雨>涙

「好きな人ができた。もう終わりにしよう」
 外の雨がうるさすぎて、電話の声がよく聞こえない。
 何を言ってるかはわかった。でも彼がどんな気持ちなのか、どんな声で、どんな息遣いで話しているのか、全然わからない。
 ただ、それを知ってどうなるわけでもない。どんな理由で、どんな気持ちでいたって、私が振られたことには変わりないんだ。
「うん。仕方ないね」
 物分かりのいいフリなんかじゃない。私は本当に物分かりがいいんだ。
引き止めたっていい関係になれるとは思えない。これ以上理由を聞いたって満足できるとは限らない。むしろ、納得できなくなる可能性もある。
「それじゃ」
 電話を切った。

 電話の声を邪魔してた雨音が、電話の声がなくなったことで主役になった。ただただ、窓や壁に雨がぶつかる音しかしない。
 そのときなぜ、ベランダの窓を開けたんだろう。頭を冷やしたいと思ったのか、ドラマの主人公みたいに傷心の中ずぶ濡れになりたかったのか。思い切り開けた瞬間、ものすごい雨粒が部屋の中に入ってきた。
 顔から足の先まで雨粒がかかった。予想より多すぎる雨の量に、我に返って窓を閉めた。
「ちょっ」
 思わず声が出た。服を見ると、前だけびっしょり。周りを見ると、窓の側の棚の上にあったノートパソコンが開いていて、キーボードに水がかかっていた。慌ててタンスからタオルを出して必死で拭いた。
 拭いていたら、なさけなくて、涙がこぼれてきた。

 現実って、なんでこんなに滑稽なんだろう。物語みたいに美しく泣いたり、誰かがなぐさめてくれたりなんてしない。
 どうせ滑稽なんだったら、もっと雨の中に突っ込んで行ったらどうなるんだろう。このひどい雨を感じてみたい。そんな気持ちが起こった。だけど正直、ずぶ濡れになるのは嫌だ。そこが、物語の主人公と違うところだ。
 服を着替えて、その上にスノーボードのウエアを着た。とにかく完璧に防水できる服がそれしかなかったから。財布とケータイをスノーボード用のポーチに入れてポケットにしまった。数年前に流行したごつい長靴を履き、ウェアのフードを被った。雨に濡れないために実務的なことを考えるのは、今の気持ちを現実から逸らすのに役立った。

 外へ出て駅までの道のりを歩く。会社や学校帰りの人とすれ違う。傘の下で、みんな猫背で小さくなっているように見える。両肩は濡れ、ズボンや靴はぐっしょりと濡れ、バッグにも水が染みている。
 私は傘をさしていないけど、全然濡れない。顔だけは外に出ているから濡れてるけど、それ以外はカラッカラで、ほっかほか。
 雨は私の脅威にはならず、私の行動を制限しない。水たまりを歩くと楽しくて、むしろ長靴が綺麗になっていくよう。私の心からも、いろいろと流れていくといい。

 駅に着いたら、傘を持っていないのか雨宿りしている人がたくさんいた。みんな暇そうに、雨が止むのだったり、お迎えだったりを待っている。
 私はいわゆる「無双状態」にでもなった気持ちで街を闊歩した。雨って、こんなに気持ちがいいんだ。
 駅を通り抜けて線路の反対側へ進み、商店街へ。商店街を抜けて横道へそれると、小さな公園があった。もちろん、誰もいない。
 防水のウエアを着ているから、濡れたベンチにも座れる。座って一息つくと、雨に濡れた木々が暴風の中、力強く立っているのが目に入った。
 自分と重なって見えた。どんなに雨が降っても、強い風が来ても、倒れるわけにはいかない。それを見ていたら、涙があふれて止まらなくなった。立っていなくちゃ。自分の足で。
 彼とは、結婚するんだと思ってた。将来の姿を思い描くとき、いつも横には彼がいた。彼も同じ気持ちだと思っていた。それなのに、これからは彼のいない将来を描き直さなくてはいけない。それはなかなか骨が折れそうだった。

 涙も拭かずに、好きなだけ泣いた。涙はあっという間に雨と一緒になる。上を向くとウエアの中に雨や涙が首筋につたってくるから、うつむき加減で雨をよけながら。だけどこんなにたくさんの雨の中では、私の涙なんて少なすぎる。いくら泣いたって少ない。その紛れもない事実は、私の気持ちを少しだけ軽くしたような気がした。
 散々泣いたら、いつの間にか時間が経っていたらしい。気づいたら、雨が止んでいる。雲の隙間から月が見えた。私の心も一緒に、少し晴れた気がした。
 雨が止んだなか、スノーボードのウエアを着て、自宅までの道をトボトボ帰る。すれ違う人全員にジロジロ見られてる気がした。恥ずかしくてフードを外せなかったから、余計に目立っていたのかもしれない。

 やっぱり、私って滑稽だ。
 でも、いつもと違う景色が見られた。雨はいつか止む。誰もが知っている、あたりまえのことだ。

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