見出し画像

思い出の補完

私には6歳離れた
がいましたので
子どもの頃は
怪獣アニメ
再放送で
ウルトラマンシリーズ
一緒に良く
観ておりました。

昨日は
主人と映画

シン・ウルトラマン

画像1

観に行きました。

製作者側
パンフレットにも

画像2

画像3

注意書きの帯を
付けるほどなので
そのご意志を尊重し
内容には
触れないようにいたします。

再放送で観ていた

ウルトラマン

画像4

外星人(宇宙人)から
知的生命体としての
人間を観察し
その人間が作り出すものを
冷静に見つめている
視点が描かれています。

それを1番
痛感したのは
その次の

ウルトラセブンでした。

画像5

最終回
ウルトラマンは
ゼットンという敵に

画像6

倒されてしまい
兄のゾフィーに助けられ
故郷のM78星雲に
帰って行きます。

私は知らないうちに
泣いていました。

画像7

当時
我が家には
母が可愛いがっていた
母の従兄弟の大学生の
Hちゃんも

画像8

(おじさんとはとても呼べない(=^▽^)

良くお家に
遊びに来ていたので
一緒にテレビを観ていました。

私が泣いているのに
気づいたHちゃんは

『○○ちゃん、ウルトラマンが宇宙に帰ったから、寂しくなっちゃったんだね。』

画像9

円谷プロの10代目

帰って来たウルトラマン

携わられた

画像11

大岡社長の
インタビュー記事です。

Q:空想特撮シリーズは「大人の鑑賞にも堪える」と評価されています。
A:結果的には子供にも届きましたけど、脚本の内容を見ても当時は子供ありきではなかったですよね。今では「ファミリー向け」なんて言うけど、当時ファミリーなんて言葉そのものがなかったわけですし。「一般家庭」という言葉くらい。初期シリーズ、『帰ってきたウルトラマン』もそうかもしれないですけど、強烈な社会的メッセージを込めたエピソードがありますよね。今だと企画を通すのも大変だなというようなものもあった。しかし、結局はそれが評価されたわけです。それはスタート時点から円谷英二さんというより金城哲夫さんに強い思いがあったと思います。そういう作家に声かけをして全体的なトーンをまとめたのが円谷英二さんだったわけですけど。今思うと、当時のスタッフ、キャストもそうだけど、ぼくは熱量だと思います。新しい作品をつくりたいという熱量がすべて。怪獣、特撮、社会的に認知されていないものを仕事として受けた以上、やってやろうじゃないかという熱ですよ。そこで具体的にどういう方法論をとればいいのか、というのは誰もわかってなかったと思いますが、やっていくうちに反応があって、最高視聴率も42.8%までいって、スタッフは元気づけられた。これをくりかえして作り続けてきました。

画像10

シン・ウルトラマン
ラストにも
やはり泣かされたのです。

【そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。】

ネタバレではありません
これはこの映画の
キャッチコピーです。

かつて子どもだった
大人が楽しんで

子どもは
誰のために戦うのか?
知ることが出来る
映画でした。

画像12

フォローさせて頂いている
朝月広海さん
映画の主題歌を歌われる
米津玄師さんのことを
書いていらっしゃいます。

週末最後の日曜日
今日は真夏日だそうです。
水分補給を忘れずに
楽しくお過ごしください。






この記事が参加している募集

#スキしてみて

523,049件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?