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気づきの本質

お客様サービスにおいては、気づきの感性というものはサービスの質に直接反映されますので、とても大切な要素だというのは誰もが認めることだと思います。

これまで過去のコラムでも何度か「気づき」については触れてましりましたが、あらためて取り上げてみたいと思います。

おさらいにもなりますが、気づきは何から生まれるのか。

それは、「比較」から生じます。

向き合う事象の正しい状態や本来の在り様を知っておくことで、その状態から変化した在り様、つまり異常な事態に気づけたりや違和感を覚えることが可能となります。

看護師さんたちが患者さんの状態の可否判断をする際のバイタルチェックというのも、比較することで判断が可能となる「気づき」のひとつです。

向き合う患者さんの普段の状態、正常値を知っておくことで、バイタル測定をしたその結果の数値をみて、正常値なのかそれとも異常値なのかを判断することが可能となります。

環境への気づきも同じです。

普段からきちんとお部屋をキレイにされている人は、床に落ちているゴミに気づけることができます。

さっきまで、そのゴミがあったかどうかが分かるからです。

これが、ゴミ屋敷に住んでいる人だと、そうはいきません。ゴミが散乱する状態の中に新たなゴミがもうひとつ加わったところで、おそらく気づくことはないでしょう。

正しさを知らない人には誤りを感じることはできない、ということです。

バイタルやお家の中といった環境だと正しいか正しくないかが分かりやすいですが、これが「人間の考え方」となると、少しややこしくなります。

考え方については、正しいとか間違えているというよりは、その人の持つ思想や価値観のレベルが高いか低いか、という判断になります。

では、何をもって思想のレベルの高低差が生じるかといいますと、それは思考の優先順位を相手に置くか、それとも自分に置くかの差です。

つまり、高いレベルの思想や価値観というのは相手本位であり、低いレベルの思想や価値観というのは自分本意であるということ。

ただ、人間ですから、だいたいの人の中には両方の要素が備わっているはずです。

大事なのは、「本来こうありたい」と思っていた理想の自分の在り方に対して、現実の今の自分はどうであるか、そこを振り返ることができるかどうかがその人を成長させるきっかけになるということです。

理想の自分のイメージに対して、「今のままではいけない」と感じることができるのであれば、そこから理想に向かっての道筋ができますし、「まあ、このままでいいか」となれば成長への歩みは止まることとなります。

「こうありたい」「こうなりたい」という自分の良心や道徳観ともいえるイメージが、本来の自分にとっての正しさなのだと思います。

あとは、この正しさと現状の自分の姿を照らし合わせて生きていくか、それとも見ないふりをして生きていくかが、この先、気づきのある生き方ができるかどうかの分かれ目となることでしょう。

この、成りたい自分のイメージと照らし合わせることこそが、最大の比較であり、一番大事な気づきだと学んできました。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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