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ただの豆腐のつぶやき

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一瞬一瞬で考えたことを書き留めているコーナーです。 当たり前のことを改まって言っている感もありますが、意外と忘れてがちで大事なことだと思うので、自分が忘れないためにも書き残してい… もっと読む
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本の中で「人生最後の日を想像して見えてくるものがある」と書いてあったので、早速実践してみたら、自分は「楽しい人生だった」と言いたいことに気づいた。それってつまり人生の一部である1日を「少し楽しかった」で終えることなんじゃないかと思った。

「自分が納得する方法でやればいい」と言われたりその言葉を見たりするけど、自分が納得するほうに進んで、失敗するのが怖い。
どうしたらいいんだ…

「周りと比べて自分は…」と言い合っている優秀な人たちにたくさん囲まれていると個人的に感じていて、元々その考えの自分もどんどん深みにはまって抜け出せなくなりそう。
なので、最近は「みんな空の上で戦っているなー。自分は地上で歩いていこー」と切り離して考えてみるようにしている。

tomy先生の「ほどほど力」を読んでいて、ふと、「~するべき」はずっと他人軸でよくない!と思っていたけど、自分で決めた目的と現在地を見比べたうえで、目的を達成するために、自分で考え付いた「~するべき」は、自分軸なのでは?と思った。ますます自分軸他人軸がわからなくなってきた。

院に出すES的なものをゼミの先生に添削してもらって、色々アドバイスを頂いた。その中で自分の経験から得たことや長所を書く時にどうしても、思ったこと考えたことを言語化し切ることができなくて、ずっと行き止まりな感覚になる。「目に止まるような光るものを」って難しいなー。

今人間の「普通」について考えていて、思い浮かんだのが何の変哲もない白い箱だった。でも人間は、全員違う顔だし、考え方も少しずつ違う。みんな少しずつ違う。その状態で、箱みたいに「普通」になれるのか。不可能だと思う。そう考えると「普通」「みんな」「平凡」って存在しないのかなと思う。

周りの優秀な同期たちが、なにかに追い立てられているように過ごし、メンタルがやられているのを見てきたからか、そこまで病んでいない(体感)+良い成果を出していない自分は頑張れていないのでは?むしろもっと病むくらい行動しなければいけないのでは?とか思い続けている。多分そんなことはない。

優秀な人の行動を真似するのは勉強になるからいいけど、考え方や価値観、感情まで同化しようとするのはやりすぎなのかなと思った。

周りの同じ目標を持つ人達ができていることが全然できていない→「普通」ではない・落第者とずっと思ってたけど、今日は「空の上にいる人たちはそちらで戦ってもらって、私は私で好き勝手進んでこー!」と謎に吹っ切れた。吹っ切れるときの言い方悪いかもしれん。

相談する中で、みんなと同じ道を歩まなくても目標にはたどり着ける、問題は目標に向けていかに自分を行動させるか。だという事に気づいた。その中には「自分の感覚を信じる」「自分を信じる」も含まれると思うけど、その言葉より最初の言葉が私はしっくり来た。また頑張ろう。

自分を完璧に知ろうと頑張りすぎる必要はないし、心を常に波がないように落ち着かせようとする必要もない気がする。今まで頑張ってきたからお休み。

そっか。別の道に行ってもいいし、休んでもいいんだな。そう思えたら、また今の道で頑張ろうと思えた。

noteの記事で、自己肯定感とかを個人的に考えてみたけど、自己否定の中には「本当はこうしたいのにできない自分が嫌い」っていうパターンもあるよね。
その場合はどうやって考えるのが一番苦しくならないかな。難しいな。

何を求めてスマホを見ているだろうとふと疑問に思って、自分なりに考えてみた。
多分、刺激を求めているんだろう。
興奮するようなものではなくて、心から何かが湧き上がってくるような何かが染み渡るようなそんな刺激。感動に近いかもしれない。
そしてそれはおそらく私のスマホの中にはない。