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【エモいと思ったとこ】葬送のフリーレン2周目、第5話~第11話も濃ゆいわ

前回に引き続き、原作未読のアニメ「葬送のフリーレン」の視聴2周目の個人的にエモいと思ったところを綴るやつの2本目です。ネタバレがあるので未視聴の方はブラウザバックを推奨します。それでは、行きましょう。


3.2周目で抽出したエモいところ

3-5.第5話=ただ一緒にいることよりも大切な関係

幻影鬼アインザーム戦において、フリーレンが見た幻影はヒンメルでした。50年間師事したフランメよりも、10年間一緒に冒険したヒンメルの方が知りたい人間としての格が上になっていました。これは、単に過ごした年月以上に、関係を作りたいと願う人間がフリーレンの心の中を大きく占めるように変化したことを意味していますね。

( 'ω' ).。oO( これもう幻影鬼先生、カリスマ占い師みたいなもんやろ?

3-6.第7話=覚えていてほしいがための像

人間の記憶に長く残り続けるには、現存する名画や仏像のように長期保存可能な視覚に訴えるモノとして残すことが肝心です。第7話では師匠フランメの偽魔導書とヒンメルや勇者パーティの像が対比として出てきましたが、書物よりも像の方が明らかに視覚的訴求力に優れています。またそれに加えて、定期的に祭りを催すことで記憶が風化しにくくなっています。

そうは言っても、人間は現金なヤツです。どれだけ偉大な英雄であろうとも、自分が直接そのありがたみを享受していなければどうでもいいと感じます。薬草家に依頼されて清掃したヒンメル像や忘れられた英雄クラフトらの像のように、いつの日か見放される運命が待っています。

ヒンメルはフリーレンに忘れられてしまうことを恐れながら、それでもこの方法を信じて選びました。勇者一行の像に限らず、ヒンメル単体の像をいくつも作らせたのはそのためでしょう。どうせなら、像の台座に年号と功績を記す文言もセットで彫ってもらった方が良かったかもしれません。

3-7.第9話~第11話=死者の尊厳

勇者パーティと断頭台のアウラとの戦いにおいて、フリーレンはアウラの服従させた兵士を魔法で派手に吹き飛ばしていました。ヒンメルがフリーレンに怒ったのは、かつて彼らがアウラと戦った証拠を、武器や鎧、家紋ごと破壊してしまったからです。このことは、人間を知ろうとする前のフリーレンには全く理解できなかったでしょう。

兵士としての尊厳や北側諸国の名誉は、アウラを倒してそれらを取り返してはじめて回復することができます。グラナト伯爵も例に漏れず、息子がアウラの服従させる魔法アゼリューゼに屈服させられるシーンが描かれていました。断頭された挙げ句人殺しの道具として使役されていたことを考えると、伯爵にとっては戦死よりも心を痛めたに違いありません。

今回、フリーレンはグラナト家のみならず、北側諸国の汚名を払拭し、同時に兵士たちの尊厳を回復させる形で見事にアウラを討伐しました。こうしたのには次の理由が考えられます。アウラに「もうヒンメルはいないじゃない」とナチュラルに煽られてブチ切れたフリーレンにとって、ヒンメルは本来こういう戦い方と勝利を望んでいたはずだっていう、死者ヒンメルの尊厳を守るための戦いだったからです。しかも、アウラが大好きな服従させる魔法アゼリューゼを使わせることでアウラ自身を葬る最大限に屈辱を与える方法での勝利でした。

( 'ω' ).。oO( "死ぬまで魔族を殺し続けろ"って命令する手もあったけど「勇者ヒンメルならそうしました」ってことなんやろなぁ

戦いを振り返って、フリーレンは「でもまぁ(大切に思っている人間の尊厳を傷つけられたらちゃんと守ってあげないと、自分では回復できない死者ならなおさら)そうだよね。(人間なら)これが普通のリアクションだ」と言っているように解釈できます。第9話~第11話の中では、フリーレンがアウラを魔力量で圧倒するシーンに目を奪われがちですが、その根底には今もヒンメルの存在、ヒンメルとの目に見えない関係が続いていることを強く感じさせるのでありました。

3-8.第10話=人間らしい魔力の使い方と魔法

断頭台のアウラ戦にはもう一人、フリーレンにとってヒンメル以外に重要な人物が関わっていました。それはざっくり年表の最初に出てくる魔法の師匠フランメの存在です。

アニメのフリーレンざっくり年表

勝利の決定打となったのは、フランメ直伝の魔力制限によって自分を弱く見せかける戦法でした。魔族は横のつながりが細いことから、フランメはこの戦法が半永久的に通用するものだと見抜いていたのでしょう。ただ、それをフリーレンにやって見せた時のフランメは「誇り高き魔法を愚弄した、卑怯で最低な戦い方だ」と物悲しそうな顔をしていました。

これは2周目ゆえの憶測ですが、この言葉はフランメ自身のものではなくて、フランメの師匠ゼーリエがこの戦法を見た際に下した評価に思えてならないのです。第27話で言及されていたように、修得に長い時間がかかる上に自分が強くなるわけでもない、非効率極まりないこの戦法は短寿命の人間には合っていません。だからこそ、フランメはこの戦法の有用性を信じて、エルフのフリーレンに託したのだと思います。そして、千年越しに大魔族をも欺く騙し討ちができることを証明してみせました。

このように、フリーレンは魔力と魔法に対する考え方について、フランメが人間だった影響を少なからず受けています。それを象徴するのが、格上相手でも一発入れられる可能性を作り出す自分を弱く見せかける戦法であり、綺麗な花畑を出す魔法です。本来戦いの道具でしかなかった魔法に対して遊び心を持ち込むと言いましょうか、初手から情報戦を仕掛ける魔力の創意工夫や美的感覚に従った平和な時代の魔法は、実に人間らしい発想だと思います。

フランメとフリーレンが魔法を介して間接的に会話する師弟関係だとするなら、今のヒンメルとフリーレンは心で直接会話する"人間"関係にあると言えましょう。3-5.では少し言葉を濁しましたが、フリーレンが幻影鬼戦でフランメではなくヒンメルの幻影に変化したのは、人間を知ろうとするようになったことに伴って重要度が逆転したためだと考えられます。

第5話~第11話はフリーレンパーティの個々のメンバーの強さが徐々に明かされ、動きまくるアクションと演出方法が神がかっていました。同様に、魔族もただ倒されて終わりにするのではなくて、そこに至るまでの見せ場を用意してくれていたおかげで憎めない良いキャラクターに仕上がっていました。やはり、悪役は悪役なりの美学を持たせると作品が引き締まりますね。第12話以降の感想は、またこれとは別のnoteにアップロードしたいと思います。

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