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アドバンス・ド・蜜の味 9


「おーい、寧太やすたー!」

高校一年のある秋の日――。
授業が終わり帰り支度をしていると窓際から誰かの呼ぶ声がした。振り返ってみると同級生の扶桑夏美ふそうなつみが窓枠に立っていた。

もう一度言いうが窓際ではない。窓枠だ。茶髪のウェーブボブカットに大きな髪飾りをつけて顔はうっすらと化粧をしておりたぶんリップクリームも塗っている。やたら袖の長いベージュのカーディガンをはおりスカートは丈を短くして穿いているようだ。お行儀が悪いことこの上ない。

君は窓を何だと思ってるんだい。尋ねると彼女はひょいと降りてきて「いいじゃん」と言った。私は是非を問うてるのではなく純粋に窓枠に立っていた理由を聞きたかったわけなのだが……。すると彼女は悪童みたいな表情かおをしてこう言った。

――ねえ、今度は野球部へ殴り込みしようかな。
君は野球のルール知らないだろう。
――いいじゃん。
その行動にはどんな意味があるんだい。
――いいじゃん。

どうやら扶桑夏美の行動原理は「楽しいか否か」であって理由や意味などはどうでもいいらしい。非常に単純明快でわかりやすい。しかしその代わり社会常識やデリカシーを置き去りにしてしまうのは年頃の女の子としてどうかと思うのである。

「夏美くん、そんな短いスカートを穿いて窓枠に立ったりしたら駄目だよ。君は女の子なんだから」私がいさめるように言うと彼女はいいじゃんと言って隣の机のうえにお尻を下ろした。さっきから君はボクの質問に「いいじゃん」としか答えないんだね。まったく便利な言葉を見つけたものだ……。

ただひとつ言っておくとそこは君の机ではないしそもそも机は座る場所ではない。

もちろん、そんな小言にも返ってくるのも「いいじゃん」だった。どれだけ言葉を尽くせばこの子は私の言うことを理解してくれるのだろうか。今、思えばそれが国語教師・池下寧太の原点だったかもしれない……。


目次 
        
10 11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22(完結)

「デマ教師・池下寧太」


職員室で書類を整理しながら私はそんな遠い昔の一場面を振り返っていた。今から私が教師生命の存亡に関わる危機に直面した話をしよう。おそらく全国的にどこの学校も似たような状況だとは思うのだがここ猫ヶ洞ねこがほら高校でも人気爆発中の6人組アイドルグループ、アドバンス・ド・蜜の味が生徒たちのあいだで大流行しておりトレーディングカードが法外な値段で取引されているという問題が起こっていた。
そこで我が校では校内への密カードの持ち込み、及びいっさいの取引行為を禁止するという処置を下したのである。あるホームルームでその旨を生徒たちに説明していると「なんでだよ!」だの「意味わかんない!」だの案の定あちこちから不満の声が噴出したのだった。

彼らは私がゆっくり丁寧に説明してもどこ吹く風。いったいどれだけ言葉を尽くせばこの子たちは私の言うことを理解してくれるのだろうか。さんざん悩んだすえ何を思ったか私はついついこんなことを口走ってしまったのだ。

「先生は蜜の味のプロデューサーと知り合いなんだが?」

自分でもなぜそんなことを言ったのかわからない。しかもインディーズ時代に彼が結成していたHIP HOPグループに所属していたと、その証拠写真を生徒たちに見せて回ったのだ。生徒たちは口々に「マジで」「やばっ」「すごすぎ」大騒ぎ。
本当のことをいうとDJ Dragonこと赤池龍之介のグループに所属していたのは双子の弟・喜太よしたのほうであって写真は昔、何かのイベントを見に行ったときにたまたま撮っていたものだった。私自身は赤池くんの知り合いでも何でもなかったのだ。

しかしその日から私に対する生徒たちの態度がガラリと変わった。それまで私は生徒たちから「パーマ」と雑に呼ばれたり「イケヤス」と学生時代のニックネームで呼ばれたりしていたのだが、その日から「DJ先生」と尊敬を込めて呼ばれるようになった。
そして以前よりも生徒たちが私の周りに集まってくるようになったのだ。私はそんな状況にすっかり舞い上がってしまい、まるでドーピングに手を染めたスポーツ選手のようにそれが自分の実力だと勘違いしてしまった。

それまで蜜の味のことなどまったく知らなかったくせに彼女たちの話をすればするほど、私は生徒たちから注目を集めることができた。生徒たちからの信頼を得ることができた。

なぜなら私はプロデューサーの知り合いだから!。

気がついたら1年E組のホームルームの時間は、DJ先生が蜜の味についての四方山よもやま話をする時間となっていた。最初のうちはそれでも良かった。インターネットなどで調べたことを喋っていればよかったのだから。しかしそのうちネタが尽きてくると私は根も葉もない噂話のようなものまで手を出すようになった。それも尽きてくると今度は自分で勝手につくったデタラメな話を披露するようになってしまった。

気がついたら私はドツボにはまっていたのだ。

私はずっとお付き合いしていた女性と先月、結婚したばかりで新婚ホヤホヤなのだが、蜜の味のメンバーたちのことを調べまくっているうちにいつしか蜜の最年少担当のモカ・ド・星ヶ丘ほしがおかちゃんのことが個人的に気になるようになってしまった。
彼女はアニメ世界から飛び出してきたような正統派美少女でありながら狼のような牙を持ち6人のなかで一番背が小さくて年も若く、甘えん坊でやたら他のメンバーとベタベタしたがるスキンシップ魔として知られている。

そのためカップリング厨や百合厨から絶大なる人気を誇っているメンバーなのだった。今では私はゴリゴリのモカ推しである。

だが蜜の味のなかにはもう一人、無類のかわいさを誇るメンバーがいた。かわいい担当、クロエ・ド・六番町ろくばんちょうちゃんだ。彼女は日本一のガルクラ系アイドルと呼ばれる蜜の味のなかでも従来型アイドルのようなマスコット的かわいらしさを持ち合わせているメンバーで、6人のなかで一番幼い顔立ちでありながら一番胸が大きく一番女の子女の子しているのにもかかわらず指が6本あるという何重もの魅力を持ち合わせているため一部界隈からは絶大なる人気を誇っているメンバーなのである。

この二人はとても仲が良くグループ内でも屈指のカップリング「妖精ズ」として知られているのだが、あるとき私はホームルームで「本当はこの二人はとんでもなく仲が悪く裏ではバッチバチにやりあっている」という話を披露したのだった。
もちろん、これは私のでっちあげた真っ赤な嘘なのだがプロデューサーの知り合いの話ということで信憑性が高まったのかこのデマはクラス内のみならず校内、区内、市内と広がってしまった。やがて私の預かり知らないところでtwitterのインフルエンサーが取り上げ、楽屋でつかみ合いの大喧嘩をしたとか、モカがクロエの指に噛みついたとか、尾ひれはひれがついて拡散され全国にまで広がってしまったのだ。

たまたまそのネットニュース記事を見つけた私は「なんてことをしてしまったんだ」血の気が引いてしまった。

しかしその直後に何とも言えない高揚感が体の底から湧き出してくる感覚を憶えたのだ。きっと口裂け女やジャンピングババアを最初に広めた人間もこんな気持ちになったことだろう。またそうやって全国的にBUZZることは私の話に信憑性をもたらし私自身も増々チヤホヤされるようになるという何重もの相乗効果を生み出す結果となった。
味をしめてしまった私は以前にも増して荒唐無稽なデマをでっちあげてはホームルームで披露するという暴走デマモンスターと化してしまったのだ。

「先生……」

最近、気持ちよくヒットしたものといえば「蜜の味のビジュアル担当、ガルル・ド・覚王山は実は男のだ」というデマ話。例のインフルエンサーが取り上げてくれてネットニュースにまで発展したことがあった。
このネタはガチ勢から噴出するであろう「男の娘ならむしろ大歓迎だ」的なリアクションが引き出されることをあらかじめ想定してつくったので、案の定BUZZり散らかしてくれたときは本当に痛快の極みだったものだ。

私は自分がつくったデマに人々が踊らされ、戸惑い、ときには歓喜し、ときには絶望する姿を見るのが楽しくて仕方なかった。しかしこんなことをつづけていてはいずれ必ずボロが出るだろう。そのとき私の教師生命は絶たれるかもしれない。そう思うと私は夜も眠れないのだった……。

「おい、DJイケヤス!」

気がつくと短髪色黒の女子生徒が私を呼んでいた。受け持ち生徒の黒川りんだ。彼女は私が顧問をしている演劇部員でもある。ああ、びっくりした……。どうした。聞くと「台本のコピーを取りに来ました」とのこと。
天井の低い職員室には所せましとファイルだらけの事務机や付箋ふせんだらけのロッカーが置かれている。奥にはスケジュール表が掲げられている。たくさんの教員たちがそれぞれ書類とにらめっこしたり、机につっぷしたり、電話の応対をしている。運動場側の窓は日除けのためすべてのブラインドが降りている。

ああ、もうやっておいたよ。台本のコピーを渡すと凛は「サンキュー」職員室を出ていった。私は学級日誌に目を通し適当にコメントをつけ、次の職員会議の資料を整理し、補習用のプリントをコピーし、教育セミナーの案内に目を通したあと演劇部の部室へ向かった。

「拙者親方と申もうすは
 お立ち合いの内に御存知のお方もござりましょうが……」

部室の前まで来ると廊下で部員たちが壁に向かって発生練習をしていた。ちなみに現在の演劇部の部室はかつて文芸部のあったあの部室である。偶然にもそこは私が青春時代を過ごしていた場所だった。
扉を開けてなかへ入ると三年生たちが中央のテーブルに図面を広げて照明の打ち合わせをしていた。

「タッパは低めで」
「袖裏にはSSを置く」
「ここには単サスを当てよう」
「ゼラの色は?」
「ナマでいいんじゃないかな」

するとその様子を少し離れたところから見ていた凛が困惑気味な表情を浮かべながら「先生~」泣きついてきた。

――先輩たちが何を言ってるのかぜんぜんわかりませ~ん。

たっぱは高さのこと。SSは横からのスポット。単サスは舞台の上から吊り下げたスポットを単独で照らすってこと。ゼラは照明に色をつけるフィルターのこと。ナマはフィルターを何も入れないっ生の明かりってことだ。

――なんでわざわざそんなわけの分からない言葉を使うんですか~。

専門用語。いわゆる符牒ふちょうというやつだな。もはや高校演劇部でしか通用しないような古い言葉ばかりなのだがべつに仲間内にしか通用しないようにわざわざそういう言葉を使ってるわけではないんだよ。必要だからそういう言葉が生まれ必要だから使ってるんだ。
そう言うと凛は「がんばって憶えま~す」と言って基礎トレーニングをしに部室を出ていった。

符牒か……。
ここで私はあることを思い出した。

あれは私が高校三年生になったとき――。
中村先輩が卒業すると文芸部は廃部の危機に直面していた。まともな部員はもはや私と扶桑姉妹くらいしかいなかったのだ。だが私たちはとくに勧誘活動をするわけでもなく日々をなすがままに過ごしてた。そんなある日のこといつものように喜太が部室へ遊びに来て突然「双子愛・確かめ選手権」をやろうと言い出したのだ。

前々から実は凄いことなんじゃないかとは思ってはいたのだが喜太がこの部室へ遊びに来ると「一卵性双生児の兄弟と姉妹が同じ部室にいる」という世にも珍しいシチュエーションが発生することになるのだ。
だったらそれを活かす遊びをしようということで嘉太がこのゲームを考案したというわけなのだ。

すると夏美が「面白そうじゃん。やろうやろう」応じた。ルールは池下チームと扶桑チームに別れお互いが質問を出し合いフリップで答える。双子の答えが一致すれば1ポイント獲得。先に5ポイント獲得したチームが勝利というものだった。

さっそくゲームが始まると最初のころは「好きな食べ物は?」「好きな色は?」オーソドックスな質問をしていたのだが、5ポイント先取というのが意外とハードル高かったようで途中から「好きなゴリラは?」「ジローラモと言えば?」どんどんトリッキーな質問になってしまって、何問目かに喜太がこんな質問なのか何なのかよくわからないことを言い出したのだ。

「嫌よ嫌よも?」

すると夏美はそのままストレートに「好きのうち!」と答え、真冬はなぜか「幕の内……」と親父ギャグで答え見事に撃沈。お互い大笑いしたのを今でもよく憶えている。
それ以来、喜太がわざと扶桑姉妹の見分けがつかないフリをして「嫌よ嫌よも?」と聞くというノリを面白がるようになり、いつしかそれが扶桑姉妹を見分けるときにつかう符牒ふちょうということになったのだった。

今となってはどうしてそんなくだらないことが
あんなにも楽しかったのかわからない……。
どうしてあんなにもキラキラ輝いていたのか
わからない……。

「先生……」

よくよく考えてみたら私が弟・喜太の笑顔を見たのはあの日が最後だった。あいつは高校卒業後、HIP HOPグループ「Summer Buddha B.B.Q」のメンバーといっしょに東京で一旗揚げようと上京していったのだが、20歳のときにバイク事故を起こして記憶障害を患ってしまったらしいのだ。
というのも、弟は上京してから一度も実家には帰って来てないのでそれは人づてに聞いた話なのだった。

結局、あいつは5年前――。私のスマホに「彼女は僕が守ります」という謎のメッセージを残して消息を絶ってしまった。赤松が芸能事務所を設立したのはちょうどその頃だ。双子の勘というやつだろうか。私には弟の事故とSBEの設立がどうしても無関係には思えないのだった……。

「おい、DJイケヤス!」

気がつくとまた凛が私を呼んでいた。ああ、びっくりした……。どうした。基礎トレは終わったのか。聞くと彼女はもじもじしながら「どうしても聞きたいことがあるのです~」言うので、私はてっきり演劇に関する相談と思って気軽に応じたら彼女は意外なことを口にしたのだった。

――先生って双子の弟がいるの?。
どういうことだい。聞き返すと凛が言葉をつづけた。

「うちの兄貴、ゴリゴリの蜜ヲタなんだよね。だから先生のこと自慢してみたんだけどめっちゃ否定してくるんだよ。SBBBQにいたのは先生じゃなくて、双子の弟のほうなんじゃないかって……」

私は「あっちで話そう」彼女を廊下の突きあたりにある理科室へと誘った。室内には水道が備え付けられた大きな黒いテーブルが立ち並びそのうえに四角い椅子が逆さまに上げられている。
私が教室の隅の掃除道具入れの前で歩みを止まると凛もそこで足を止めた。すぐ横には淡水フグが飼育されている大きな水槽が置かれブクブクと静かに泡を立てていた。ついにこの日がやって来たか……。

凛の話では彼女には4つ離れたガチヲタのお兄さんがいて誰よりも蜜の味に詳しいという。当然プロデューサーであるDJ Dragonのこともインディーズ時代から調べ尽くしており彼がかつて結成したグループに喜太が所属していたことも突き止めていた。しかも喜太には双子の兄(私)がいることすら把握しているというのだ。

「根拠はあるのかい?」
「当時の卒アルを入手して調べたって」

ぐ~む。そこまでされたらぐぅの音も出ない。すると凛が頭をかきむしりながらこんなことを言ってきた。

「先生、あたしはどっちを信じたらいいんですか~?」

この子はこの期に及んで私を疑わないのか。私はそう思った瞬間、自分の愚かさに耐えられなくなってひざから崩れ落ちてしまった。

「どうしたの」凛が驚いている。
ああ、私はなんてバカなことをしてしまったんだろうか。教師という立場でありながらこんな純粋な子どもたちを騙して悦に浸っていたなんて。もはや教師失格だ。私は観念して「君のお兄さんの言うとおりだ」白状した。

DJ Dragonと知り合いというのもグループに所属していたというのも全部、双子の弟のほうなんだ。騙したりしてすまなかった。謝罪すると凛はそんな私の覚悟を「何言ってるの」斬り捨てて目をキラキラ輝かせながらこんなことを言ったのだ。

「弟さんが知り合いなだけでも、すごいじゃん!」

なんということだ……。私は自分が知り合いだなんて偽らなくても良かったのだ。DJをやっていたなんて偽らなくても良かったのだ。最初から「弟が知り合い」という事実だけで良かったのだ。もうやめよう。デマ話なんてもうやめよう。

プクプクと泡立つ水槽のなかで偽物の水草が音もなく揺れていた。



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