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「その人の苦しみ」は分からない、けれど…。

人は誰しも、それぞれに「苦しみ」を抱えながら生きている。

いつも楽しそうにしている人にだって、他人からは見えず、そして理解が難しい「苦しみ」を持っていたりする。

他人にとっちゃあ、そんなものは「悩み」でもなんでもないものでも、その人にとっては相当の「苦しみ」だというものもある。

「人の苦しみ」というのはその人にしかわからない。

ある人の「苦しみ」は、その人しか感じることができないからだ。

オレも、大なり小なり「苦しみ」を抱えている。

(具体的にそれが何かというのはパッと思いつかないのであんまり深刻なものではないのだろうが)

苦しみに関してちょっとぼやいたり、悩みを吐露した時、周りの人はこう言う。


「大丈夫だよ」
「気にしないのがいいよ」


いや、大丈夫じゃないから言っているし、気になってしまうから愚痴っているのであって…。

ということで、人の苦しみは意外と理解してもらえないことが多いのだ。

しかしどうだろう、我々は同じ苦しみを抱えているわけではないが、それでも「苦しみ」自体は誰もが持っている。

であれば、完全に理解することはできなくても、その人の苦しみにちょっとは寄り添うことができるのはずだ。

「苦しみ」を知るものならば、どんなことが苦しいかはわからなくとも、「苦しいということ」は理解することができるだろう。

100%ではなくていい、1%だけでも理解していれば救われる人はいるかもしれない。

大丈夫だよ、気にしないほうがいいよ、などの無責任な言葉を吐く前に、その人の苦しみに耳を傾けてあげよう。

命というのは、こうも儚く散ってしまうものなのだから…。

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