ何も変わらないという政治的ニヒリズムに一石を投じる効果や、長期的な野党再編への影響も視野に入れている。

で、その上で今日は少し別のことを考えてみたい。

それはこの都知事選が象徴する政治の「あり方」の問題だ。誤解しないでほしいが僕は政治のエンターテインメント化を強く批判したいとは考えていない。いや、ダメなんだけど、今のようなお祭り騒ぎは次の大きな選挙から「当たり前」のことになり、とりわけ大騒ぎにはならなくなり、「まあ、大きな選挙だからこういうの湧いて出るよね」的に流されるようになると思う。なので、有名になりたくて出馬する泡沫候補の問題には(よくないとは思うけど)それほど強い関心はない。

僕が気になっているのは問題はどちらかと言えば暇空茜などの、カルト的候補の台頭だ。これをSNS(具体的にはX)上のマーケティングが生存戦略に直結している言論人やメディアが支援するメリットが大きいことは明白で、そのためこの種の勢力はこの先大きく拡大していく可能性が高いと思う。したがってこれらの候補は単にYouTubeの登録者を増やしたい他の泡沫候補とは違い、持続的な社会運動の中核として定着する可能性が高く、いかにその主張の内容が稚拙なものであったとしても、その影響力を軽視してはいけないだろう。

そしてこの問題はもはや選挙制度や情報環境のコントロールでどうにかなるものではなく、この種の安易さに対抗できる思想が、左右ともに存在していないことに起因する。それを無知と無思慮からくる肥大した被害者意識だと「正確に」批評し、こきおろすのは簡単なのだがこれを「解除する」のは途方もなく難しいと思うのだ。

僕はこの問題についてはかなりネガティブな未来予測をしている。おそらくこの空疎さと醜さに、「持てる者」たちは関心を示すことなく、実質的に社会が「分離」していくようになるだろう。若く能力に恵まれた人は、どんどんこの国を離れ、グローバル市場に活躍の場を求め、意識としては日本国民ではなく世界市民となるだろう。そして、SNS上のこうしたカルト的なマーケティングに対しては軽蔑だけを仲間同士で共有し、「見ないこと」にするだろう(国内政治への関心を失い、地球環境や南北格差ばかりが意識される)。そしてこの種の反動的、ミソジニー的な「社会運動」は野放しになり、彼らの敵視するタイプのマイノリティはアッパークラスの「無関心」のもとに助けを得られず放置されるのだ。

では、どうするか。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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