機関砲 日本 20230602

https://twitter.com/BESAN_T/status/1664172997203357697
京都市内の高射機関砲について調べていたら、同志社女子大学のジェームズ館の屋根の上に機関砲が据えられていたのを見たという人の証言があった。これが本当なら、京都市内の大型の建物にはほとんど高射機関砲が設置されていた可能性がある。
https://dwc.doshisha.ac.jp/current/chapel_news/chapel_archive/125_years/125_years_22
4:32 PM Jun 1, 2023

https://www.dwc.doshisha.ac.jp/current/chapel_news/chapel_archive/125_years/125_years_22
ジェームズ館と機関砲 :: 同志社女子大学
いわゆる学徒動員は1943年、ボクが国民学校に入学した、その年の10月から始まっています。学生が詰襟、角帽の制服姿で銃を担って雨のなかを整然と分列行進する、あの神宮球場での壮行会の場面はあまりにも有名ですが、戦争貫徹のため教室や研究室から動員されたのは男子学生だけではありません。本学の前身である同志社女子専門学校(略して「女専」と言っていました)の女子学生も、直接戦場には行かないまでも、学業を放棄して各地の軍需工場に配属され、戦闘機の部品をはじめ各種兵器の生産に従事したり、男手を戦争に取られた農家へ援農奉仕といって、農作業のお手伝いに駆り出される一方、校庭はもちろん、松ヶ崎や岩倉に畑を作り、はては鴨川の河川敷までも開墾して畑にしてイモやカボチャ、トウモロコシなどを植えていました。
(中略)
そういうわけで、あの機関砲が、本当にジェームス館、いや、戦争中は英語は敵国のことば、敵性語であるとして使用が禁じられていましたので、同志社では建物の英語名を日本語につけかえていました。だから、ジェームズ館も至恩館と名を変えていたのですが、その至恩館の屋上に、あの機関砲が本当にあったのかどうか、いまのところ国民学校初等科2年生だったボクの記憶以外には証拠がないのです。
「125年を語りつぐ」という、このシリーズに中で、こんなことをお話したのは、皆さんに、このような時代~国のすすめる考えとちがう、別の考えかたをする人が法律で取り締まられるような、その結果、自国の国民だけでなく、他の多くの国の人々が、とりわけ女性や子供たちが、文字どおり塗炭の苦しみを嘗めることになるような、学生が教室から戦場や工場、農場に動員されたり、女学校の校舎の屋上にまで機関砲が設置されるような、そんな、今時の感覚からすればマサカ、と思うようなことが、現実だった、そんな時代が、それほど遠くない過去にあったんだ、ということを、ぜひ学生のみなさんに知っておいていただきたいと思ったからです。
みなさんが生活し、活躍されることになる時代、21世紀が、本当に平和な時代となることを、そしてみなさんがたお一人お一人が「平和を作り出す人」(マタイ5・9)になられることを、こころから祈りたいと思います。

#機関砲 #日本 #20230602 #京都 #市内 #高射機関砲 #同志社女子大学 #ジェームズ館 #屋根 #機関砲 #証言 #京都市 #建物 #設置 #同志社 #大学 #戦争 #英語 #敵性語 #使用 #建物 #至恩館 #屋上 #国民学校 #初等科 #記憶 #証拠 #時代 #国 #法律 #国民 #女性 #子供 #学生 #教室 #戦場 #工場 #農場 #動員 #女学校 #校舎 #過去 #生活 #平和 #平和を作り出す人 #マタイ #学徒動員 #1943 #入学 #10月 #詰襟 #角帽 #制服姿 #銃 #行進 #神宮球場 #壮行会 #有名 #戦争 #貫徹 #教室 #研究室 #動員 #男子学生 #前身 #同志社女子専門学校 #女専 #女子学生 #学業 #放棄 #軍需工場 #配属 #戦闘機 #部品 #兵器 #生産 #従事 #農家 #援農奉仕 #農作業 #お手伝い #校庭 #松ヶ崎 #岩倉 #畑 #鴨川 #河川敷 #開墾 #イモ #カボチャ #トウモロコシ
#fictitiousness #2023

記事を読んでいただきありがとうございます。 様々な現象を取り上げ、その現象がどのように連鎖反応を誘発し、その影響がいかに波及するかを検証、分析していきます。 皆様のお役に立てればと考えております。 応援のほど、よろしくお願いいたします。