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記事一覧

私のこと⑧-勉学編- LAST

大学への入学は簡潔まとめてましたが、
実際には、学科4割実技満点の特別?合格でした。

そんな私は教員の資格しか考えていなく、
必須授業以外は代席ばっかりで、ノートも友達のやつを丸写しするなど、授業料に見合わない姿勢を4年間貫いてました。

単位取れる=資格取れる
教える力=経験
以上の様な単純思考でした。

ただし、ダンスの授業があり4年間毎年再履修でした。

そんな中、時間がある時は
Yout

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私について⑦-大学バスケ編-

私について⑦-大学バスケ編-

大学に入学し
事前にSNS(mixi)でバスケ部入る人が誰か調べたり
どんなバスケ部なんだろうと意気揚々とバスケ部へ向かう

すると「おい一年、お前ら入部したかったら2週間見学しろ」と
謎の縛りがあり2週間見学した。
これは一般入試の人限定キャンペーンでした。

入部して即謎のいじりが入ったり
先輩にぶん殴られたり
新歓という飲み会で酔い潰れたり

「俺何しにこの部活に入ってんだろ?」

学べる練

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私について⑥-高校後編-

私について⑥-高校後編-

時は経ち
高校3年になり、将来何をするか・・・?そんな事を考えてました。

母の遺言の「体育教師」を本当にやるのか?
父みたくサラリーマンやって病気をもたせた会社を乗っ取るか?

自分は体育教師を選択しました。
理由は
・バスケットが生涯続けれる
・人の役に立てる
・公務員?のように稼げる(安定)
・母の遺言

やってもないのにもうやると決めて
自分が教員かの様に全ての行動言動、思考を自分が思う先

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私について⑤-高校後編-

私について⑤-高校後編-

高校二年になり、部員も11人増え
やっとバスケ部となりました。

普通に試合形式できた日は部室で泣いたのは今でも忘れないです。

あとは、地区制覇→県大会BEST8
これを2年で達成したら俺はプロになれる。
そう勘違いして日々鼓舞しました。

部長となってわかった事

勝つ為の練習
部の運営
個々の育成

本当に大変でした。
強豪チームにいたメンバーは居ないし、
調べようにもyoutubeなんてな

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私について④-高校前編-

私について④-高校前編-

高校への進学は全てが不安でした

母ちゃんの治療は?
バスケは?
大学な?
将来どうする?

とにかく勉強するしかない!
とにかくバスケするしかない!



バスケ部
部員5人!?

え!?三年生5人!?

二年生2人いるけど来ない!?

一年は俺だけ?

あー終わった。
素直に思ったけど、やるだけやって諦める事にしようと

同級生の身長高い人や他の部からスカウトしたけど
正直能力足らず、練習も

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私について③ 中学校-後編-

私について③ 中学校-後編-

自分の心を動かしたのは、バスケでした。
理由として、今になって思うのが
生産性のない事はしたくない。とにかくモテたい。
この2点の欲求が強くて、学校に戻りたいと思うように。

そして、何故学校に行きたくないかを親に吐露。

母:すぐに学校に相談しなきゃ!
父:ほう、よくグレなかったな。

対照的な親の想い
ですが、この辺りから父とはズレを感じる様になる。

その後私は3mm坊主にしてバスケ部に戻り

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私について① 幼少期

私について① 幼少期

興味ある方もない方も是非一読してほしい私について。

神奈川県出身湘南育ち

4人家族の姉がいる長男として、生真面目なやんちゃボーズで毎日近所を走り回ってました。

両親からは「〜しなければいけない」「常識」「あたりまえ」「こうしなさい」という言葉が中心な家庭でした。

母は亡くなる前(私が18歳まで)まで常にいろんな話を聞いてくれて第二者としての意見と寄り添いをしてくれた人でした。

父はメンタ

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はじめまして

はじめまして

私、ブログ始めました。

今までは、発信する事は常に直接会って、話をして、イメージしてもらう事までが発信と考えてました。

情報化社会で今はその発信の仕方は大切だけど、近年ではそうでもなく。もっと肩の力を抜いて<動画・写真・音声>など発信していく事が大切である。

そこで始めたのがこのブログ。

初回はなぜこのブログを始めたかと言うプロローグにしようと思う。

今も、ずっと前から「子ども達がワクワ

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