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私について③ 中学校-後編-

自分の心を動かしたのは、バスケでした。
理由として、今になって思うのが
生産性のない事はしたくない。とにかくモテたい。
この2点の欲求が強くて、学校に戻りたいと思うように。

そして、何故学校に行きたくないかを親に吐露。

母:すぐに学校に相談しなきゃ!
父:ほう、よくグレなかったな。

対照的な親の想い
ですが、この辺りから父とはズレを感じる様になる。

その後私は3mm坊主にしてバスケ部に戻り
とにかくふざけながら、楽しくやってました。

前までは俺が試合でなきゃつまらない

という思考から

え?俺大丈夫?え?ドリブル?
と意味不明なパニックを起こす様になる。

理由としては、
思考を深く考える癖がついてしまい。

思考は考え方を知らないと
"楽な方"他責"不安"へ流れる大変危険な行為である

そんな事があるとも知らず、
何事にもナゼ?と考える様になる

幸い、自分は早くにパンクしたので
何事もナゼ?と考えても、まあイイやと考える。

後に知ったのが私の家族にはその癖が多く
わかりやすく言えば自己完結型な思考であった事

そこら辺はまたブログ取り上げますが、
これだけは直らないしこりが今もある。

話は戻ってそこから
先輩が頑張ってる姿に涙したり、
初の恋愛があったりしましたが

部活もレギュラー取れたのにやる気ないとサボるという事を多々やり、剥奪され
最強のシックスマンを自負していたが、レギュラーじゃなきゃやる気にならないと変なプライドが働き

バスケの頑張り方がわからなくなりました。

でも同級生には負けたくないから毎日走って
トレーニングして高校では見返してやる!

そんな一心で高校受験へ

地元でバスケ強いって言っても
神奈川県で一回戦敗退するところばかり。

だったら中堅の学校で大学でもバスケできる環境を獲得しようと受験しようとしたら


母の入院
そしてステージ4の胃がん発覚。

余命2年

余命?
ん?何?

頭が空っぽになりました

結婚しても子どもは見せられない
バスケでプロになってもユニフォーム着てる姿は見せられない

とにかく頑張って幸せな姿を見せられない
1週間ただ何も考えず現実逃避して進路を決めて

県大会出場なし
地区大会一回戦敗退
偏差値…

ただ、唯一
交通費もかからず全て母ちゃんの治療費に回せる
高校を選び問題なく通過。

心身ガタガタな状態で
高校へ進学となる。


続く

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