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短編小説集(創作)

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#小説

蓮のような君

蓮のような君

「君って、蓮の花みたいだよね」

彼が突然言った。蓮の花の見ごろの朝早くに、上野公園を二人で歩いていたときだ。

私の左手を握っていた彼は、私の手を持ち上げ、顔の近くに持っていき私の手の甲に唇を付けた。私の手の甲には、タバコを押し付けた火傷の痕がある。彼はその傷から唇を離すと、優しく右手の親指でさする。

初めて彼と食事をしたとき、私はその傷の話をした。

「父に、タバコを押し付けられたの」

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次に雨が降ったら

次に雨が降ったら

「濡れるのきらい?」

 そう聞かれたのは、軒のないラーメン屋の前で、席が空くのを待っているときだ。彼は傘を差しているようで、私に言わせたらちっとも差していない。傘の中棒を無造作に右肩にかけているだけで、もう片方の肩には傘をよけた雨粒が容赦なく落ちている。

 私は、できるだけ濡れないように傘をまっすぐに持ち、バッグを体の前で抱えるようにして、心なしか背中を丸めて小さくなっていた。

「うんまあ、

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「B型の人が好きなんですよ」

「B型の人が好きなんですよ」

 2年後輩の三島君は、さわやかで面白くてモテそうな青年なんだけど、入社してきたときはすでに結婚して子供も2人いた。学生結婚らしい。だから他の人たちよりずっと落ち着いて見えたし、新入社員なのに家族を養っているから、他の人みたいに自由に使えるお金がなくて、遊んでいる風もなかった。

 ほとんど一緒に働くことはなくて、というかほぼ皆無だったけど、「よくできる」といいううわさは聞いていた。ときどき、部署全

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輝きを閉じ込める

輝きを閉じ込める

 個展も3回目を迎える。文章やイラスト、音で伝える私の作品群は、なかなかひとつの場所で同時に味わうのが難しかったのだけれど、今はテクノロジーがそれを可能にしてくれる。

 プロデューサーのKは、私が何の力もなかったころ、私を見つけてくれた。作品が稚拙で、人に見せられるものでないと思っていた私に対して「他の誰も持ちえない感性がある」と言ってくれた。

「どうして隠しているの?」

「自信を持って大丈

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額の合図

額の合図

「いま家?」
 それは、同じプロジェクトで働いている女の先輩から届いたメッセージ。俺は何の予定もない土曜日に、自宅で缶ビールを開けてソファに座り、録画したバラエティ番組を見ていた。先日合コンで知り合った女の子に連絡してみようかななんて思って、スマホを手に取ったところだった。
 メッセージの送り主は、子どもを育てながらもいつもパリッとしていて、だいたい優しくて、ときに怖い桜川さん。アラフォーだと聞い

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私の本棚にあるあなたの本

私の本棚にあるあなたの本

 あなたにとっては軽い気まぐれのキスだったのかもしれないけれど、私にとってはそうじゃなかった。あの日からずっと私の心は止まったまま。
 いつか気持ちが冷めるだろうと思っていたのに、「今日も好きだった」って、毎日、負けたかのように思う。
 あの日、電車での帰り道、あなたがバッグから取り出した一冊の本が、今も私の本棚にある。私たちは同じ作家のファンで、あなたは発売したばかりの文庫本をちょうど読み終えた

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雨>涙

「好きな人ができた。もう終わりにしよう」
 外の雨がうるさすぎて、電話の声がよく聞こえない。
 何を言ってるかはわかった。でも彼がどんな気持ちなのか、どんな声で、どんな息遣いで話しているのか、全然わからない。
 ただ、それを知ってどうなるわけでもない。どんな理由で、どんな気持ちでいたって、私が振られたことには変わりないんだ。
「うん。仕方ないね」
 物分かりのいいフリなんかじゃない。私は本当に物分

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見つけた才能

私「物語とか、書いてる?」
 突然そんなこと聞かれたのは初めて。
 何でもない合コン。人数合わせ。それなのに、こんな核心的なことを聞かれるなんてありうるのだろうか。
 隠すなら、一瞬で判断しなければならない。うろたえたり、迷ったりしたら隠していることがばれてしまう。
 ずっと誰にも言わず、書き続けてきた小説。彼はまるでそれを見透かすように、質問を投げかけてきた。
 ただ、予想はできた。私を見透かす

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朝に現れるキズ

朝起きて、いつものようにラジオを付ける。いつものパーソナリティ。明るい声で、テンション高く。――ありがたい。

2週間前、津村が会社を辞めたいと言ってきた。1年前に一緒に会社を立ち上げた共同経営者。会社はようやく僕たちの他にバイトを雇えるくらいになって、これから社員も雇いたいと考えていたところだった。

理由は、深く聞かなかった。僕も悪いし、津村にも悪いところはある。お互いにこんなに同じ時間を過ご

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隠された思い

今年のバレンタインはトリュフにした。去年はマカロンだったけど、マサキの反応でチョコレートの方が好きなんだってよくわかった。正直な人だ。

日曜日に、7歳離れた妹のマナと一緒に作った。マナは女の子同士で渡すみたい。小学3年生にトリュフは高度すぎるって思ったけど、いいんだって。
7歳も離れてると、ケンカもしない。マナは同い年の女の子に比べたらずっとおしゃれで、ませていると思う。私がいろいろ吹き込んでる

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父の夢と挫折

俺は父親を嫌っていた。

東京へ出てきて約10年。仕事の忙しさにかまけ、実家へ帰省した回数は片手で足りるほどだった。
年末年始に帰るのは5年ぶり。帰らなくてもよかったが、幼なじみの友也がしつこく誘ってきた。
「みんなも和彦に会いたいって言ってるしさ。帰ってこいよ」
友也は俺の母親に似ている。周りを巻き込みながら、なんだかんだ世話を焼いてくれる。みんなが会いたがってるんじゃなくて、俺のためなんだろう

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はじまりの夜

いつものように、店のシャッターを開ける。
「クリスマスは、お店空けるんですか?」
これまで、いろんなお客さんに聞かれた。ひとりで過ごす夜が怖くて、保険をかけておきたいのかもしれない。
バーっていうのはそういう場所でいいと思う。寂しい時に、行けば誰かがいる。お客さんがゼロでも、少なくとも僕はいる。お客さんだから、基本的には拒否しない。そういう安心できる場所になればいいと思っている。

とはいえ、

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ひと月の猶予

「あそこ行こうか、横浜」
元旦の朝、突然彼女は言う。横浜といっても、いろいろあるけど?
「ほら、海の見える……だっけ?」
「港の見える丘公園?」
「そうそう」

今日は2017年1月1日。年が明けたばかり。どうしてそんな日に、僕がプロポーズした思い出の場所に行こうなんて言うのか。結婚して10周年? いや、まだそんなに経っていない。何かの区切りがいいとも思えない。見たいものでもあるのだろうか。

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僕とスプーン家族

僕とスプーン家族

※この物語を、10月16日で7歳になった息子へ贈ります。

土曜日の朝起きたら、家族が誰もいない。パパもママも弟もいない。

みんなで先に起きちゃったのかなと思ってリビングに行ってみたけど、やっぱりいない。トイレも、お風呂も、ベランダも。いくら探し回っても、どこにもいない。玄関の戸を開けて外をのぞいてみたけど、やっぱりいない。

僕を置いて出かけてしまったんだろうか。ずるいし、ひどい。確かに僕は寝

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