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アドバンス・ド・蜜の味 8


アスナル金山でばったりと昔の女に会っちまった……。
3年前に出会い系サイトで知り合った綾目という女だ。俺のなかではもうとっくに消し去った過去のつもりだったのだがどうも様子が尋常じゃねえ。バッチバチに泣いているじゃねえか。涙でアイメイクが崩れてデビルマンみたいになってやがる。

「どうした?」

思わず声をかけちまったんだ。綾目は明らかに俺のことに気付いてドギマギしてたが「どいてください」下を向いて俺を避けてきた。
ずいぶん他人行儀なこった。もし俺が少女漫画に出てくるイケメンだったらパッと腕をつかんで強引に抱きしめちゃったりするかもしれねえが残念ながら俺は少女漫画に出てくるイケメンじゃねえから彼女に言われるがまま道を譲ってやったよ。そのまま目の前にあったPastelでなめらかプリンを2つ購入した。しばらく待っていると彼女が完璧に塗りなおされた顔で戻ってきたのでそれを渡してみたんだ。

すると綾目は「なんのつもりですか」まだツンケンしてやがる。
もちろん優しさのつもりなのだが……。


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18 19 20 21 22(完結)

亀島羊一郎「ポンツク物語①」


そんなことよりちょっと痩せたか。シックな水玉模様のビンテージ風ワンピースにお気に入りだったケイト・スペードの茶色い革のバッグをぶらさげているところを見ると今日は男とデートでもしていたらしい。
で、大方ひどいフラれた方でもしたんだろう。こんな昼間から女をふる男なんてどうせ童貞野郎だろ?。俺が言うのも何だが、あいかわらずろくな恋愛してねえようで何よりだ……。

綾目はそのままプイときびすを返して去ってしまいそうだったので俺は慌てて言葉をつづけた。よ、嫁さんと別れたんだ。お前と音信不通になってからすぐに。ついでに親の会社も辞めちまったけどな……。で、ふらふらしてたらさ、東京で音楽事務所をやってる古いダチに声をかけられて今はそこを手伝ってるんだよ。けっこう有名なアイドルとかやってたりするんだぜ?。

俺は綾目を何とか引き留めようと必死だった。自分でもなぜこんなこと口走っちまったのかわからねえ。すると彼女は「えっ」小さなリアクションを見せてくれた。やっと俺の言葉がお届いたようだ。

――古いダチって誰?。
うーん、それはちょっと言えねえんだけど。
――アイドルって誰?
それも言えねえ……。

すると綾目は「じゃあさよなら」そのまま歩き去っていくので俺は再び彼女を引き止めようと試みたもののすぐに手を引っ込めちまった。まったく俺は何をやってるんだろう。女々しいやつだと自分でも思うぜ。でも仕方ねえんだよ。俺はこいつのことが本気で好きだったんだから……。
実は綾目と付き合っていたとき俺には妻と子どもがいたんだが嫁さんとは本気で別れようとしていた。何度も何度も別れ話をしたんだ。だが向こうの親がちょっと頭がイカれてるやつで俺が別れ話をするたびに職場へタヌキを放したり、ばあちゃん家のテレビアンテナを壊したり、訳のわからねえ嫌がらせをいっぱいしてきたんだよ。

今思えばすべては資産目当てだったのだろうな。

自慢じゃねえが亀島家は代々医者の一族で親も医者、その親も医者、親戚も全員、医者、医者、医者……。
県下にいくつもの病院を手がける医療法人「宝亀会」を経営しているエリート医者一族だったんだ。俺はそんな亀島一族の本家の長男として生まれ将来を期待されて育てられたんだが、どうやら神様は俺に才能を与えるのを忘れちまったようで、なぜかサッパリ勉強ができなかったんだよな。

一応、幼稚園のころから私学に入れられ頑張ってはいたんだが小学校のころには早くも落ちぶれちまった。その代わりってわけでもねえが弟が「神童」って呼ばれるくらい頭が良かったので親たちは弟ばかりチヤホヤするようになっちまった。
おかげで俺は中学生になるころには見事にグレてたよ。そのうち地元の悪そうなやつらがだいたい集まるたまり場に毎日、入り浸るようになっていたんだ。夢中になれたのは喧嘩と女と【ビートボックス】だけだった……。

でもこのままじゃダメだと思って高校三年生のとき一念発起。何もかも捨てて勉強だけを頑張ったんだ。で、いざ受験に挑んだんだが見事に落ちて俺は浪人生になっちまった。それからは地獄の日々の始まりだ。次の年も不合格。次の年も不合格。次の年も次の年も不合格……。俺は結局、医大を5回落ちて心が折れちまった。
しばらく何にもやる気が起きなくて引きこもっていたんだが親父はそんな俺を見かねて「宝亀会」に理事長補佐っていうおなぐさみポストをつくって俺に与えたんだよ。実際の業務は理事長、つまり親父の雑用係みたいなもんだった。それでも俺は親父の期待にこたえようと運転手から掃除からお茶くみから毎日、毎日、汗水たらして頑張ったさ。当時、親父の秘書をしていた元嫁さんと付き合い始めて結婚をしたのもこのころだった……。

だがどれだけ頑張っても親父は俺のことを認めようとはしてくれなかった。何年経っても雑用すら満足にできねえ俺を皆の前で怒鳴りつけたり、足蹴にしたり、たぶんわざとだったんだろう。あえて俺に厳しくあたることで周りの人間にコネで入ってきた俺の存在を納得させようっていうパフォーマンスだったと思う。だが周りの人間たちは親父に同調するように冷たい視線を浴びせてくるだけだった。
そのころ嫁さんは嫁さんで育児ノイローゼ気味になっており家に帰ってもヒステリックにわめき散らかしてくるばかり。俺には心の休まる場所がなかったんだ。そんなとき手を出しちまったのが出会い系サイトだった。実際は婚活サイトみたいなところだったらしく最初は少し戸惑ったが出会っちまったんだよ。綾目に。

彼女は顔が丸くて性格も明るくてかわいい女だった。
綾目だけが俺の心のオアシスだった……。

俺は彼女のことを本気で好きになった。一緒になりたいと思った。だから嫁さんに何度も別れ話をもちかけたんだがそのたびに向こうの親がわけのわからん嫌がらせをしてくるもんだから俺はあるアイデアを思いついたんだ。

そうだ。亀島一族と絶縁しよう!。

さっそく俺は親父に退職届を叩きつけて、返事も聞かず理事長室のドアを蹴破り会社をあとにした。その足で嫁さんにはいっさい相談せずにマンションも車も家財道具も何もかも売っ払ってやったんだ。そしたら案の定あいつはあっさり離婚してくれたよ。金の切れ目が縁の切れ目ってか!。
だが気づいたら何もかもが遅かったんだ……。どうやら後先考えずスマホまで売っちまったものだから綾目の連絡先がそこに入ってたんだよ。ホームラン級のバカだよな?。まあ、バカなのは生まれつきなんだが。笑。

その日以来――。
俺は綾目と連絡が取れなくなっちまってあてもなく彼女を探し回ったよ。彼女の住んでる街も勤め先も何も知らなかったもんから手当たり次第に毎日探し回ったんだ。だがどうしても見つけることができなかった。たぶん運命の女じゃなかったんだな。
そう自分に言い聞かせるように俺は名古屋を離れたんだ。こうして俺は裏の世界に生きる人間になった。こんなどうしようもない俺を拾ってくれた【あのひと】のために命を捧げる覚悟を決めたんだ。

それなのに神様ときたら……。
まったく粋なことをしてくれるじゃねえか。Holy shit!!。

今さら綾目と引き合わせてくれたところでもはや俺にはあいつを幸せにしてやれることなんてできねえのさ。結局、引き止める素振りを見せながら何もしてこない俺のことなど目もくれず綾目は人混みのなかを颯爽と歩き去っていった。俺はそんな彼女の背中を見止めつつただ呆然と立ち尽くすのみ。

綾目、幸せになれよ……。



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