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 私の生まれ故郷の宮崎県は日本神話のお膝元だと言われている。

『十三歳まで神話を知らない民族は必ず滅ぶる運命にある』

 とアーノルド・J・トインビー歴史家の言葉があるように、日向神話を語り継いで育った。

 従兄弟の通う小学校は、神武天皇、幼名・狭野尊の皇居があったと言われる逸話があったし、子供の頃に遊んだ青島・こどもの国は、山幸彦・豊玉姫を祀る青島神社の目と鼻の先にあった。天孫降臨神話がある高千穂の麓の高千穂牧場には何度も遊びに行った。
 初詣先は霧島神宮であったし、神楽舞をする同級生も大勢いた。
 日向神話がそもそも、身体にも心にも根付いていた。

 瓊瓊杵尊と聞いて、私の中でパッと浮かぶのは、西都市の西都原古墳の周辺に咲く桜の花と菜の花の光景だ。
 ちなみにこの西都原古墳は平野啓一郎さんの『ある男』の舞台になった。

 初めて読んだ新潮文庫の梅原猛の『天皇家のふるさと〝日向〟をゆく』だった。
 小学生の私は、畏れ多いタイトルよりも、宮崎県のガイドブックを読む感覚でこの本を通読した。

 子供の頃の空想の根源は日向神話であったし、その神話を元に幼い私は物語を紡いだ。

 伊弉諾尊が穢れを祓ったと謂れのある、阿波岐原のすぐ目の前にあるイオンモールも県民にとっては唯一の娯楽施設だし、川端康成が褒め湛えた大淀川から見える夕暮れも、瓊瓊杵尊が湛えた地だった。
 芥川賞直木賞作家が宮崎県民にはいない事実はそういう理由もあるのだろう。
 私自身は10代の頃、閉鎖病棟に入退院を繰り返し、今でも解離性障害と複雑性PTSDの後遺症で苦しんでいる。どんなにタブー視されても、私は故郷の言葉を書いていいと思うし、それなりに覚悟している。
 むろん、この日向神話があの戦争でどれだけの犠牲を払ったかは、半藤一利さんの本や山崎豊子さん、加藤陽子さんの本を読んで知ったからこそ、取り返しのつかない、命にかかわる、タブーがあるのも仕方ないと分かっている。

 日向神話を背景に私が物語を紡いでも、あくまでも私は故郷の物語を紡いでいると思っている。
 とはいえ、調べれば調べるほど、畏怖しか覚えない。
 検索して真っ先に写真が出るのは高千穂の峰の写真だった。
 死にたい、と走って必ず目線に入った高千穂の峰。
 ああ、そういう意味なのだ、と私は毎日見かける高千穂の峰を見て思った。


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