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【テニプリ】 無我の境地

【無我の境地(むがのきょうち)】
 
『テニスの王子様』に登場する用語。
 
 「我が心すでに空なり、空なるが故に無。」
 己の限界を超えた者のみが到達できる境地。

 視認できるほどのオーラが立ち上がり、
 頭で考えて動くのではなく、
 身体が実際に体験した記憶などを含め、無意識に反応する。
 ただし己の限界を超えたところでプレイするので、
 体力を急激に消耗してしまうのが弱点である。

 さらに無我の境地の奥には、三つの扉がある。
 ・百錬自得の極み(ひゃくれんじとく)
 ・才気煥発の極み(さいきかんぱつ)
 ・天衣無縫の極み(てんいむほう)
 


【百錬自得の極み】
 無我によって発生するオーラを片腕に集中することで
 相手の打球を球種そのままに威力、回転を
 倍にして打ち返すことができる。
 無我をよりコントロールした状態にあるため、
 副作用である急激な体力消耗を抑えることもできる。
 
【才気煥発の極み】
 無我のオーラを使って頭脳を活性化させることで、
 一球ごとの戦略パターンを瞬時にシミュレートし、
 最短何球目でポイントが決まるかを見極めることができる。
 その正確性から「絶対予告」と呼ばれている。

【天衣無縫の極み】
 他の二つの扉とは次元が違っており、
 「開かずの扉」とも呼ばれている。
 
 無我マニアの千歳の調べでは、
 数十年前に一人だけ扉を開いた人物が存在する。
 それが、かつての伝説のテニスプレイヤーであり、
 リョーマの父、越前南次郎である。
 
 南次郎の解説によると、天衣無縫の極みとは
 「テニスを純粋に楽しむ心そのもの」である。
 
 テニスを始めたばかりの頃、
 日が暮れるのも忘れて夢中になっていたり、
 どんなにやられても楽しくてしょうがない
 という時期は誰にでもあって、
 その時は誰しもが天衣無縫の極みなのだ。

 それがいつしか勝つために安全なテニスを覚えて、
 誰もがあの時の純粋な心を忘れてしまう。
 これが「開かずの扉」と呼ばれる所以である。

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