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アドバンス・ド・蜜の味 15


わたくしの人生は二十年前――
鶴里家におぎゃあと生まれ堕ちたときから
宿命づけられておりました……。

私は朝の日課である薬医門から玄関アプローチまでの掃き掃除をしながらぼんやりと考えごとをしていました。私は十六のときからこのお屋敷に仕え今年で二十歳になりました。今は敷地内に建てられた古い使用人宿舎に執事長の茂蔵しげぞう爺様と二人で暮らしています。
爺様は私の母方の祖父にあたり齢七十五にして未だ現役。先代当主の故・峯松みねまつ様の時代から現当主の正峯まさみね様の時代にいたるまで六十年間扶桑家に尽くして参りました。

もっとも最近は執事業を退かれ、もっぱら庭いじりくらいしかしておりませんので半分引退しているようなものなのですが……。いざというときは未だに旦那様から頼られているようで、よく自慢の白いカイゼル髭をなでつけながら「なかなか引退させてもらえませんわい」まんざらでもない表情で愚痴をこぼしておられます。

元々扶桑家には爺様の娘にあたる菊世きくよ(長女)、典世のりよ(次女)、静世しずよ(三女)の通称「鶴里三姉妹」が使用人として働いておりました。三姉妹はこの使用人宿舎で生まれ育ち、高校教育を終えるとそのまま順番に扶桑家に仕えていたそうです。

爺様いわくメイド界のPurfumeと呼ばれ一部界隈では有名だったのだとか。そこはせめてキャンディーズだったら信憑性があったのですが……。


目次 
        
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18 19 20 21 22(完結)

「鶴里憧子は笑わない。」


ともかく、そのなかでもひときわ愛嬌があり人気の高かった三女の静世こそ私の母親でございます。

これはことさら強調するようなことではないのですが、鶴里家の人間はあくまでも使用人として扶桑家に仕えている身分ですから千年以上の歴史のなかで扶桑家の人間と鶴里家の人間が婚姻関係になったことなど一度たりともございません。そのようなことは、たとえ天地がひっくり返っても有り得ないことなのでございます。

ただしその使用人が鶴里家の人間でなかったとしたら……。

今の奥様・珠子様が扶桑家へやってきたのは今から三十六年前のことでした。彼女は元々先代・峯松様のご友人の娘さんでした。ところが事故でご家族を亡くされ、天涯孤独の身となってしまった珠子様を不憫に思った先代が使用人として身柄を引き取ったのでございます。そのとき彼女は十三歳のあどけない少女だったといいます。
一方、母の静世は高校教育を終えたばかりの1年目で、まだまだギャルっ気の抜けない生意気女子ハイティーンでございました。それなのに一番上の姉である菊世叔母様おばさまから珠子様の教育係をするよう問答無用で申し付けられたのです。

おそらく叔母様たちは一番年下の母に面倒事を押し付けたのでしょう。今、思えばそれが「鶴里家受難の時代」の始まりでございました。

どうやら先代は当初、珠子様を使用人ではなく養子として向かい入れようとしていたらしいのですが大奥様からの猛反対に見舞われ、やむなく使用人という体裁で受け入れたという経緯があったようなのです。
しかしそこまで詳しく事情を説明されてなかった母たちはある日、突然やってきたこの薄汚い小娘シンデレラに対して毎日毎日容赦なくありとあらゆる方法で徹底的にシゴき倒したといいます。

しかし珠子様はご家族を亡くされた直後だったというにふさぎ込むこともなく健気に叔母様たちの言うことを聞き、懸命に働きました。それどころか持ち前のポジティブさと底抜けに明るい性格で、鶴里三姉妹からの壮絶なシゴキなど物ともせずいつも笑顔を絶やさなかったのでございます。

おそらく夏美お嬢様のあの不気味なほどの強靭なメンタルは母親譲りだったということなのでしょう。

ただし百パーセント天然だった夏美お嬢様とは違って珠子様はすべて計算でそれをやっていたようなフシがあったそうです。なぜならほどなくして珠子様の妊娠が発覚したからです。お相手は、なんと……、当時、次期当主を約束されていた正峯様だったのございます!。
そのとき旦那様は二十四歳。若造だったとはいえ将来を嘱望されていた扶桑家次期当主がこともあろうか 年端も行かない使用人の娘を孕ませてしまったのですから、それはもう文春砲レベルの一大スキャンダルでございました。先代は怒り狂い大奥様はショックのあまり卒倒なさったそうです。

もちろん叔母様たちも同じ気持ちでした。
いやそれ以上だったかもしれません。特に母はあらゆる感情を通り越して頭が真っ白になってしまったといいます。まさかあの正峯様が……。非の打ち所のない人格者であり、歌舞伎役者ばりのイケメンであり、射撃のオリンピック候補になるほどのスポーツマンであり、サブカルチャーから哲学に到るまで幅広い教養もあり、コメディアン顔負けのウィットもある、名古屋財界の大物たちから縁談の話が絶えることがなかったあの正峯様が……。

どうしようもないゴリゴリの人間の屑ロリコンだったなんて!。

珠子様も珠子様で大層な頑固者でいらっしゃったので周りの人間がいくら説得しようが「絶対に生む」と譲らず、恩人であるはずの先代の言うことすら聞く耳を持ちませんでした。生むのは許すが結婚は認めないという妥協案すら蹴り飛ばし基本的に彼女の言いなりだった正峯様は一人息子だったにもかかわらず、とうとう勘当されてしまったのです。
結局、扶桑家を追われた珠子様はそれから間もなくして長男・和人かずと様をご出産され、一年後には照人てると様をさらに二年後には満人みつと様をご出産されたそうです。まったく、駆け落ちした分際でよくもそうポンポンと無計画に子どもがつくれたものでございます……。

――憧子ちゃん。おはよう!。

ふと気づくと噂の三男坊・満人様が目の前に立っておられました。この方は上の二人の兄たちと違って、もうすぐアラフォーになるというのに定職にも就かずフラフラしているだけの俗に言う放蕩ほうとう息子でございます。
私は手に持っていたホウキを横に持ちかえて「おはようございます」頭を深々と下げました。すると彼は私の顔をまじまじと見ながら今日もばっちり美人さんだねとおっしゃいました。

私は母から「使用人といえどもお客様の対応をすることもあるので普段からしっかりメイクしておくように」叩き込まれており、お風呂に入るときと寝るとき以外、いつ何時もすっぴんでいることなどございません。

おそらく満人様はそのような私の姿勢を褒めてくださっているのでしょう。いつものように「恐れ入ります」事務的に返すと彼は手をあごに添えてニヤニヤしながら、なんだか今日は機嫌が良さそうじゃないかと言われてしまいました。もしかして私の顔に何か感情が出ていたのでしょうか?。
黒川くんから久しぶりに連絡があって東別院へ駆けつけたのはあくまでも扶桑家の秘密を守るためでした。私が「会いたい」と言ったのはただの口実だったのです。でもまさかあんな展開になるなんて……。

「顔が赤いぞ。熱でもあるのかい」
「い、いえ……」

私は満人様の追求から逃れるように掃き掃除を終え、その場を離れると洗濯物に取り掛かりました。屋敷の裏手にたてられた洗濯小屋にずいぶん前から頑張っている年代物の二槽式洗濯機があります。私はそこから洗濯物を取り出しかごに入れて小屋の外に設置された物干し台まで運びました。
今はもう旦那様と奥様しか住んでおりませんので夏美お嬢様や真冬お嬢様が居たころより洗濯物は多くありません。

緑色の物干し竿に洗濯物を干している間も昨日の黒川くんの言葉が頭の中でリフレインしています。私は思わずOKしてしまいましたが「プロポーズを受け入れる代わりに扶桑家の秘密を誰にも喋らない」という条件を突きつけておいたので彼なら律儀に守ってくれているはず……。
でも今日はまだ彼から連絡がありません。もしかして私はこのまま放置されてしまうのでしょうか?。

次に私はシーツをかごから取り出してバサバサしました。こうしないと変なしわになってしまいますから、なるべく大きな動作でバサバサします。どうせ乾いたあとでアイロン掛けはするのですが、皺なんて無いに越したことはないのです。お肌と同じでございます。

せ~の。バサバサ~!
はい。次。バサバサ~!
もいっちょ。バサバサ~!

すると何回目かのバサバサのとき、空中に広がったシーツでふさがれていた視界が晴れた先に「なまはげ」が立っていました。私は一瞬ドキッとしたのですがすぐに冷静になって口を開きました。

「満人様、どういうおつもりですか」
「もっと驚いてくれると思ったのに……」

そう言って満人様は仮面を外されました。
それはインドネシアはバリ島の魔女ランダの仮面でした。伝統舞踊チャロナラン劇で使用されていたものとのことです。よく見るとけばけばしい金色の冠、真っ赤な顔、ギョロついた丸い目、これでもかと大きく突き出した牙、腰の下まで伸びる白い髪を持つその仮面は秋田のなまはげとは程遠いエキゾチックな雰囲気を醸し出しておりました。

「真冬へのお土産だったんだけど、渡しそびれちゃってさ」
満人様はそう言って頭をかきながら語りはじめました。

――ヒンドゥー教文化圏には夫に先立たれた妻が焼身自殺するっていう古い習慣があったんだ。そうすることが美徳とされてきたんだよ?。今考えるとまったくひどい話だよね。当時もそれを望まない女性が少なからず居たらしい。魔女ランダはそんな死にきれなかった寡婦かふたちの成れの果てと言われているんだよ。

左様ですか。と私は言った。それはサティ(Sati)と呼ばれる悲しい伝統。古代インドでは未亡人になってしまった妻が夫を荼毘だびに付す際にその炎へ自ら投身したとのことでした。
イスラム教徒の多いインドネシアのなかでも独自のヒンドゥー教を信仰するバリ島にはそんな古い因習が残っていたんだとか。それは遠い異国の地の遠い昔話ではありましたが他人事とは思えませんでした……。

なぜなら私も生まれながらにして鶴里家の命運を一手に背負わされ物心ついたときから扶桑家の使用人となるべく育てられた人間だからです。それを悲しい伝統と言わずに何と言うのでしょう?。

こんな私にも普通の女の子のようにショッピングを楽しんだり、カラオケを楽しんだり、韓国ドラマのような大恋愛ロマンスをしてみたいという願望はありました。でもそれは何の前触れもなく訪れました。
なんと奥様が突然、叔母様たちを許したのです。ただし「お前達が扶桑家の敷居をまたぐことはまかりならん」とのことで母たちがそのまま使用人として復帰することは叶いませんでした。そこで鶴里家による緊急会議がひらかれた結果私に白羽の矢が立ったというわけなのでございます。

忘れもしない。
それは高校一年の夏休み前の出来事した――。
「十六歳になったら扶桑家へ入りなさい」
朝、叩き起こされるといきなり母にそう言われました。

これは名誉なことなんだ。そのためにお前を生んだんだと言わんばかりにその目は血走っておりました。私もいつかこんな日が来ると思いながら育てられていましたから覚悟はできていたつもりでした。でもその時点で誕生日まで半年もありませんでした。

「私、次の誕生日が来たら扶桑家で働かなきゃいけないんだ……」
そう打ち明けたとき黒川くんはただただ悲しそうにしていました。あのとき彼が私を強く止めてくれていたなら私は伝統にあらがっていたかもしれません。魔女ランダになれたのかもしれません。今思えば私はあの時点ですでに諦めていたのでしょう。黒川くんから離れたのは吒枳尼だきに天様に嫉妬したことだけが原因ではありません。

私はこれ以上彼に何かを期待して【裏切られるのが怖かった】のです。

誕生日を迎えた私は扶桑家へ奉公に入りました。
それからは来る日も来る日も掃除・洗濯・炊事などの家事全般から、屋敷の維持管理業務、出入り業者の手配、旦那様や奥様の病院の予約など雑務一般をこなす日々……。気がついたら私は二十歳になっていました。
晴れ着姿で成人式に出ることも叶いませんでした。きっと私はこのまま年をとりつづけ母や叔母様たちのように一族によって決められた相手と結婚し、子供を生み育てその子もまたいつか扶桑家に仕えていくのです。むしろそんな人生も悪くないと思いはじめておりました。

昨日までは!。

私はもう一度、黒川くんに期待してもいいのでしょうか。
彼は私を、伝統という炎へ飛び込んだ私を……。
救い出してくれる王子様ヒーローなのでしょうか。

「この仮面、君にあげよう」

すると、さっきからずっとインドネシアの土産話をしてくれていた満人様が最後にそう言って仮面を渡してきました。でも私は「要りません」と言ってシーツを干しつづけました。彼はきっと淋しいのでしょう。
実家へ帰るといつも大歓迎してくれた双子の妹たちがいなくなってしまって淋しいのでしょう。ですがご覧のとおり私も決して暇ではございません。それもこれも正峯様が勘当を解かれ扶桑家に戻られた際に、珠子様が鶴里家の使用人を全員クビにしてしまったのが原因なのですよ?。それはもう、さぞかし気持ち良かったことでございましょう。かつて自分をしいたげてきた連中を一発で地獄へ突き落とすことができたのですから……。

断っておきますと、私個人には奥様に対する恨みなどこれっぽっちもございません。なぜならそれは私の生まれるずっとずっと前の出来事だったからです。それに奥様は奥様で大変お辛い立場なのでございます。
珠子奥様はきっと自分よりも早く死んでしまう双子の娘たちへ愛情を注げば注ぐほど失ったときの悲しみが大きくなることがわかっていたので、あえて双子たちに愛情を注がないよう努力なされていたのです。母親にとってそんな辛い選択はないのでしょう。

いいえ、そんなことははなから無駄な抵抗だったのです。奥様はこの2年間、夏美お嬢様の遺影を抱きながら毎晩のように目を腫らしておられました。

私はそんな奥様のお姿を見ているだけに同情こそすれ恨むなんて有り得ません。おそらく私が奥様に対してdis多めなのは幼いころより鶴里三姉妹ははたちから一方的な印象を刷り込まれて育ったせいなのでしょう。
私はそんなことを考えながらシーツを干しつづけておりました。すると満人様は何かを察したのかこんなことを言ってきたのです。

「憧子ちゃんも魔女ランダになっちゃえよ」
「ふぇっ?」

私は思わず変なリアクションをしてしまいました。それは一体どういう意味だったのでしょうか。驚いて手を止めた私に彼は「大丈夫。ランダは見る人によって美少女に見えるらしいから」フォローなのか何なのかよくわからないことを言いながら仮面を置いてトボトボと去って行きました。
おそらくそれは満人様にとって戯れのようなものだったのでしょう。「たまには朝まで踊り明かそうぜ」くらいのしょうもない軽口だったように思います。それでも私はその言葉に勇気をもらったような気がしたのでした。

よし。黒川くんと会ってちゃんと話しをしよう。


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