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昔読んだ本(確認)

僕はあまり本を読まない、読んでいない…という事を再三書いていますが、
それでも過去に読んだ本というのはある訳で、
その中から最近確認したことがあるのでその話を一つ。

翻訳本って本当にそういう話で合ってるの?…という事を、約15年を経て
確認したその方法はAmazonで本をわざわざ買う…でしたけどね。


どうして両方買ったかというと、あ、日本語版は単行本の方ですけど、
表紙が全然記憶と違う、もっと黄色かシンプルな表紙だった気がする…
と思って、どの道こうして記事にするなりだと照合もしないといけないし、
恐らく30~40年経ってもこんなのに替わる本はそんなにないだろう…
という事でこの機会に買いました。

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大学の図書館だったので紛失かその防止の為に
元々表紙が外されていたのかもしれませんが、確かに黄色い本でした。
(雰囲気が合わないというのもある気もしますが。)

卒業論文に使った数少ない参考文献ですが、
ほぼ冒頭だけでよくて(あとは人間関係とか振る舞い等の観察なので)、
その辺りの原文を、どうも僕はまだしばらく使いそうなのでね、
確認しておくべきだと思った次第です。

洋書の方は軽い文庫サイズの発売当時4ドル以下(80年代)のもので、
中古で送料込み800円ぐらいなら、まあそんなものかな、と思います。
日本語版の方も送料が付くので600円ぐらいですね。

日本語では今回は書き控えるところですが、著者によると階級は
一般的には3つ、学者は好んで5つに分類するところを調査する間に
アメリカでは9つに分けられると考えた…という風になっていました。

トップと最下層は分かり易くこういう表現です。

ケタはずれで見えない…


日本においてどうだろう?…というのは別問題ですが、
或いは失われたうん十年、核家族化、無数のサブカルチャー、
将来の経済不安と情報格差によって今後そうなる可能性も
…少なからずある、既に陥っているという事も
意識しないだけで・・・ということも?...です。

まあ一番簡単なのは会話が合わない、続かないが一つの指標ですよ。
5分以上会話が続かない場合は
クラスが違うと思えば気が楽になるでしょう。

僕はインターネット上でよく見掛ける
コミュ障と自認する人々の半数はこういうケースではないかと見ています。

という訳でこの本は単に確認に持っているというだけで
今改めて読み直している訳でもなく、記憶も曖昧なので、
その言葉等を少し示して終わります。

アメリカの当時の(先行する)特殊なる事情、ワシントンDCの市民を見て…

Born to be slaves, and struggling to be lords.
                               Thomas Moore(1800s Irish poet)

もう一つありますがまた別の機会に使います。
しかし、これを原文直訳では・・・なのでやはり翻訳版が良いですね。

そこからほとんどリタイア、放棄してる側で言うのもなんですが、
これが資本主義社会の、或いは民主主義、平等社会に生きる多数の
避け難い問題であることは、例え今諦め気味でも諦め切れないから
こうして書き残してる部分もあると、一応思いたい所です。
・・・ま、思ったところで、ですが。

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他人の価値観や奮闘にそうケチをつけるものではないものの、
しかし合う合わない、馴染まないという事があるという事は
一応双方の理解として片隅に置いてほしいところです。


もし何かあれば報奨金として頂戴します。