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私のなかのちいさな私に会いにいく(2) 正しく親を恨むことの必要性
「親を恨むだなんて、神様の祠を足で蹴飛ばすようなものだ。」
そう思っている人は、もしかしたら世の中には多いのかもしれない。
自分と親の関係性はある程度良好だし、恵まれた環境で育ったと思っている。不遇なことをされたこともあったけれど、それは自分を愛していたからしたことであり、親として当然の躾だった。と思っている人は案外多い。
親はいつだって感謝し、敬い、孝行すべき存在であるという感覚は、ほぼ異論
そのトゲを優しさで包みこめたなら。
人間誰しも、「攻撃された!」と思うと攻撃で返したくなるもの。
そういう意味で子どもとは、こちらの罪悪感や攻撃性のスイッチをなんの遠慮も無しにこれでもかというくらいポチポチと押してくる生き物だ。
感受性が豊かな傾向にある息子は、最近ちょっとしたことですぐにキレる。
きのうも幼稚園から帰った後に望んでいた市販のおやつが用意されておらず、そのことに対してものすごい勢いで怒りだした。私が用意していた手
怒られることへの耐性なんて一生つかなくていい/コントロールしなくてもいい人間関係を築くために
【Book Talk】最近なぜか体育会系人間に見られることが多いのだけど、バリバリの文化系人間である。
体育会系人間と文科系人間の違いは、他者からの抑圧や強要に耐えられる人間かどうかってところが大きいのだと思う。その最たるものが先輩後輩や上司部下といった上下関係で。
日本の文化はこのグローバルな世界において未だ他人の抑圧に耐えられる人間の方が偉いという無言の風潮があるし、それに耐えられない人は
「おつきさまの おかあさんは どこ?」
「おかあさん」という言葉に、子どもといういきものは無条件に安心感をもつものなんだろうか。
いつものように近所の温泉にむかう、もうとっぷりと日が暮れた夜道。
4才の息子を背中におんぶして歩く、家から車までのほんの数メートルの、夜のおさんぽ。
お風呂がないわが家は、毎日のように夜は近所の温泉に行く。
4才ともなるともうずっしりと重たくて、わたしの背中と腕は息子の身体でいっぱいだ。
見上げた空には
親から子への愛情より、子から親への愛情のほうがずっとおおきいのかもしれない
「だっこ だっこ かあちゃんだっこーーー」
こどもは抱っこがだいすき。
わが家のこどもたちは、どちらかを抱っこするとかならずもう片方も、「ワレもワレも!」と言わんばかりに抱っこをせがんでくる。
2才と4才、合計体重約30キロ。
2人まとめて抱っこすると、それはそれは重いのだけど、こんなに抱っこさせてもらえるのもきっと今だけだろうと、せがまれたときはできるだけ抱っこしてあげようと思っている。
NOと言えるすばらしさを
「きょうは ようちえん いかないよ。」
毎朝のようにその一言からはじまるわが家。
4才の息子は、2才の後半から約1年半の間、登園拒否をしていた。
そしていろいろ悩んだ末に、この5月から登園を再開している。
引っ越しをしたこともあり、いままでよりゆったりとした園に転園したものの、やはり『毎日幼稚園に行く』というリズム自体が本人にとって不服なようで、再開してからここまでほぼ毎朝「きょうは いか