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【思春期編】ダイエットその② - 115kgになるまで2【デブ】

「チックですね。チック症。ストレスのかかる環境に置かないようにしてくださいね」

凄まじい速度で瞬きをする画伯ちゃんの様子を見て、病院へ連れていった祖母の横でそう話す医者を眺めていた。

祖母は両親に説明したが、結局両親も祖母も意味がわかってない様子だった。

今思うと追い詰められていたんだと思う。
何にだろう?誰にだろう?

前回の様子↓↓↓


中学生時代

前回の小学生時代を越えると、靄がかった世界はハッキリとしていった。
思春期は俺を初めて客観視させていく。

服を買うのも着るのも怖かった画伯ちゃんにとって、中学からの制服制度は嬉しかった。楽だった。
やっとこさの平等。周りの目を気にすることも少なくなっていた。


中学に入ると、1年生の担任が陸上部の顧問をしていた流れで声がかかった。

「画伯、陸上部入らないか?」


「はいっ!!!」
画伯ちゃんも入部することに。

その頃の別目線のnote↓↓↓


陸上部に入った理由は
"早く走れるように"

具体的に書くと、体育の長距離走で順位が真ん中以上になるようにだ。

"痩せたい"とか"友達が欲しい"とか他の目的は特に考えていなかった。
もう嫌だったんだ。 今までずっと最下位だったから。

200mも完走できなかったから。

陸上部の顧問(担任)は「痩せて人生変わるぞ〜」と話していた。

意味がわからずニコニコしていたが、そんな顔も日が経つにつれて梅干しのような表情を見せていく。

ストレッチ、筋トレ、短距離、中距離、ハードル、走り高跳び、走り幅跳び、砲丸投げ、リレー、インターバル、メンタルトレーニング...

毎日毎日、朝から夕方までずっと運動していた。
常に筋肉痛や故障が付きまとう。

顧問は女子生徒にセクハラめいたストレッチを施し、パワハラめいた暴力を男子にふるっていた。

"早くなりたい"

時に他校生徒の前で顧問に殴られて、数メートル吹っ飛んだりしていた。
頬をえぐった拳のスピードはとってもスロー。

純粋すぎたんだ。
先輩も目の前で吹っ飛んでいた。

"早くなりたい"

1度帰宅し、夕方から夜までは塾。
そしてまた帰宅。

その登下校だけで今(2020年)なら筋肉痛になりそうなほど。


するとみるみるうちに痩せていった。
小五で50kg、小六で160cm,60kgあった身体が中二頃になると170cm,70kgになった。

体脂肪率は45%くらいが、15%ほどになっていたはず。


しかしパワハラに耐えられず、部員みんなでストライキを起こしたタイミングで退部した。

要因があったとはいえ、行動を止めるっていうのは恐ろしい。

筋肉が落ちていった。
みるみるうちに太っていった。

高校生時代

高校に入って数ヶ月。
通学と体育のおかげで体重は少し上昇してキープ。

ある日、仲良くなったクラスの友達に声をかけられる。

「なぁ、俺の代わりにドラム叩いてくれへん?」

"面白いな"と思うことはすぐに受け入れる。
陸上部の顧問に声をかけてもらった時と同様。自分から何かをすることはほとんど無いのに、そんな俺にも面白い瞬間は巡ってくる。

OKと返事をして、そんなに知らない浅い関係のクラスメイトとバンドを始めた。
ドラムを代わった友達は、自分がギターのバンドを始めていた。


その日から、通学、体育、バンド
高二からは飲食店でバイトも始めた。

体重はゆっくり増加して175cm,80kgほどに。

ずっと童貞、ずっと受け身。

高校を卒業してバンドは止まった。
それでも楽しかったな。

すでに新しいバンドも動きだしていたから。

大学生時代

電車などの密閉空間での恐怖、大学以降に出会った人とのコミュニケーションがうまく取れない不安で、完全に精神がおかしくなっていた。

それでも、なんとかバイトと大学を続ける。

"ドラム叩いてくれへん?"と誘ってくれた友達も同じバイト先にいた。高二の頃から。


彼が面接をお願いする電話で「画伯ちゃんってやつも面接いいですか?」と謎の根回しをしてくれたおかげで同時面接が決まり、同行して笑っているだけで受かっていた。

全て勝手に進んでいく。


数年後、そのバイト先に入ってきた後輩と、そいつの高校のクラスメイトと、ドラム叩いてくれへん?と話しかけてきた友達との4人でバンドを組むことになった。

足りないパートをやるだけ。俺はベースを買った。
弾いたことすらない。

全て勝手に進んでいく。

Steinbergerのベースを抱えてスタジオに行き、はしゃいで暴れて、曲作って叫び、帰り道の公園で何時間も面白いことを思案する日々。

しかし高校ほど運動量もなく、バイト先のごはんを食べ、タバコを始めていたツケはでかい。

175cm,100~110kgほどをうろちょろ。

しかも今思えば年単位で躁状態だったように思う。
我慢できずバイト中にはしゃぎ回ったり、アイデアが止まらず曲やイベントの案を深夜まで公園で出し続けていた。

紆余屈折あり、バイト先で出会った後輩のドラムと2人でバンドをするようになった。

大阪、全国の素晴らしいバンドと対バンしていく日々。
特にメロディックパンク界のバンドさんに良くしてもらっていた。

自分たちの芸術性のない、訳の分からないパンク風なバンドを気にかけたり愛してくれる方々がいた。ありがたかった。

気づけば110~120kgを行ったり来たり。
もう全方向への欲が止まらなかったんだろうな。

それでも童貞、それでも受け身。

そこまでの日々と、それからの日々は
長編noteのマガジンに↓↓↓
https://note.com/get_up_punks/m/m16ceec93fab5
(2021年3月までに全て書き終える予定)


しぼみ時代


そんな日々も移り変わっていく。
精神を病みながらも、出なくなっていくアイデア。
面白くなくなっていく発想力。

技術を磨くほうにシフト。
そこで気づくのは周りが昔から習得している部分。

今まで見えていなかった。
見ないようにしていたのかもしれない。

いくら技術を上げようとしてもうまくいかず、アイデアも無くなり、自信を失っていく。


当たり前の日々も全て同時期に止まりだし、バンドは殺し合いの末どっかに消えた。
童貞を捨てて創作感覚も変わった。画伯ちゃんは他県に逃げた


親にも友達にも黙って。

何も知らない町に2年逃げた。


バンドが潰れたショックと、精神病が発症しきっていた2013~2015年は80kgほどまで痩せていた。

誰にも顔を合わせない2年。
痩せた姿を見た人はいなかった。

最高潮時代

2015年の夏。
初めて精神科に通いだし、精神薬を飲み始めるとあっという間に30kg太った。

ごはんを我慢できないし、外は怖いままで1人では歩けず。

少しでも運動しようとエアロバイクを買ったり、筋トレストレッチを始めても体重の増加は止まらず。

最高潮を記録していた。

その暮らしも破綻。
数年ぶりに実家のある大阪へ帰ってきた2016年初め。

体重は115kgに。最高潮だ。

最高潮のわかりやすい写真はコチラ↓↓↓

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大阪に帰ってきて、新しい精神科に通う。
いろんな精神薬を飲み続け世界がまどろんでいく。

何度も考え直したけど、やっぱり死のうと思った。

足は遅いし、体は重いし、童貞のような発想力もないし、行動力も恋愛も夢も何も無くなっていたから。

受け身のままだと、世界がとろけたまま終わっていくだけだから。
死ぬしかないと思ったんだ。

"ストレスのかかる環境"の無い世界へ行けるように。

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つづく

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ダイエット集マガジン
https://note.com/get_up_punks/m/m074b84e5a72c

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