はじまりの夜

いつものように、店のシャッターを開ける。
「クリスマスは、お店空けるんですか?」
これまで、いろんなお客さんに聞かれた。ひとりで過ごす夜が怖くて、保険をかけておきたいのかもしれない。
バーっていうのはそういう場所でいいと思う。寂しい時に、行けば誰かがいる。お客さんがゼロでも、少なくとも僕はいる。お客さんだから、基本的には拒否しない。そういう安心できる場所になればいいと思っている。

とはいえ、今日はクリスマス・イブ。やはりカップルが多い。ふたりで食事をした後、2件目はバーで語るんだろう。
うちの店はカウンターだけ10席くらいしかないけど(無理すれば12人くらい座れるけど)、ピークはカップルで埋まってしまった。ここでプレゼントを渡す人もいた。大切な時間をこの場所で過ごしてくれることは、とても嬉しい。

少し客が減ってきた頃、ひとり、店に入ってきた。
「こんばんは」
「ああ、いらっしゃい」
顔を覗かせたのは、トモちゃん。名字は知らない。トモコなのか、トモミなのかも知らない。だけど、いつ彼氏と別れて、いつ友だちとケンカしたか、そういうことだけ知っている。考えてみたら、不思議な関係。
「やっぱり、カップルばっかりですね」
スツールに座りながら、囁くように言う。
なんだかいつもよりおしゃれしているような気がする。まぶたの下に、白いハイライトを付けてるし、アイラインもいつもよりしっかりしてる。すこし長めのボブは、毛先をちゃんと巻いてある。服も初めて見る白いニットで、変わった形のハイネック。つまりトータルですごくかわいい。
たけど、単に今日は休みだから「化粧したて」ってだけなのかもしれない。服だって、休みだから会社に着ていくのとは違うんだろう。

「そういえば、休みの日に来るの珍しいんじゃない?」
「え、そうかな? そうだっけ?」
そうだよ。言葉に出さずにつぶやく。あまり気にしてないんだな。
「いつもの?」
「今日はせっかくだから、かわいいのにする。ブラッディマリーとか?」
クリスマスっぽく、赤ってことか。
クリスマスなのにひとりなの? いい感じだった彼はどうしたの? いろいろ聞きたいことはあるけど、聞くのはもう少し先かな。

「こんばんは」
「おお、いらっしゃい」
サトシだ。いよいよ彼女を連れて来てくれたのかと思ったら、ひとりだった。
「あれ、ひとり?」
「……ちょ、言わないでくださいよ」サトシはそう言うと、トモちゃんとひとつ席を挟んだ隣に座った。
「さっき、ここに入っていくのが見えたんだ」
トモちゃんとサトシは、何度か店で会ったことがある。僕がお互いを紹介してすぐに仲良くなり、話が弾んだ。
サトシは、僕が店を始めてすぐから通ってくれている客で、トモちゃんより古い。今日は付き合っている彼女と過ごすって言ってたんだけど。

「あれー? 彼女さんはー?」
「まあまあ、先に飲ませてよ」
サトシは、トモちゃんの質問もはぐらかす。
1組のカップルを除いて、客はトモちゃんとサトシだけ。僕らはいつものように3人でいろいろ話した。
サトシに酔いがまわるまでは、トモちゃんのターン。いい感じだった2つ年上の先輩は、忙しくなり連絡が途絶えてしまったらしい。
「仕事が忙しいからってLINEの連絡もままならないなんて。不器用だなって思ったら、憧れみたいなのも消えてきちゃって」
確かにもともと、仕事ができてカッコいいって言っていた。
「クリスマス前にどうしよう?って思ったけど、寂しければここに来ればいいやって思ったらどうでもよくなっちゃった」
そうそう、そんなやつ、吹っ切ってよかったじゃない。寂しいときはいつでも来ればいいよ。

「まあ、私の話はこれくらいで、そろそろ」トモちゃんはそう言って、サトシを見た。
サトシはハイボール2杯目を飲み終えるところだ。
「じゃあ、次の一杯が来たら話しますか」
「はいはい」僕は3杯目のオーダーを受けて、いつも通りハイボールを作る。
「トモちゃん、今日はなんかかわいいね」サトシが言う。
「え? 何ですかその取って付けたような」
「いやいや、いつもかわいいだろ」と、ハイボールを作りながら僕も参戦する。
「マスター、いいとこ取っていかないでよ」
あれ、サトシが言うには、なんだからしくないような。
「いいクリスマスだなあ」ほめられたトモちゃんが照れ隠しにふざける。
ある意味無責任に、女の子をいい気持ちにさせる。その後の責任はまず取れないけど、ほんのひととき幸せになってくれればいい。僕の役目ってそういうことなんじゃないかと思う。

サトシは、彼女と3年付き合ってたはずだ。そろそろいい歳だし、プロポーズしようかなんて話も聞いていた。僕はてっきり、クリスマスがその日だと思ってた。
サトシがぽつりぽつりと話し出す。やっぱり、プロポーズをするつもりだったらしい。
「だけど、ちょっと気になってることがあって、踏み切れなかったんだ。それを彼女に正直に話したんだけど」
サトシが一呼吸おいたところで、僕は他の客がこちらを気にしているのに気がついた。聞くと、2人とももう一杯飲みたいと言う。サトシたちの声が心なしか遠のき、僕は新しくカクテルを2杯作り始めた。

男女ともにもアラサーと思しきカップル。今日行ったフレンチレストランや、2人の簡単な関係。あとは家がこの店に近いとか、そんなことを話す。
サトシと話すトモちゃんを見ると、すごく嬉しそうにしている。照れ笑いにも見える。なぜか胸がザワっとする。サトシが彼女にプロポーズできなかったのは、トモちゃんが原因だったのかもしれない。考えすぎだろうか。
サトシは付き合っている彼女と長かったし、うちの店ではナンパめいたことをしたことはないし、僕が見る限り誠実な部類だ。トモちゃんは純粋そうだけど、サトシが彼女と別れたというなら大丈夫だと思える。

トモちゃんと、目が合う。
「マスター」と呼ばれる。僕は2人に近づいて行く。サトシの不服そうな顔。
「あの、私、口説かれてるみたいなんですけど」
「ちょっ」
「サトシさんって、信用できるんですかぁ?」
男の好意を、茶化す女の子。トモちゃんは意外と悪女なのかもしれない。サトシの気持ちに加えて、僕の気持ちも感づいているのか。
でも、僕はここで君を気持ちよくすることしかできない。ちゃんと責任が取れるのは、たぶんサトシなんだよ。
「サトシは微妙だからさ、僕がトモちゃん口説いていい?」
「うわ、うれしー」
「でも、今空いてるのは3番目なんだよね」
「は?」
「1番目と2番目の彼女は埋まってて」
「マスター、サイテー」笑いながらトモちゃんは言う。サトシに安堵の表情が見えた。
「はいはい、お邪魔でしたね」
僕は引き下がる。適度に楽しいくらいで、止めておくのがちょうどいい。

その後30分くらい経っただろうか。カップルは帰り、ほかに独り身の男性客が2人来ていた。僕はその男性客2人と、流行やスポーツなど、この一年を総括した気にさせてくれる話題に花を咲かせる。誰も傷つけず、罪がなく、くだらない話だ。

「じゃあ、俺はこれで」
サトシが立ち上がった。トモちゃんはそのまま。あれ、ひとりで帰るのか。
会計を済ますと、僕とトモちゃんに「じゃ」と軽く挨拶をして、何もなかったように帰っていった。
ちゃんと付き合うなら、その日にお持ち帰りなんてしない方がいいっていう判断なのか。

「デートの約束でもした?」
「うーん、誘われたけど、してない」
ふうん。詳しく聞きたいけど、ちょっと下世話だろうか。
「これからどうなるかなんて、わからないけど」トモちゃんが話しはじめる。「3番目からスタートしたって、いいんじゃないかなって」
「え?」
「さっきの話。3番目の彼女」
僕のこと? 僕と彼女じゃ生活のスタイルも違うし、本当にどうなるかわからない。
「ああ、1番目と2番目の彼女がいるってやつ? 冗談だよ」
「わかってますよ。マスターがそんなにモテるわけないじゃん」
トモちゃんはけろりと言ってのけた。この子は見た目よりずいぶん大人なんだな。

確かに、これからどうなるかなんてわからない。だからって、先のことばかり考えて大切なものをつかまえられないなんて、馬鹿げている。
今日はこの女性と一緒にいたい、仕事中だけど、それでいいんじゃないだろうか。
「僕はいつも、先のことを気にしすぎてしまう」
「それも、わかってましたよ。本気になれば、先のことなんてどうにでもなると思うけど」
「僕は、本気になるのが怖かったのかな」
「私の見込みでは、そう」

僕たちは、その夜ずっと話し込んだ。
他の客が誰もいなくなっても、ずっと。

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