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アドバンス・ド・蜜の味 10


数日後――。
今日は真冬といっしょに瀬戸街道沿いにある饕餮舍とうてつしゃに来ていた。テツさんこと東山哲道が運営する怪しさ満点の古本屋だ。目的はアドバンス・ド・蜜の味のファンだというテツさんの妹・綾目から詳しい話を聞くことだった。俺たちはこの雑然とした本の墓場みたいな場所で彼女と8年ぶりの再会を果たしたのだ。

「おお、久しぶり」
「ど、どうも」
「……」

さすがに全員ぎこちなかった。
綾目は高校時代よりも少し痩せて見える。もっと丸顔のイメージだったが化粧のせいなのかゆるふわ巻き髪のせいなのか全体的にかなりシュッとした感じだ。まあ高校一年生のときの綾目しか知らないからな。
テツさんは何やら常連っぽい客の相手をしていたので我々はひとまず3人で近くの支留比亜しるびあ珈琲店へ移動することになった。古いヨーロッパの石積造りのような建物から緑色のオーニングテントが張り出している。アンティーク調のドアから店内へ入ると俺たちはテーブルの奥の茶色い布張りのソファーへ座った。


目次 
        
10 11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22(完結)

中村春吾『悶々日記③』


「モーニングでも頼みますか」
「うん……」

真冬とひとつのメニュー表を吟味しているとその姿を向かいから不思議そうに見ていた綾目が「お二人はご夫婦なんですか」白々しく聞いてきた。詳しく話すと長くなるので俺は、まあそうだな。適当に返事をすると綾目が食い下がってきた。
「でも前は夏美先輩と結婚されていたんですよね?」俺は再び、まあそうだな。適当な返事をして店員を呼んだ。「特製ブレンドコーヒー モーニングセットを3つお願いします」

すると綾目は低いトーンでこんなことを言い出したのだ。
――先輩、詳しく教えてくれないとあのことバラしますよ?。

手厳しいなあ。あははは。俺は慌てて誤魔化したがこの女いきなりぶっ込んできやがる。あのこと?。あのこととはいったい……。
実は俺と綾目はキス事件のあとにも色々ドタバタがあったのだが、ただ単に「あのこと」なんて言われるともしかして自分でも憶えてないやばいことがあったのかもしれないと心配になってしまう。横目で真冬のほうをチラリと見るとただ、ぼーっと虚空を見つめていた。とくにリアクションがないのでひとまずセーフ!。

俺はそのまま受け流すかたちで話をつづける。夏美のことは知ってるかな。2年前。すると綾目は察したように「はい」返事をした。そのあとお義母さんから「真冬をもらってくれ」と言われたんだ。順縁婚じゅんえんこんといって扶桑家に伝わる伝統の婚姻システムなんだよ。

――そ、そうなんですか。真冬先輩。
信じられないといった様子の綾目に真冬がこくりとうなずく。
――真冬先輩はそれで良かったんですか?。

おいおい、ずいぶん踏み込んでくるじゃないか。その質問は怖くてこの2年間、真冬さんに一度もしたことのないやつだぞ。なぜ赤の他人のお前がやすやすと口に出せるんだよ。いや赤の他人だからこそ聞けるのか……。

すると真冬は無言でこくりこくりと2度うなずいてくれた。ホッと胸をなでおろす。

今日はそんな話をしに来たんじゃないんだが。
――じゃあ中村先輩はどう思ってるんですか?。真冬先輩のことをどう思ってるんですか。もっと詳しく教えてくれないとバラします。

綾目はそう言って膨れ面になった。こいつはさっきから何を言ってるんだ。やけにグイグイ来やがる。失恋でもしてきたのか。今日はそんな色恋話をしにきたんじゃないんだよ。だいたいあのとき俺と付き合っていたのは夏美のほうであって真冬には関係ないじゃないか。
だが夏美と付き合っていながら影で綾目とあやしまれるようなことをしていたなんて聞いたら、いくら過去のこととはいえ真冬から軽蔑される可能性は確かにゼロではない。残念ながら脅しとしては有効か……。

横目で真冬のほうをチラリと見るとただ、ぼーっと虚空を見つめていた。とくにリアクションがないのでひとまず……、いやもっと俺に興味をもってください!。

咳払いをひとつ。
東山さんが何を聞きたいのか正直よくわからないけど残念ながら俺たちは恋愛をして結婚をしたわけではないんだ。交際期間0日なんだよ。

俺は話を終わらすつもりでそう言ったのだがどうやら逆効果だったようだ。綾目は目をキラキラと輝かせ「交際期間0日」復唱したあと、まったく恋愛しなくても結婚できる世界があるんですか?。どこにあるんですか?。余計に食いついてくる始末だ。
べつにそんなのは珍しくないだろう。たまに芸能人が交際0日で電撃入籍とかいってスポーツ新聞の一面を飾ったりしているじゃないか。お前が住んでる世界には恋愛結婚しか存在しないのか。そんなことより早く話をすすめたいのだが……。

するとそこへモーニングセットをもった店員がやってきた。モーニングセットとは朝、喫茶店でホットコーヒーなど飲み物を注文すると頼んでもいないのにトーストとゆで卵が付いてくるという名古屋独自の食文化が生んだサービスである。まさに毎日がエブリデイだ。
できれば、こちらの詳細を話すつもりはなかったんだが綾目がやけにしつこいので俺は仕方なく扶桑家の遺伝病のことを明かした。すると綾目は「えーっ」目を丸くして驚いていたがすぐに納得した様子になってこんなことを語り始めたのだ。

――実は私、夏美先輩に言われたことがあるんですよ。私が部活に行かなくなって何日かしたとき夏美先輩がいきなり一年生の教室に乗り込んできて、ひと悶着あったんですけど。先輩が私にこんなことを言ったんです。

「あたし23歳くらいで死んじゃうんだ……
 だから残りの人生を楽しまなくちゃね!」

おいおい、なんちゅう話をしてくれるんだ。
ってことは夏美は高校二年生のときにはすでに自分の死期を悟っていたってことなのか?。そんな話、今さら……。
横目で真冬のほうをチラリと見ると、まるでハムスターのように表情ひとつ変えず食パンにはむはむかじりついていた。話を聞いていないのか聞いたうえでこのノーリアクションなのか。結婚して2年になるが、いまだに真冬さんのことがよくわからない。

俺が少し引いていると綾目はさらに話をつづけた。
――私あのときのことを夏美先輩に謝ってなくて。ずっと夏美先輩に謝りたかったんですけどそのまま転校しちゃったもんだから夏美先輩の訃報ふほうを聞いたときはもう本当にショックで。今でもずっと後悔してるんですよ。

すると突然、真冬が立ち上がって「行こう」つぶやいた。え?。

――今すぐ!。
ど、どこへ……?。

饕餮舍とうてつしゃに戻った俺たちはテツさんにお願いして扶桑家の墓まで彼の愛車・白いカローラバンで連れて行ってもらうことになった。

扶桑家の墓は平和公園内にある猫ヶ洞池のほとりに人知れず建っている。そういえば夏美は俺と結婚してすぐに死んでしまったので扶桑家の墓にも分骨されてるんだった。その手のこだわりがまったくない家風の中村家で生まれた俺はすっかりと忘れていたのだった。

霊園に到着すると近くの道路は路駐の車でいっぱいだった。猫ヶ洞池のほとりがメタセコイア広場という大きな憩いスポットになっているためだ。
するとテツさんが「車を停めてくる」と言って先に降ろしてくれたので俺たちはひとまず3人で扶桑家の墓へ向かうことにした。たくさんの墓に囲まれながら荒めのコンクリートで舗装された細い坂道を登る。綾目はここへ来る途中に花屋で購入した菊、リンドウ、カーネーションの花束を手に持っていた。しばらく歩くと丘陵の頂上付近に立派な御影石の柵に囲まれた、いかにも格式が高そうな墓が見えてきた。

俺たちは柵のなかへ進み、お墓全体を綺麗に洗って花を供えた。合掌……。ふと見上げると雲ひとつない晴れ空だった。

ありがとうございます。やっと夏美先輩に謝ることができました。綾目はそう言って何度も真冬に頭を下げていた。それから俺たちは丘陵をおりてメタセコイア広場を横目に猫ヶ洞池の外縁に設けられた八角形の東屋あずまやのベンチに腰を下ろした。池の周りには柵があり等間隔に紅梅の木が植えられている。柵の向こう側は大きな階段状の堤防になっており知らないファミリーがバス釣りを楽しんでいる。

「この池でよく兄ちゃんがブルーギルを釣って唐揚げにして食べてました」「あのひとならやりかねないな」俺たちはしばらくそんな雑談をしたあと本題に入った。改めて綾目が口を開く。

――先輩方のご期待に添えるかわかりませんが密の味のメンバーについて私の知っていることをお話しますね。と言っても彼女たちの出自について公式からは何も発表されてないので本名、出身地など何もわかっていません。唯一わかっているのは彼女たちの身体に刻まれた聖印スティグマだけなんですよ。

スフィン・ド・本陣ちゃんは緑の目オッド・アイ
ジゼル・ド・東別院ちゃんは蛇の舌スプリット・タン
ガルル・ド・覚王山かくおうざんちゃんは白い睫毛ホワイト・ラッシュ
クロエ・ド・六番町ちゃんは第六の指シクスス・フィンガー
オパール・ド・平安通へいあんどおりちゃんは尖った耳エルフ・イヤー
モカ・ド・星ヶ丘ちゃんは狼の牙ウルフ・ファング

これらは公式設定ではなくてファンダムが勝手に呼んでいる名称なので多少ゆれがあるんですがだいたいこんな感じです。でも彼女たち自身はこの個性を変にアピールしたりせず自然体なんです。逆にそういう飾らないところが人間力が高いっていうか、貫禄があるっていうか……。ここで俺が話に割って入った。

実はずっと気になってたんだが。
――なんでしょう。
そのアパートみたいな名前はどういうことなんだい。
――それ聞いちゃいます?。

もしかして触れてはいけない部分に触れてしまったのだろうか。なぜか綾目は辺りをキョロキョロと確認したあと小声で事情を教えてくれた。
――さっきも言った通りメンバーの出自に関する情報はいっさい公表されてませんのでこれはあくまでもファンの間で囁かれていることなんですが、メンバー全員が名古屋市出身でそれぞれの実家の最寄り駅なんじゃないかって言われています。

おいおい。急に小声になるからもっと衝撃的な秘密があるのかと思ったら、思った通りじゃないか。

そもそも昔のフランス人の名前によくある「ド(de)」は出身地を示す言葉なんだからそのままの意味なんだよ。呆れ返っているとずっと黙って聞いていた真冬が突然「砂時計……」つぶやいた。すぐさま綾目が反応する。

「蜜の味のロゴマークのことですか?。あれは蜜っていう漢字を砂時計に見立ててつくられたものなんですが、それ以外のことはわかっていません」
「ねえ、綾目ちゃん、蜜の味のメンバーのなかで相性のいい組み合わせみたいなものはあるのかしら?」
「ああ、それはファンの間でカップリングって呼ばれる概念ですね」

真冬の質問に綾目が即答した。彼女によると、その妖艶で近づきがたい見た目とは裏腹に礼儀正しくて真面目な性格のスフィンと同じく真面目で控えめな性格のオパールの組み合わせの真面目ズ。
ジゼルとガルルという屈指のかっこいい系二人による組み合わせの魔性ズ。クロエとモカというかわいい系二人による組み合わせの妖精ズ。
あとメンバーのなかで最年長かつ一番背の高いスフィンと最年少かつ一番背の低いモカのちぐはぐズ。などがあるという……。

――あと、スキンシップ苦手なオパールがなぜかクロエだけには心を開いてる姿が恋人同士みたいということでこの二人は恋人ズって呼ばれています。それがどうかしましたか?。

綾目が不思議そうに答えると真冬は「ちょっと確かめたいことがあるの」スマホで地図を表示するよう所望してきた。言われるがまま名古屋市の地下鉄地図をスクショして写真編集アプリのマークアップ画面で開き直す。
すると真冬は今さっき綾目から説明されたカップリング通りに「本陣駅と平安通駅」「東別院駅と覚王山駅」「六番町駅と星ヶ丘駅」をそれぞれ線で結び始めたのだ。そこには見事な3本の平行線が現れたではないか!。

しかし驚くのは早かった。さらに真冬は残りの組み合わせである「本陣駅と星ヶ丘駅」「平安通駅と六番町駅」を結び始めたのだ。その線が「X」のように描かれるとそこに表れたのは……。

大きな砂時計!。



「な、なにこれー。すごーい!」

綾目が驚嘆の声を上げる。もしかして真冬さん、さっき東山さんの話を聞いたときに咄嗟にこれを頭のなかでシミュレーションしたんですか。聞くと真冬はこくりとうなずいた。す、すごい。何でこんなことに気づけるんだ。

――これは砂時計じゃねえな。

いつの間にか車を停めてくると言ったきり帰ってこなかったテツさんがあごに手をやりながら会話に参加していた。
どこ行ってたんすか。まったく……。すると真冬が当たり前のように「もしかして神代文字ですか?」会話をつづけた。「お、さすがお嬢さん。この砂時計みたいなマークは呪法陣じゅほうじんってやつだ」テツさんがゆっくりとベンチに腰を下ろして改めて口を開く。

――あくまでもこれは呪いの専門家としての推測なんだが、この呪法陣の形からするとこれは自分以外に5人の人柱をつくり、それぞれを名前で縛って発動させるタイプの呪いだと考えられる。その際にやつの身体的特徴。即ち聖痕スティグマが人柱の証としてそれぞれに分け与えられたんだろう。

テツさんの話によるとスセリヒメは古代中国の方士一族の娘だったという。方士とは古代中国において占術、錬丹術、房中術、呼吸法、瞑想法、あらゆる方法を駆使して不老不死を追求してきた専門家たちのことらしい。
ただし、そんな彼らが生み出した方法のなかでも他者に損害を与えるものは呪術と呼ばれその多くが道義的な理由で禁呪となり歴史の闇に埋もれていったとのこと。

さっきから真冬とテツさんが地図を見ながら難しい会話をしている。
「もしかして人体を表しているのかしら……」
「駅のあるところがちょうど経穴ツボになってるな」
「それぞれのツボが土地の龍穴りゅうけつに対応しているのかも」
「お嬢さんは鋭いな。おれの秘書になってくんねえか?」

あの、どさくさまぎれにひとの妻をナンパしないで下さい。諌めるように言うとテツさんはニターっと笑った。前歯が1本なかった。ここでずっと黙ってそのやりとりを見ていた綾目がキレ気味に入ってきた。

「だったら何で彼女たちはわざわざヒントになるような名前を名乗ってるの?。もっとぜんぜん違う名前にすればいいじゃん。芸名なんだし……」

テツさんが応える。
――さっきおれは名前で縛ると言ったろ。そもそも名付けという行為はもともと呪術なんだよ。たとえばそこの水たまりは「池」と名付けられた瞬間に「池」の概念に縛られることになるだろ?。やつらも自らを縛ってるのさ。むしろその名前でしか存在できねえと言ったほうがいいかもしれん。

だが綾目も負けていない。
「じゃあ何でアイドル活動なんて目立つことしてるの?。そういう事情があるなら誰にも見つからないように隠れて生活してたほうがよくない?」

たしかに一理ある。しかしテツさんは顔色ひとつ変えなかった。
――名前っていうのは付けたらそれで終わりじゃねえ。誰かに呼ばれなきゃ存在しないも同然なんだよ。逆に言えば誰かに呼ばれれば呼ばれるほどその存在力が高まるのさ。やつらが芸能活動をしている理由は不特定多数の人間から名前を呼ばれることによって呪法陣を強固なものにするためだろう。

「意味が分かんない。それって科学的根拠はあるの?」

綾目の容赦ない指摘にテツさんが平然と答える。
――道教の経典『黄帝陰符経こうていいんぷきょう』に「宇宙は手に在り万化は身に生ず」とあるように古代中国の道士たちは人体のなかに宇宙があると考え、それを実践的に体系化してきたんだ。つまりこれが彼らにとっての科学なんだよ……。

テツさんがそう言うと綾目はそれ以上何も反論しなかった。

うーん。理屈はよくわかりませんが要するにこの呪法陣さえ何らかの方法で機能しなくしてしまえば、真冬さんの呪いは解除できるってことですか?。尋ねると「まあ、焦るなシュン坊」明言を避けられてしまった。テツさんによるとこれは素人が手を出せる代物ではないとのこと。
「まあ、あとは専門家に任せておけ。ネバーエンディングストーリーにはさせねえよ?」巧くとも何ともないことを言って彼は話を締めくくった。真冬はとくにリアクションをすることはなかった。綾目もずっと黙り込んだままだった。

ふと池のほうへ視線をやると何やら大物が釣れたようで柵の向こうのファミリーが大はしゃぎしていた。



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