#49【くらたの本棚】1-3 『ウィキッド』とともに読み解く『オズの魔法使い』(後編)
長らくお付き合いいただきありがとうございました!
『オズの魔法使い』読書メモ、ついに今日が最後です。
ペンペン草も生えないとか言ってかかしの考察甘かったなと反省しております。
今日は物語後半についてみていきます。
昨日と同じく、『ウィキッド』『オズの魔法使い』ともにネタバレ有りですのでご注意ください。
チステリー 翼を持ったさるたち
『ウィキッド』では、チステリーという名前の猿が出てきます。
オズに言われて猿に翼を生やす呪文を唱えるエルファバ。翼をもったチステリーと仲間の猿たちはオズに使役され、国中の言葉を持つ動物たちの弾圧の手先となります。
自分のしたことが動物弾圧の手助けになったことに苦しむエルファバは、オズのもとからチステリーたちを連れ出し、言葉を教えようとするのでした。しかし一度失った言葉を動物たちが取り戻すのは至難の業。
チステリーが言葉を話すのはエルファバがドロシーに消された後です。チステリーはグリンダにエルファバが遺した魔法の本を持たせ、どもりながら「グリンダさま」と語り掛ける。この、なんの思い入れもなかったみにくい猿にかしずかれた瞬間に、世にも美しく人々から愛される女王が誕生するシーンに、くらたは毎回号泣してしまいます。
「リンゴの木を揺するとオレンジを落としてくる。宇宙の報酬とはそういうものだ」(大意)とは『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』(ジュリア・キャメロン/サンマーク出版 サンマーク出版HPへリンク)での表現ですが、それを思い出します。
このエピソードのもとになった「翼を持ったさるたち」が、『オズの魔法使い』にも出てきます。「さるたち」ひらがななのかわいい。彼らは大活躍するものの、ただ魔法の帽子の業として能力を発揮するだけなので、『ウィキッド』ほどの感動はありません。
これをもとにしてあのすばらしいシーンを作り上げたのは、『ウィキッド』の功績です。
子どもはわかってくれない
内田樹さんの本に『子どもは判ってくれない』(内田樹/文春文庫 文春文庫HPへリンク)というタイトルがありましたが、まさにそれだなと思ったシーンがこちら。
そんなあ。
気持ちはわかるけど、「それ以下だよ」「ぺてん師だよ」とは手厳しい。
でもオズも「嬉しそうに」「私はぺてん師なんだ」と答えるあたり、只者ではありませんね。昔ながらの児童文学らしい、大人に対する絶大な信頼がある描写だと思います。子どもが何を言っても許される、これは児童文学で子どもが冒険をするうえで重要な要素なのかもしれません。
だって本物の大人は、「それ以下」だとか「ぺてん師」だとか言われたら、傷つくし怒ったりもしますから。
また、オズの描写ではこんな場面があります。
「ぺてん師」と言っていますが、彼はサンタクロースを演じる父親のようです。
かかしの知性
脳を欲しがるかかしには、ブラン(ふすま)を入れてやります。「ブレイン(脳)」「ブラン(ふすま)」「ブランニュー(新しい)な脳みそ」の洒落が効いていますね。
また、ピンや針なども混ぜることで、知性のもつ危うさ、するどさや攻撃性の比喩にもなっています。
かかしが考え事をすると、針やピンが突き出てきてしまう、というのも、脳みそをぎりぎりまで使うときの緊張感や疲労感をよく表しています。
また、下記のように、児童文学ながら、知性に関わって起こりがちなことが細かく描かれているのにも驚きです。ここで描かれている孤独は、人生の途中から、人為的に、ずば抜けて頭が良くなった人を描く『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス/ハヤカワ文庫 ハヤカワ書房HPへリンク)を想起させます。
それから、かかしが何かを言うたびに「脳みそを使って考えた」と周囲から言われます。下記のようなブリキのきこりとかかしのやりとりは、他意はないのでしょうが、大人が読むと、『ちびまる子ちゃん』の永沢君と藤木君っぽいおかしみがあります。
ブリキのきこり
オズは、きこりに中におがくずの詰まった絹でできたハートを授けます。きこりだからおがくずなのでしょうね。
ハートが「絹で包まれた(美しい・肌触りのいいもの)」「おがくず(きこりにまつわるもの・日常的なもの)」というのは、なんとなく、ちょっと背伸びした・美しいものを取り入れた・あるがままの素朴なもの、という感じで好感が持てます。
ライオン
オズはライオンに、四角い緑の壜の中身の液体を、美しい彫刻のほどこされた金緑色のお皿にそそいで飲ませます。なんとも怪しげですが、この場面ではみな緑色のメガネをかけているので、中身は緑ではないのかも。実はそこまで怪しいものではなさそうです。
このライオンのエピソードに似ている話を発見。くらたはこの話大好きです。
『ウィキッド』では、エルファバが母の形見として緑色の瓶を持っていますが、このライオンのエピソードからインスパイアされているのでしょう。
まとめ 勇者の帰還に寄せて
物語の王道と言えば、勇者の帰還、行きて帰りし物語。
『オズの魔法使い』も、その円環構造を踏襲しています。
ラストに近いこのシーンはとても美しいです。
一見遠回りでも、無駄なことなんてない。
他者と関わりあいになることは、多くの可能性を秘めている。
そこで起こることは「リンゴの木をゆすると、オレンジが落ちてくる」みたいなことである。
かかわりあうことで人は変化していく。
そのためには他者に心が開かれてあることが大切。
そして最後には別れを受け入れる必要がある。
『ウィキッド』でも同じメッセージが根底に伏流しています。
大学生のエルファバ、グリンダ、フィエロの三角関係と成長を通して、より大人向けに、感情豊かに描かれていきます。
日本人にとっては知ってはいるけれど体にしみこんでいるとまでは言えない『オズの魔法使い』。これを良く知ることで、『ウィキッド』を観た時に感じること、連想されること、ともに味わえることが深くなると思いました。
3回に分けて読んできた『ウィキッド』と『オズの魔法使い』をここに終わります。お付き合いくださった皆様、ありがとうございます。
今後は原作『オズの魔女記』(グレゴリー・マグワイア)にもチャレンジしてみたいと思います。(超分厚いので……でも映画公開までには読みたい)。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?