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アドバンス・ド・蜜の味 2


今でもあの日の夜のことを思い出す。
彼女の体温、髪の匂い、笑った顔……。
何もかもを昨日のことのように思い出す。

今日は夏美の三回忌だった。ということは私と中村春吾しゅんごさんが結婚して2年経ったということにもなる。私たちは納骨堂で法要をしてもらったあと新宿のサイゼリヤでランチをしていた。


目次 
        
10 11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22(完結)

真冬のファンタジア①


「こんなところで良かったんですか?」
「はい。こういうところが良かったんです」

春吾さんの問いかけに私は精一杯の笑顔で答えた。でも彼は「そうですか」そっけない返事をしてすぐに横を向いてしまった。彼は猫ヶ洞ねこがほら高校文学部の先輩ではあったものの付き合っていたわけではないし特別な想いを寄せたこともなかった。
私からしたら伝統にしたがって順縁婚じゅんえんこんをしたら妹の旦那さんという関係からいきなり夫婦という関係になってしまったのだ。その戸惑いは2年という期間でも消えることなく私たちをただの同居人にとどまらせていた。私は東京に知り合いもおらずただひたすら彼の帰りを待つだけの生活。彼は仕事が忙しくて家に帰ってこないこともあった。だからこの2年間夫婦らしいことなんて何ひとつしていない……。

春吾さんは「君のことを大切に思っているから」なんて言うのだけれど、いまだに手すら握ってこないの。やっぱり私はそういう対象じゃないってことかな。

――真冬さん?。

考えごとをしていたら春吾さんがメニュー表を差し出してくれていた。ムール貝のガーリック焼き、若鶏のディアボラ風、アンチョビとルーコラのピザ……、どれも美味しそうで目移りしちゃう。

うーん。もっとこう「幕の内弁当」みたいなものはないのかしら……。

独り言のようにつぶやいていると春吾さんが「今、何と言いました?」急に怖い顔になった。このひとが私にこんな表情をするなんて珍しい。
若者でごった返す店内にはひたすら誰かの話声や、皿にカトラリーが当たる音が響きわたっている。店内放送からは古臭いカンツォーネがうっすらと流れている。

春吾さんとの出会いは高校一年生のときだった――。
文芸部の新歓で私たちに変なあだ名をつけてくる先輩がいて変なひとだなあと思ったのが第一印象だった。と言っても彼はそれから夏美と付き合いはじめたので23歳で順縁婚するまで私と彼のあいだには何もなかった。双子にありがちな入れ替わりエピソードなんて楽しげな思い出もない。せっかく同じ高校に通ってたんだから一回くらいやっておけば良かったかな?。
私は夏美とずっといっしょが良かったので成績は悪くなかったものの、あえて地元の公立高校を選んだの。

それでも夏美にとってはハードルが高かったみたい。あの子は決して頭がわるい子ではなかったのだけれど、ひとから何かを強制されるのが大嫌いだったの。だから「勉」学を「強」制される学校の「勉強」なんてぜんぜんしたがらなかった。

なっちゃんは何にも縛られない自由で明るくて周りを元気してくれる太陽みたいな子だったんだから……。

――君の体のことなんですけど。

そんな遠い日の夏美のすがたに思いを馳せていたら、いつの間にかドリンクバーから戻ってきた春吾さんが真剣な顔をして私に話しかけていた。

――真冬さん、こないだ俺にスセリヒメ伝説の話をしてくれましたよね。じつは知り合いにその手のジャンルに詳しい専門家が居るんですよ。東山哲道ひがしやまてつみちっていう瀬戸街道沿いで古本屋をやってる男なんですが……。

春吾さんによるとその人物は呪いに関する文献やグッズの蒐集に心血を注いでいる自称・東洋一の呪いのグッズコレクターなのだという。スセリヒメ伝説についても何か知ってるはずだから話を聞きに行こうと思っているとのことだった。

――真冬さんもいっしょに来てくれませんか。もしかしたら呪いを解除できるヒントくらい見つかるかもしれませんよ?。

えっ?。私は思わずミラノ風ドリアをすくって口元まで運んでいる最中のスプーンを止めてしまった。私のなかに「呪いを解除する」なんて発想がまったくなかったことに驚いたからだ。たぶんその選択肢は過去の私が早々に白旗を振りながら外していたのだろう。

すると春吾さんが当たり前のように言った。

――今から!。
今からなんだ……。

私たちは食べ終わるとすぐに店を出て名古屋行きのチケットを買った。駅のホームであたふたしてたら「真冬さん、こっちこっち」春吾さんに呼ばれ慌てて新幹線へ飛び乗った。うながされるまま窓際の席へ座る。
彼はいつの間にかひざかけ毛布と温かいお茶を用意してくれていた。あ、ありがとうございます……。

車窓に知らない田園風景が現れては過ぎ去っていく――。
「もうすぐ富士山が見えますよ?。ほら、ほら!」隣の席にすわっていた春吾さんが少年のようにはしゃぎだした。結婚して2年になるけれど、いまだに彼のことがよくわからない。

名古屋駅に到着――。
私たちはタクシーを1台つかまえて瀬戸街道沿いにある古本屋「饕餮舎とうてつしゃ」へ向かった。トウテツって中国の妖怪の名前だわ?。きっと東山哲道ひがしやまてつみちの「東」と「哲」からとったのね……。
お店に到着。ねずみ色のトタン板に囲まれたその建物には看板がなかった。春吾さんの話では数年前の台風で飛んでいってしまったそうだ。古い自販機のコイン投入口には「使用不可」という紙が貼られている。その横に入り口らしき粗末な引き戸があった。ガラ、ガラガラ……。

決してスムーズとは言えない引き戸を開ける。店内へ入るとそこは古本屋というよりも白昼夢のような世界が広がっていた。山のようにうずたかく積まれた古本の間にビールの缶を持った西田ひかるの等身大パネルが笑っていたり、鼻が取れたサトちゃん人形が逆立ちしていたりしていた。壁には破れかけた古いポルノ映画のポスターが幾重にも貼られている。
あっけに取られていると彼がずんずん中へ入っていくので「ま、待ってくださ~い」私は彼のポロシャツのすそをつかんで必死についていった。しばらく奥へ進むと古本の山に埋もれたカウンターらしき構造物のなかに、やけにずり下がったメガネをかけたファンキーなおじさまが座っていて、熱心に『恋空』を読んでいた。

このひとはどうやってそこに入ったの?。どうやって出てくるの?。このお店の商売は成り立っているのかしら?。なぜ、そのチョイス?。疑問が滝のようにあふれ出てきて戸惑っていると私たちに気づいた男が口を開いた。

「おお、シュン坊じゃねえか」
「テツさん、お久しぶりです」
春吾さんがうやうやしく頭を下げる。
「ちょっと待ってろ」

そういうと男は読んでいた文庫本をパタンと閉じて、その痩せこけた風貌からはまったく想像できない忍者みたいな身軽さでカウンターをひょいと飛び越えてきたのだ。ああ、そうやるんだ……。

「どうした。ビニ本でも探しにござったか?」
「何を言ってんすか。まったく……」
苦笑いで答える春吾さん。
すると男はやっと私の存在に気づいたのか、ずり下がったメガネ越しに私をなめ回すように見ながらこう言った。
「そちらのお嬢さんは?」
「妻の真冬です」
「は、初めまして……」私もうやうやしく頭を下げた。

まだ三十路そこそこにもかかわらず、ひげもじゃ顔に下がりメガネにダボシャツに腹巻きという古風な格好のせいでずいぶん老けて見えるこの男性こそ春吾さんの言っていた東山哲道その人だった。
なんでも高校時代に文芸部の後輩だった東山綾目ちゃんのお兄さんなんだとか。さっそく哲道が話を切り出した。

「まあ、シュン坊からだいたいの話は聞いてたが」
聞いてたんだ……。
「スセリヒメの呪いかあ」
そう言って彼は意味ありげに鼻をかいた。
「何か知ってるんですか?」
「いや、知らん」
知らないんだ……。
しかし次の言葉に私たちは絶句した。
「知らんが、解除する方法は簡単だ」
「えっ?」

――お嬢さんの妹さんが死んじまったってことはその呪いがまだ有効だってことだ。要するにスセリヒメはまだこの世に生きてんだよ。だったらそいつを見つけ出して、呪いを解除する方法を教えてもらばいいだけの話だ。

そう言って哲道はぺてん師みたいにほくそ笑んだのだ。
それは冷蔵庫にゾウを入れる方法みたいなよくある詭弁に聞こえた。でもたしかに私は今まで致命的な勘違いをしていたかもしれない。スセリヒメは未来の子孫から時空を超えて寿命を奪っているわけではなくて、そもそも不老不死なのだから現代に生きていて同時代に生きている子孫から寿命を奪ってたんだわ?。
そのとき蛍光灯から握りこぶし大くらいの一朶いちだほこりが音もなく舞い降りてきた。私にはそれが漠然とした希望のようなものに見えた。

一礼をして店を出る――。
私たちはそれから私の実家・扶桑家へ寄ることになっていた。ひとまずタクシーで平和公園へ向かう。平和公園は戦後、名古屋市内に点在していた2万基以上のお墓が寄せ集められてつくられた巨大霊園を中心としたとても大きな公園である。
あまりにも規模が大きすぎて園内には自然豊かな森があり、バーベキュー場があり、バス釣りが楽しめる大きな池があり、展望台があり、それらの区画の間をいくつもの市道が走っている。私はそんな平和公園内をすすむタクシーの窓から外を眺めていた。

そこには見渡すかぎり墓、墓、墓の光景が広がっていた。
もし妖怪たちの運動会に全国大会があったら絶対ここが会場になってると思うの。扶桑家のお屋敷はそんな平和公園に隣接する森のなかにひっそりと建っているので近所の子どもたちからは、よく「お化け屋敷」なんて呼ばれていたっけ。うち、幽霊から家賃もらったことないんだけどな……。

ほどなくしてタクシーがお屋敷の前に到着した――。
苔むした切妻きりつま屋根の薬医門のよこに設けられた通用口のブザーを押すとクラシカルなメイド服姿の使用人・鶴里憧子つるさとあこさんが「中村様、真冬お嬢様、お帰りなさいませ」無表情で出迎えてくれた。彼女は代々扶桑家の使用人として仕える鶴里家の人間で、私より5つも年下なのに落ち着いた雰囲気の大人っぽい子だ。

「あ、こんにちは……」

春吾さんが少し照れ笑いしながらあいさつをした。憧子あこさんはとくに表情を変えることなくエプロンの裾を持って控えめなカーテシーを見せると私たちをなかへと誘ってくれた。

手入れの行き届いた日本庭園を眺めながら玄関アプローチをとおり抜け、上框あがりかまちを飛び越えて居間へとなだれ込む。ただいま~。私は荷物をだだくさに置いて座布団へ腰を下した。ああ、疲れちゃった……。すると台所から母が何やらガチャガチャやりながら「おかえり」と言ってくれた。

「すみません急に。これどうぞ」
春吾さんがお土産のまんじゅうを渡す。
「あら、お気遣いなんて要らないのに~」
母はそう言いつつもそれを受け取った。
「お茶を入れますから、くつろいでいて下さいな~」
「あ、はい。すみません……」
恐縮して春吾さんが言った。先にくつろいでてごめんなさい。

ほどなくして、母がお盆のうえに織部焼おりべやきの急須&湯呑セットを乗せて持ってきた。銘々皿めいめいざらには先程のまんじゅうが乗っている。春吾さんはそれを申し訳なさそうに受け取ると「お義父とうさんはどちらへ?」聞いた。

「書斎にいますよ」母が答える。
「じゃあ、ごあいさつに行こうか」
春吾さんが立ち上がったので私も従った。

父の書斎は洋風にリフォームされた東側の一角にあった。私たちは玄関をとおり過ぎて無駄に曲がりくねった廊下を奥へと進んだ。トントン。春吾さんが書斎のドアをノックする。「入りたまえ」父の声がした。
室内は古い書物やら骨董品やらで埋め尽くされている。奥に装飾がほどこされた立派な木の机があって黒革のいすに難しい顔をしながら父が座っていた。うしろの壁には競技用エアライフルが誇らしげに飾られている。

扶桑正峯ふそうまさみね。63歳。
千年以上つづく渡来系一族の末裔・扶桑家の現当主。錆鉄御納戸さびてつおなんど色の大島つむぎを着流して「来てたのか、何の用だ?」一瞬だけこちらを見てすぐに大事そうな書類へ視線を落としてしまった。頑固親父で本当にごめんなさい。
私たち双子はこの昭和スタイルの父に厳しくしつけられた。それにしては夏美はのびのび育ってたけど。笑。父はずっとこんな感じなので私は慣れっこになっている。春吾さんは「いやあ、あはは」苦笑いで乗り切るつもりのようだ。しばらく当たり障りのない世間話をしたあと彼が話を切り出すと、父が面倒くさそうに口を開いた。

「まあ、春吾くんからだいたいの話は聞いていたが」
聞いてたんだ……。
「スセリヒメの呪いか……」
そう言って父は意味ありげにあごをかいた。
「何か知ってるんですか?」
「いや、知らん」
知らないんだ……。
しかし次の言葉に私たちは息を呑んだ。

――実は我が家には代々伝わる「扶桑文書ふそうもんじょ」という古文書があって、そこには扶桑家の歴史やスセリヒメ伝説のことも書いてあるのだよ。しかし残念ながら私よりもずっと前の代から解読法が失われていて、詳しい内容までは伝わっておらんのだ。
――真冬、お前はとても賢い子だから下手に中途半端なことを教えたら余計に混乱させてしまうかもしれないと思いあえて黙っていたのだよ。許せ。

父は少しも感情の乗ってないトーンでそう言って私たちを例のアカズの間へ案内してくれた。その奥座敷は八畳くらいの広さだった。格式が高そうな桐の衣装箪笥いしょうだんすのとなりに巨大な金庫。9年前と変わらない空間がそこに存在していた。私と夏美はこの輪島塗わじまぬりの座卓の前に座って父からあの話を聞いたのだ。今でも鮮明に憶えてる。
さっそく父はその巨大な金庫を開けてなかから慎重に古文書を取り出し机に広げた。ああ、そこに入ってたんだ……。

そこには神代文字じんだいもじの一種と見られる文字がびっしりと書き込まれていた。神代文字とは日本列島に漢字が伝わる以前に土着民族たちが使用していたとされる、ひらがなでもカタカナでもない記号のような文字の総称だ。すごーい。目をキラキラさせながら古文書をめくっていると「本来なら門外不出なのだが、今のお前なら託してもよかろう。合格だ」父が言った。わーい。合格もらっちゃった。

夕食後――。
憧子さんがこしらえたご馳走でお腹を満たしたあと居間でくつろいでいると門のブザーが鳴った。春吾さんが古本屋「饕餮舎とうてつしゃ」店主・東山哲道を呼び出したのだ。なんでも彼は神代文字が読めるらしい。玄関のほうへ見に行くと憧子さんが彼を客間へ案内するところだった。哲道は私に気づくと「あ、お嬢さん、立派なお屋敷ですねえ」ニターっと笑った。前歯が1本なかった。
客間ではすでに春吾さんと父が待ち構えていた。黒檀こくだんの四角いテーブルのうえには扶桑文書が広げられていた。私はそのよこの籐の座椅子にちょこんと座った。簡単なあいさつを交わしたあと、哲道は文書をペラペラとめくりはじめた。

「ぐーむ、これは……」
「何かわかりましたか?」

哲道はうなってばかりで春吾さんの質問には答えない。それからしばらく彼は唸りつづけていたがとうとう頭を抱え込んでしまった。もしかしてこのひと本当は何も知らないんじゃないかな。『恋空』読んでたし……。
すると哲道はお茶を一口すすったあと「これは神代文字の一種ですねえ」と言った。今、それがわかったんだ……。
哲道は加えて「本格的に解読するには膨大な数の資料と照らし合わせる必要がありますねえ」と言った。3人は話し合った結果、後日、彼にコピーを渡すことで合意したようだ。あれ、私は蚊帳の外なのかな……。続いて報酬の話になったので私は静かに客間を出ていった。

廊下をきしませながら壊れた古い柱時計の横を通りすぎる。
そういえばこの時計、いつから鳴らなくなったんだっけ?。

台所では母が晩酌ばんしゃくの準備をしながら洗い物をしていた。
手伝うわ。声をかけると「あなたは休んでなさい」ぴしゃりと拒否されてしまった。いまだに私のことを病弱な子だと思っているみたい。私、もう主婦なんだからね!。スポンジを奪うと母は「あら、失礼」苦笑いした。お母さん、また洗い物するようになったんだ……。
母・扶桑珠子ふそうたまこはかつてこの家に仕える使用人の一人だった。元々は先代の知人の娘だったのだけれど事故で遺児となっていたところを不憫ふびんに思った先代が扶桑家の家政婦として雇い入れたのだ。そのときまだ13歳だったという。

「春吾さんとはうまくやってるの?」母が不安そうに尋ねてきた。私は「まあね」生返事をして水道の蛇口をシャワーへ切り替えた。おそらく母が気にしているのは子どものことだ。案の定「もうそろそろねえ」という声が聞こえてきた。

母は扶桑家に生まれた女ではないからそんなことが言えるのだろう。

昔から私たち双子は母に距離を感じていた。
母が一番上の兄を身ごもったのは14歳になったときだった。あろうことか扶桑家・次期当主だった父が年端もいかない若い家政婦をはらませてしまったのだ。ひと悶着あって父は先代から勘当されお腹の大きい母を連れ扶桑家を出ていったという。
その後、母は無事に長男・和人かずとを出産。1年後には次男・照人てるとを生みそのまた2年後には三男・満人みつとを妊娠したところで父の勘当が解かれた。なぜなら扶桑家には父の他に跡継ぎがいなかったからだ。そのとき先代はすでに病床に伏していて父が戻ってくると安心したように旅立ったという。だから私たちはおじいちゃんに会ったことがない。

扶桑家に戻った父は遺産整理や社業の引き継ぎに追われ、母はその間三人の息子を育て上げた。やがて扶桑家が安定を取り戻したところで私たち双子は生まれた。そのとき一番上の兄はすでに独立しており二番目と三番目の兄も私たちが小学校へあがるころには居なくなっていたので、私たちには兄たちの記憶もあまり残っていない。

ちなみに母は扶桑家に復帰してすぐに鶴里家の家政婦を全員クビにしている。きっと家政婦時代にさんざんこき使われた積年の恨みが大爆発してしまったんだわ。ただし執事長のシゲ爺だけは残ってもらったみたい。
現在、家政婦をしてもらっている憧子あこさんはそのシゲ爺の孫でその後どうしても扶桑家に復帰したいという鶴里家の懇願と父からの説得に折れた母が唯一敷居をまたぐことを許した存在なのだ。

憧子さんは幼い頃から使用人としての英才教育を受けて育ったので4年前、彼女がうちへ来てくれたときはまだ現役女子高生だったのだけれどすでに色んなことを完璧にこなしてくれた。
私、彼女には本当に感謝しているの。でも憧子さんは若くして鶴里家の命運を一身に背負わされていて頑張りすぎてるみたい。だっていまだに彼女が笑ったところを見たことないんだもん……。

一方、母はその逆で私たちを生んでからは今まで重くのしかかっていた重圧から開放されて燃え尽き症候群にでなってしまったみたい。

母は鶴里家の使用人を全員クビにしたあと、まったく別の若い家政婦さんたちを新しく雇っていたのだけど兄たちの面倒だけは積極的に見ていたようだ。でも私たちに対しては基本的に放任主義で小さいころはベビーシッターが代わる代わる面倒を見てくれていたらしい。
母はときどき思い出したように抱っこしてくれたり、髪を結んでくれたりしてくれた程度だったように記憶している。

そのうち夏美のやんちゃぶりが家政婦さんたちの手に負えなくなると仕方なく自分で面倒を見ていたようだけど、私は妹と違って自分から何かをしたがったり欲しがったりすることがなかったので母と衝突することは一切なかった。かといって何か特別なことをしてもらった記憶もない……。
私たちが高校生になっても母が気にかけるのは兄やその息子たちのことばかりだった。たまに兄家族が帰省してくると嬉々として料理の腕を振るうことはあっても普段はまったくしてくれなかった。その後、憧子さんが家へやってきて他の家政婦さんたちがいなくなったところで母は再び家事をするようになったのだ。

ただ夏美は成人を過ぎたあたりからときどき体調を崩すようになったのだけれど、そのときばかりは母も親身に看病をしていたようだ。あの子はあんな性格だったから私にさえ弱みを見せなかったの。でもなぜか母には見せていたみたいで……。
そう思うと母に対して距離を取っていたのは私だけだったのかもしれない。私は夏美のように上手に甘えることができなかったから、勝手に母が燃え尽き症候群になったなんて決めつけて、勝手に距離を取っていたのかもしれない。

たぶん私は母のことがうらやましかったのだ。若くして男の子を3人も生み、立派に育て上げ、やがてたくさんの孫たちに囲まれて、きっと素敵な余生を送るであろう母のことがうらやましかったのだ……。

「お母さん、ごめんね」

私はお皿を拭きながら母にそっとつぶやいた。
母は「どうしたの急に」ただただ目を丸くしていた。



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