アドバンス・ド・蜜の味 11
ふぁあ。生あくびをひとつ。
次の日の朝――。
さっそく私は春吾さんと呪法陣の実態をたしかめるため、本陣、平安通、東別院、覚王山、六番町、星ヶ丘をめぐることにした。テツさんは「素人が手を出すな」とは言っていたけど居ても立ってもいられなかったのだ。まずは一番実家から近い星ヶ丘駅で降りて付近を探索する。
「真冬さん、こんな朝早くから大丈夫ですか」
春吾さんは朝からずっと私のことを気にかけてくれている。私は全力の笑顔で「ぜんぜん大丈夫です」答えたかったのだけれど眠すぎてそれどころじゃなかった。すると三越から東山動物園方面へ向かって星が丘テラスの横を通り過ぎたとき、チューリップハットに長髪丸眼鏡。白シャツにサロペット姿の男性とすれ違った。私はその顔に何となく見覚えがあったので思わず振り返った。誰だったっけ?。
――どうしたんです?。
う~ん……。
結局、私たちは20分ほど星ヶ丘駅の周辺を散策してとくに何も見つけられなかったので次の目的地である覚王山へ向かった。星ヶ丘駅から地下鉄に乗って対面式の赤いロングシートにとなり合って座る。
――覚王山かあ。何年か前にJazzを聴きに来たことがあります。
ぐぅ……。
――寝てる!。
何やら春吾さんが話しかけてきたけれど私は席につくとすぐに眠ってしまって、すぐに起こされてしまった。覚王山は星ヶ丘からわずか3駅先だった。私たちは地下鉄1番出口からひとまず日泰寺へ向かった。
ちなみに日泰寺の「泰」は「タイ王国」という「タイ」らしい。その山門へとつづく参道には昔ながらの専門店や若いクリエイターが営む雑貨屋などが混在している。しばらく歩いていると星ヶ丘で見かけたチューリップハットの男性とまたすれ違った。う~ん……。はっ、思い出した。
ぽん・つく・ぱん・つく!。
――急にビートボックスの練習ですか。
今のひと……。SBBBQでビートボックスを担当していた亀島羊一郎くんだ。私は中学生時代、学校は休みがちだったのだけれど夏美が龍之介くんと付き合っていたのでメンバーたちとは何かと合う機会が多かった。
だから顔と名前を憶えているメンバーについては念のため経歴やら近況やらを調べていたのだ。たしか亀島くんは愛知県下にいくつもの病院を手がける医療法人「宝亀会」を経営する亀島一族の出身で、3年前までそこで働いたあと消息を絶っていたはず。怪しい……。
あのひとを追いかけます!。
――えっ。
ということで私たちの追跡大作戦がはじまった。亀島は地下鉄覚王山駅から高畑方面の電車に乗り本陣駅で降りた。本陣といえばスフィンのラストネームだわ?。ますます怪しい……。
すると彼は2番出口から大通りを西へ歩きだした。しばらく尾行していると亀島は通り沿いの薄茶色のタイルに囲まれた古い4階建てのマンションへ入った。その様子を見た春吾さんが「ここからは任せて下さい」急に頼もしいことを言って亀島のあとを追いそのマンションへ突入していった。
10分後――。
思ったよりもすぐに亀島が出てきたので慌てて電信柱の影に隠れる。するとそれに続いて春吾さんも出てきて「3階の角部屋でした」報告してくれた。すぐに出てきたということは誰かと会っていたというよりも、その部屋に何かがあってそれを確認しに来たと考えたほうが自然ですね。ひとまず尾行をつづけましょう!。
私は威勢よくそう言って一歩を踏み出したのだけれど。
ああ、もう歩けない……。
――真冬さんって唐突にHP0になりますよね。
しゅ、春吾さんだけでも彼を追ってくださ~い!。
――ヘナヘナじゃないですか。
結局、春吾さんからストップがかかって私たちはたまたま近くにあったガストで体力を回復することにした。
くすんだ茶色いソファーへ腰を下ろしへたりこむ。すると春吾さんが「あとは俺がつづけますから真冬さんは実家で寝ててください」また私の体調を気にかけてくれた。私は全力の笑顔で「ぜんぜん大丈夫です」答えたかったのだけどもう一歩も歩けなくて、本当に無理……。
ああ、私にも夏美ぐらいスタミナがあったらなあ。どうして私はいつもこうなんだろう。しばらくぼーっとしていると目の前にチョコバナナサンデーがやって来たのでスプーンですくって一口頬張ってみた。冷たっ。春吾さんが「お口に合いませんか」気を使ってくれた。彼は朝からずっと私に気を使ってくれている。
……違う。朝からじゃない。
私は突然、気づいてしまった。
結婚してからずっとだ!。
彼は私と結婚してから2年間ずっと気を使ってくれている。
私が何も言わなくても察して毛布をくれたり飲み物を用意してくれる。パフェも注文してくれる。朝ぜんぜん起きて来なくても、一日中ぼーっとしてても文句ひとつ言われたことがない。自分で言うのもなんだけど春吾さんは私といっしょにいて楽しいのかな。少なくとも彼は夏美といっしょにいるときはもっと楽しそうにしていた気がする……。
私は改めて正面に座っている春吾さんの顔をじっくり見てみた。
すると彼は私から視線を外すように横を向いてしまった。
やっぱりそうなんだ。私が夏美じゃないから。
私は夏美じゃないから……。
しばらくガストで休憩したあと私たちは例のマンションへ戻ることにした。何とか部屋のなかを見ることはできないかな。そんなことを思っていると春吾さんが「強力な助っ人を呼んでおきました」ニッコリ親指を立てた。
ほどなくして年代物の白いカローラバンがやって来た。そこから呪い専門家のテツさんこと、東山哲道が眼鏡をずり下げながら降りてきた。なんでもテツさんはどんな鍵でもカンタンに開けられる呪文を憶えているという。それってなんてアバカム?。
「よお、シュン坊。久しぶりだな」
「昨日、会ったばっかじゃないですか」
春吾さんが部屋の前まで案内する。するとテツさんは手慣れた手付きで解錠工具を腹巻きから取り出してピッキングを開始した。
ああ、普通にピッキングなんだ……。しかしいっこうに鍵は開かない。やっぱり『恋空』読んでるから?。どうやら鍵がピッキング対策をされているタイプのシリンダーだったようだ。するとテツさんは「ちょっと待ってろ」立ち上がり階段を駆け降りて行ってしまった。
数分後――。
カチャ。出し抜けに目の前のドアが開く。
部屋のなかからテツさんがドヤ顔で出てきたのだ。
「新聞なら要らねえよ?」
「いやいや、どうやって入ったんですか?」
「ベランダから侵入したのさ」
「ここ3階ですよ!?」
驚く春吾さんに彼は「まあ、上がってけよ」まるで自分の家に言い放った。そういえばこのひと、ファンキーな見た目からは想像できないくらい忍者みたいに身軽だったっけ。おそらく壁をよじ登って何らかの方法でベランダのドアを開けたんだわ。するとテツさんが「お嬢さんビンゴだぜ」ニヒルに笑った。やっぱり前歯が1本ない……。
その部屋は10畳くらいの典型的な1Kワンルームだった。カーテンは閉め切られ家電や家具はいっさい置かれておらず部屋の隅に黄色い布が掛けられた小さな祭壇が設置されているだけだった。
祭壇のうえには呪符のようなものが祀られている。でもそれが視界に入った途端、私は急に頭のなかでジェットコースターが大暴走してるような強烈な目眩に襲われて立っていられなくなってしまった。
「ま、真冬さん大丈夫ですか」
すぐに春吾さん気づいて私を介抱してくれた。
するとそれを見たテツさんが腹巻きから霊験あらたかそうな御札を取り出して部屋中の壁にペタペタを貼りはじめた。
「それは何です?」
「大事なコレクションだよ」
彼が言うにはそれは世界各国の有名な宗教家が書いた護符なのだという。すると不思議なもので目眩が治まってきたような気がしてきたのだ。おお、真冬さんの血色がみるみるうちに良くなっていく!。春吾さんが通販番組みたいに驚いた。
「すごいだろ。これは聖徳太子が書いた護符なんだ」
「こっちは卑弥呼、弁慶、サイババのやつもあるぞ?」
「ちょっと待ってください。
なんでそんな怪しいグッズが効いてるんですか!」
「わかってねえなあ」
そう言ってテツさんが護符の原理を語りはじめた。
――信じるものは救われるって言うだろ。呪力のつよさというのは信じている人間が多いかどうかで決まる。言い換えれば熱狂的ファンの多さで決まるんだ。そういう意味でいうとたぶんマイケル・ジャクソンのサインでもめっちゃ効くぞ?。
すると春吾さんが祭壇を指さして言った。
「こんなもん壊しちゃえばいいじゃないですか」
「無理だね。壊せないよ?」
テツさんの話ではこの祭壇は6つ同時に物理的なダメージを与えないと壊せないらしい。どうやら結界で守られているらしい。「だから御札で対処したんじゃねえか。まったくわかってねえなあ」テツさんはそう言って御札を一枚一枚剥がして腹巻きのなかへしまいはじめてしまった。
「何で戻しちゃうんですか!」
「大事なコレクションなんだよ」
あ、また頭がクラクラしてきた……。
そんな私の様子を見て春吾さんがようやく察したのか「わかりました。いくらですか」交渉をもちかける。結局、春吾さんはユリ・ゲラーが書いたという護符を3万円でテツさんから買い取った。そして、なるべく目立たないように天井裏に貼り付けた。すると不思議なくらい元気が出てきた。
何だか無性にスプーンが曲げたい。笑。
扶桑家薬医門の前――。
遠ざかっていく白いカローラバンに手を振る。結局、私たちは呪法陣の探索をやめて自宅へ戻ってきた。不甲斐なくてごめんなさい。謝ると春吾さんは「何を言ってるんですか。今日の真冬さん大活躍でしたよ」フォローしてくれた。あ、ありがとうございます……。
それどころか逆に「こちらこそ朝から連れ回してしまってすみません。今日はしっかり体を休めてくださいね」謝られてしまった。やさしい。
「そういえば、綾目ちゃんのことなんですけど……」
でもそれは私が春吾さんにそう言いかけたときだった。私はまた強烈な目眩に襲われてその場にしゃがみ込んでしまったのだ。
――ま、真冬さん!?。
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