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きづき

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一年程、裏付け的なインプットが多く、なるほど!感は増してはいるものの、点と点が丸と丸になっただけで、自分が求めるデザインの線にはまだならない今日此の頃。
じっくり紐付け整理してアウトプットする時間がないので、何とか改善したいもの。
取り敢えず、今読み終わった本はこちら。

やりたいことを語る時、それを何に直結させるかによって捉え方は変わってくる。その終着点を
「何かを成し得る為に目指すべきもの」と考える人と、「積み重ねた選択の延長線上にあるもの」と考える人とでは、そもそも話の方向性が違う。

「付き合い良いよね」という言葉を耳にして考えた。有り難い気持ちが込められているから何となく耳障りは良いけれど、「付き合い悪いよね」だったらどうだろう。自分にとって都合が良いか悪いかと言う、利己的な視点で相手の生き方そのものをジャッジしているのではないか。

目的の為の目標設定をより細分化して、順調に進んでいると思っていたけれど、根底にあるもの(あって欲しいもの)を飛び越えて、沢山の目標を達成することの方に意識が向いていたよう。細分化して散らばった目標達を、また一つに纏める。点と点を繋げばいずれ線になるけれど、その線を輪にしたい。

一定の線引きは必要だろうけど、それが誰の為のどんな線引きなのかによる。ぶっちゃけ線引きやら区別やらして良いのは弱者側発信の場合だけだと思ってる。でも世の中に溢れてるのは自分の利便性の為だけの区別要望だよね。

世の中のアドバイスの中に、どれだけ相手の進みたい方向に沿ったものがあるだろう。相手を思ってした助言の中に、耳障り良く、さも相手の為に発し相手を尊重している風の言葉を用いながら、「自分がそうして成功したから」「そうすること(だけを)望む」と言う個人的事情を乗せていないか。

相手を知った気にならない、相手の話(想い)を全て聞いた気にならない…ことが大切なのでは。
自分の考えを伝え成功例に導くよりも、相手の望みが何かを知ろうとすることが最前提。想いの通り言葉にすることに時間が掛かる人もいるし、背景は各各違う。似たような悩みと一括りにするのは非常に危険。

📗メモ:加害者と被害者が明確な事件や話し合いに於いて中立的立場を表するのは、加害者側に立っていることを表すると同時に被害者をより苦しめることと同じ。

『生きていくうえで、かけがえのないこと』若松英輔 
※抜粋ではない

人生のツール

仕事は、生きて行く為のツールでしかない。
だから、仕事を人生の目的や目標にして、そこに囚われる必要はない。
仕事が上手く出来ないからって、世の中何も変わらない。
たかがツール、無くなったって何とでもなる。
自分への期待を捨てて、諦める事が自分を追い込まずに働くコツ。

先輩からの助言。

あれこれも真面目に頑張り過ぎて、見ていて苦しくなるとの事。
それなりに自覚はある。
更に、プライドが高い、自信

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最近、有り難いことにマインドフルネスやビーイング思考を保てていて、気付き・学びが毎日山程ある。
人生が好転していく感覚を日々得ながら、あれこれを伝えようとTwitterに小出しにして、考えがまとまったらnoteに…と思いつつも小出しで満足してしまって。
それくらい順調って話です。

「自己責任」は、事が進展して余裕が出来てから感じないと潰れる。
他人が放って良い言葉ではないし、つらい最中に感じることでもない。
反省なんて苦悩が終わってからすれば良い。
昨今の「自己責任」風潮は目に余るものがある。
自分含む当事者の苦しみを蔑ろにした、いつかの自分を殴りたい。