おもいかえせば、"本当に楽しいことをしているとき"は、自分の挙動など省みていない。対象と一体化しているのだ。鏡をみるとき、カメラで自己を映すときほど、なにかに困っていて、迷っているときなのだ。ここは盲点でもあった。答えは、すぐ其処に有る。だから一緒に楽しいことをしようではないか?
おもいかえせば、自己をふりかえり、省みるときなど、おおかた何かに悩んでいるときであった。つまりは、そんなときに、鏡をとおして、"ほんとうのじぶん?"、を見つめたところで、いやになって、失意にまみれてしまうのも当然のことなのだ。