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過保護な上司による弊害

以前のコラムで、成長に必要なのは経験そのものではなくて、その「経験にどう向き合ったか」という行動から得た結果へと繋がる因果関係の蓄積が重要と述べました。

こうしたらああなった。
ああしたらこうなった。

原因と結果の法則。

これらの「因果律の束」をどれだけ持つかということでセンスが磨かれ、それが成長と表現されるということです。

そういう意味では、因果律の束を積み重ねていくためには、やはり沢山のことを経験する機会は不可欠です。

ところが、過保護な上司のもとにいると、全てをしてもらうのが当たり前になってしまったり、間違いをしでかす前に手や口を出されてしまったりするために、本来経験しておいた方がいい出来事にしても、本人が気づかないうちに事前に回避されてしまうという可能性が生じます。

子供が転びそうになる前に手を差し伸べてしまうので、その子供はいくつになっても転ぶことの危険性を知る機会がなく、かえっていつか大怪我を負ってしまう可能性が高まります。

転ぶ前に手を伸ばしてその腕を掴むのではなく、大怪我に繋がる危険性がなさそうであれば、ある程度転ぶ経験をさせてみて、それから転んだ相手に手を差し伸べる。

これを我慢して見続けることができるかどうかが、上司の役割なのだと思っています。

やはり成長している部下というのは、様々な経験を乗り越えてきています。

組織の中においては、お客様からのクレームの対応や事故の対応なども、上長になってみて誰もが初めて経験する出来事かもしれませんが、多くの人に対応して、そこに「どう向き合ってきたか」の積み重ねが自らの血肉となっていきます。

過保護な上司は、部下の役割にまで手を出していきます。

例えば、本来は所長が対応すればいい事案に対しても、「私が行く」と出張ることによって、解決はするかもしれませんが、部下である所長の経験の機会を奪います。

そして、本来はその拠点のリーダーであるはずの所長は、いつまで経っても上司の指示を仰がないとひとりでは何も出来ない腑抜けとなりますし、そのようなリーダーを上司として持ったスタッフたちの不幸もそこにあります。

偏見かもしれませんが、叩き上げの修羅場をくぐり抜けてきた親の二世議員さんや二代目社長にはこういったタイプの人が多いイメージがあります。

以前、賞味期限切れのお菓子を販売したり、産地偽装の商品を売ったりしたとして廃業した高級料亭の記者会見を思い出してみてください。

あなたはアホな息子の横にいる、ささやき女将のような上司になっていませんか。

アホな息子の責任も重いですが、そのアホな息子をつくり出したのはささやき女将の関わり方の問題なのだと思います。

過保護な上司が、無思考、無責任な役職者を生み出します。

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