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大好きな祖父が亡くなって学んだふたつのこと


こんにちは。週1回のオフを毎回じいちゃんと乾杯していた超一流Fラン体育学生こと剛腕です。

先日、祖父が亡くなりました。80歳でした。

最高の人生だったと思います。

ここでふたつのことを学びました。

結論から話すと

優しさとやれることはやること

このふたつです。

何度か日記をしていて祖父が闘病生活ということなにかできることは絶対にしようと。いい続けてきました。

特にコロナウイルスが流行り始めた頃から買い物は祖父の代わりにして入院前は歩くのもなかなか困難な祖父にマッサージをしたりリハビリしたりできることはしてきました。

もう絶対にいつかは亡くなるとそう思ったのです。

もちろん亡くなってほしくはないです。

しかし生きている限りは歳をとる限りは死に近づいています。

僕は今まで22年間、生きてきました。

AKIOさんのYouTubeをみて最高の1日にします。

といい続けてる彼をみて、その時から僕にとって最高の1日とはなにか?

とセルフトークする時間が増えました。

確かにやりたいことやる。好きなことをやるということは将来の自分にとってとてもいい時間になると思います。

けれども祖父がなかなか体調が良くなく精神的にも参ってるときに、何かできないだろうか、もっと楽になってほしい。今まで色々なことをしてもらった。

それの恩返しじゃないけれどなにかできることはないかと探し始めたことと。いつか大好きな祖父が亡くなるのだと思ったらやれること絶対にやろうと。

人間いつかは死ぬ。

その時に俺は祖父に対して後悔ないくらい寄り添ったと胸が張れるくらいの行動をしようと思いました。

自慢げにいうつもりはないがそこから

毎週月曜日のオフの日は毎回毎晩一緒に飲んだし月曜予定入っているなら日曜に飲み行ったりした。

練習がある日でも午前中いってマッサージしたり一緒にリハビリしたり家事なども出来ること頼まれたこと以外でもなんでもやった。

入院してるときは面会時間がある限り急いで帰って5分でもいいから会いにいった。

入院してるときにお見舞いにいくのは大学2年生の時に5日間だけ入院したことがあってその時にお見舞いきてくれる事の有り難さを感じたので、入院してる人がいる時にはいけるときには絶対に行くというのが自分の中でその時できた。

当時祖父は毎日来てくれました。孫が可愛かったとか心配してたとかあるかもしれませんが、そこでも優しさをハンパなく感じました。

やっぱり人間しんどい時に誰か手を差し伸べてくれる人がいるかいないか、きつい時に寄り添ってくれる人がいれるかどうか。

これは本当に大切なことだと思います。

祖母は僕が9歳の頃になくなってそこから祖父は一人暮らしで、僕はよく祖父の家にいっていました。

いつも食べ物食べろっ言われてラーメンとかお餅とかせんべい毎回食べていた。

特に祖父もせんべいが大好きで最後に口にしたのはまさごっていうせんべい。

実はその前に意識が飛んだり朦朧とする前に大好きだった肉とか刺身が食べたいと僕に言ってきたので言われた2日後のオフの日に焼肉弁当を買って行きました。

しかしその頃には意識がなくとなりで1人、目を瞑る祖父の横で泣きながら焼肉弁当を食べました。

匂いだけでも嗅がせてあげれたかな?と思いながら1つ残して起きたら食べさせてあげてくれと看護師さんに頼んでおいてもらいました。

結局その日は寝たままで起きなく食べさせてあげれなかったのは悔しかったです。

焼肉も好きだし寿司や刺身も大好きだった祖父。

僕も食の好みがかなり似て、その影響から高校の寮生活の時の仕送りは毎回まさごのせんべいが入っていました。

とにかくいつも優しく接してくれました。

バッティング練習が出来るネットがあってよくボールを上げてくれていたりもしました。中学の頃には友達をよく連れてきていてその友達にもラーメンやお餅もせんべいも振舞っていました。

とことん優しい祖父でした。

だからこそやれることは絶対にやろうと思ったし優しく接してあげようとも思いました。

祖父は好きなものには凝っていてずっとそればかり頼むので母にはめちゃくちゃ怒られてるのでうまく誤魔化して買い物して同じの買わないように言われていたが裏では同じの買ってきてくれって僕に頼んでいるの同じの買ったりしてあげてました。

出来ることはやり抜きました。

残念ながら先日亡くなりました。

僕は三人兄弟の末っ子です。姉と兄がいます。

姉は何回か面会だったりしたり祖父の最期の方をみているのでもちろん悲しいと思いますが、それよりかなり残念がっていたのは大阪で飲食店を営む兄です。最後に会ったのは家族で今年の年始に大阪旅行行ったときです。その時はお酒も飲むし自分の足で歩いていた頃でめちゃくちゃ元気でした。

そこから再会したのは痩せ細って穏やかそうに目を閉じる祖父を目にした時はびっくりしてました。

随時祖父のことは父と私で兄には連絡していましたが、兄はどうしても自分の商売があり帰りたくても帰るのがっていう感じで、兄自体帰ってきたのが葬儀の前日に帰ってきた。1人で悲しそうにしていたので、そっとしといた。兄にも沢山の思い出があるだろう。

兄は初めて買ってもらったグラブはじいちゃんが買ってくれたらしくそれを握りしめてた。

祖父は孫の料理を食べれてすごく嬉しいと言っていたのにといった。よくまた大阪に行きたいって言っていたのでそれを兄貴には伝えた。兄も喜んでいた。もっと美味しい料理、食事を提供できるようにしたいとも言っていた。

姉も仕事とかでそこまで会えてたわけではなかった。

2人ともめちゃくちゃ悔しそうに悲しそうにしていた。他の人も親戚の方ももちろんそうだった。

しかし僕は確かに悲しい😭

けどやれることはやりまくった。いつか死ぬと思っていたからもう危ないと思ったから長くはないと思ったから行ける日はいった。頼まれ事以外にも自分から率先してやった。

そうなった時に姉や兄と比べてやりきっているから吹っ切れているというか、悲しいしもちろん涙は出てくるが、後悔はあんまりなくてもっとこうしたかったしてあげたかったとかは全くない。

例えば、今までだったら甲子園行けなかった時とかもっとこうしたけばよかった、進学先とかももっと日頃から勉強してもうちょい上目指せたとか、他にも沢山いろいろこうしとけばよかったとか後悔があると思うけど、祖父が亡くなったことに対してもっとこうしとけばよかったっていうのがない。

後悔が全くないっていうもちろんわけではないが例えばだったら、会っておけばよかったとかもっとお手伝いしとけばよかったとか全くない。

やれることはやった。やりきった。

そうこのマインドがなにに対しても大切なのかなって思った。

AKIO氏もいう時間の使い方は命の使い方

もうこれに尽きる。毎日が1日人生で当たり前のようにやってくるかもしれないがいつ死ぬかもわからない。

ただなんとなく過ごしてしまう1日もあればやりきった1日もあると思う。

どうだろうか、

今、死んでこの人生最高だったと思えるだろうか。

今この瞬間からがもうすぐ過去になる。もう時間というのは戻ってこない。

あの時こうしとけばよかったとかは今からでも遅くないものもあればもうどうしてもできないこともあるかもしれない。

だからこの今この瞬間を大切にしよう。

やり切ろう。やり抜いたら後悔は出るかもしれないがやりきったと思えると今回感じました。

優しさとやり抜くこと。

祖父から学んだことです。

僕は人に寄り添い困ってる人がいたら助ける。

目標に向かって突き抜ける人生にする。

そのためにやり抜く。時間は戻ってこない。

今日は部活が休みなので祖父が大好きだったうどん屋さんにいまからいきます。

この通りうまく文は書くこと文脈や内容はごちゃごちゃかもしれません気持ちが伝わればいいかと思って書きました。

長い文読んでくれた方々には感謝します。

ありがとうございます。

これからも思ってること感じたこと書き綴ります。

みなさんも優しさに溢れた人生とやり抜く人生にしましょう。




祖父へ

ありがとうじいちゃん。

ギャンブルしたことないけどじいちゃん大好きだった大宮競輪と戸田公園のボートはいくよ。

もちろんじいの緑の帽子かぶっていくよ。

読売はもうリーグ優勝見えてきたよ。

原監督はすごいね。

ゆっくり休んでね。しんどかったよね。

もう今頃は楽になったかな?

家族のこと見守っててね。

あと何年になるかわからないけどそこでもビール飲もうね。

最高の人生にします。

太一







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