現代版・徒然草【6】(第31段・雪)

朝起きて、窓の外を見て雪がちらほら降っていると、現代の私たちでも、なんだかホッとうれしい気分になり、家族や友達に「雪だねえ」などと言って、そのうれしさを共有するだろう。

それと同じことが、兼好法師が生きた時代にもあったわけで、今日は、第31段の原文をみてみよう。

雪のおもしろう降りたりし朝、人のがり言ふべき事ありて、文(ふみ)をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事に、「この雪いかゞ見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは。返す返す口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。 今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。

この段の冒頭は、兼好法師が、雪のことではなく他の用件があって、相手に手紙を出した場面である。「人のがり」というのは、「相手のもとへ(相手に)」という意味である。

この相手は、遠方に住んでいる人というより、近所の人であろう。誰かに手紙を持たせて相手の家に届けさせることは、当時は当たり前のことだった。電話すらない時代である。

それで、兼好法師がその日の朝の雪のことにまったく触れていなかったものだから、手紙をもらった相手は、次のように返事したわけである。

「今朝の雪をどう感じたかということを一筆も入れないほど、情趣に理解のない人の仰ることを聞き入れることができようか。本当に情けない人だこと。」

返事の言葉遣いは丁寧なので、そこまで険悪なムードにならなかったとは思うが、兼好法師は、相手の指摘に「をかし」と思ったのである。

変だとか笑ったとかいう意味ではなく、感心したのである。

その人が今となっては亡き人である、こんな他愛のないことも忘れることができないのだと、兼好法師は回想しているわけである。

やはり、時候の挨拶というのは、今も昔も大切である。社交辞令とはいえ、お互いが共感できるような話題を一言添えると、相手にも良い印象を与えるのである。

私からも皆様に一言。

良い週末を!!




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