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小説

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#書評

『波の上を駆ける女』 アレクサンドル・グリーン

『波の上を駆ける女』 アレクサンドル・グリーン

1925年、日本で言うと大正時代に書かれた幻想冒険小説だ。
作者のアレクサンドル・グリーンはロシアの貧しい家庭に生まれ、船乗りや鉱夫などの職業を転々とした後、地下抵抗活動に加わって3回も流刑に処せられたという。
その人生自体がひとつの物語になりそうなそんな作家が書いたこの小説はしかし、暗さや苦しさではなく、美しく詩的な幻想とロマンスに満ちた冒険物語だ。

物語は、港町に宿を取り病後の療養をしている

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『アメリカへようこそ』 マシュー・ベイカー

『アメリカへようこそ』 マシュー・ベイカー

とてもパワフルな短編集。
着想の多彩さ、ストーリーの面白さ、文章のバイタリティ、どれを取っても燃料満タンの、エネルギーに満ちた一冊だ。

想像の斜め上をいく想定は新鮮な驚きであり、ストーリーのあまりの予想のつかなさに夢中になってしまう。
一編ごと、どんな設定が現れるのかと期待しながら読み始めるのが楽しい。

人が精神を全てデジタル・データに変換して肉体からコンピューター・サーバーへと「変転」するこ

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『常盤団地の魔人』 佐藤厚志

『常盤団地の魔人』 佐藤厚志

題名に「団地」とつく本を見るとつい読んでみたくなる。
というわけで手に取ったこちらの本、濃厚な“団地感”と少年時代のわくわく感が余す所なく詰めこまれた美味なる一冊で、一気に読んでしまった。

*****

冒頭のこの記述から、常磐団地が位置する一帯の雰囲気がうかがわれる。
常磐団地はそこから想像される通りの、壁がひび割れ、老人やブルーカラーの住人が多く住む老朽化した団地だ。

三号棟に住む今野蓮は

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『娘について』 キム・ヘジン

『娘について』 キム・ヘジン

タイトルは『娘について』だが、母親についての小説だ。
主人公「私」は初老の寡婦。若い頃は教師だったが、今は自宅の2階を賃貸しつつ、老人介護施設で働いている。

彼女の家に対するこの独白からも分かる通り、「私」は、実態が明らかな確固たる物事を好む、常識的で勤勉な女性だ。そして、寄る年波に不安を感じ、世知辛い世間への不満を抱えてもいる。

そんな彼女の家に、30代の娘が身を寄せて来るところから物語が始

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『光を灯す男たち』 エマ・ストーネクス

『光を灯す男たち』 エマ・ストーネクス

アイリーン・モア灯台事件から着想を得て書かれたフィクションである本作は、全体にモノクロームな雰囲気が漂う、静かに張り詰めたサスペンス小説だ。

消えた3人の灯台守とその妻たちの独白を中心にして進む物語には、謎めいた言葉が散りばめられ、静かに進むミステリーが驚くべき結末に導いていく。

灯台守の鑑と言われる模範的な主任である、内省的なアーサー。
高圧的な父親に言われるがままに灯台守になるしかなかった

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『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート

『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート

悲しく救いのない終末小説。しかし、ここまで救いがないにも関わらずこんなにも美しく、穏やかに凪いだ読後感を与える小説が、他にあるだろうか。

物語の舞台設定は1963年。この小説の初版は1957年なので、近未来というよりも同時代を描いたフィクションだ。
60年代初頭に起きた第三次世界大戦で核戦争が勃発し、核爆弾によって地球の北半球は壊滅状態になった。
今は南半球に位置する国だけで、かろうじて人間が生

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『Q』 呉勝浩

『Q』 呉勝浩

とにかく文句なしに面白い。
660ページ超の分厚い本にも関わらず、本なんてほとんど読んだことない、という人にこそ勧めたくなってしまう。これを読んだらあなたも本の魅力に気づくはず、と。ハリーポッターをきっかけに読書好きになる、みたいなもので。

*****

町谷亜八(ハチ)は傷害で逮捕され、現在は執行猶予期間中。千葉県富津市にある祖父母のものだった家に一人で暮らし、弁護士から紹介された小さな清掃会

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『希望のかたわれ』 メヒティルト・ボルマン

『希望のかたわれ』 メヒティルト・ボルマン

オランダ国境に近いドイツの村。
農夫のレスマンが朝の作業をしていると、道を歩いてくる一人の少女の姿が目に入る。零下10度の寒空というのに、肩がむき出しの薄いドレス一枚だ。
何者かに追われているらしい少女をレスマンは家に助け入れる。

場面は変わり、ウクライナへ。
ここは、チェルノブイリ原発事故により汚染された立入禁止区域。
誰も住まないその土地に打ち捨てられた一軒の家に、ヴァレンティナという女性が

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『生は彼方に』 ミラン・クンデラ

『生は彼方に』 ミラン・クンデラ

この小説はミラン・クンデラがまだチェコにいた1960年代末に書かれた。しかし、自由化運動に加わっていた著者は自国では弾圧の対象になったため、小説はフランスの出版社から、フランス語版で出版されることになる。
その後フランスに亡命した著者が、著作のフランス語訳の全面的な見直し作業を行い、そうした見直しを経て1991年に「新訳」(および「決定版」)として出版されたもの(の日本語訳)が本書である。

本書

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『悪の誘惑』 ジェイムズ・ホッグ

『悪の誘惑』 ジェイムズ・ホッグ

2世紀も前のヨーロッパのゴシック小説など退屈だろうと思うなかれ。嘘のように引き込まれる作品だ。
読み始めたら止まらない面白さとは、本書の序文でもアンドレ・ジッドが熱を込めて述べているが、同時代人のジッドにあらずとも、読み出したら止まらなくなってしまう。

本作は三部構成になっており、1824年の発表当時からおよそ百年前に起きた出来事について書くという体裁になっている。

まず第一部では、ある兄弟の

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『ピュウ』 キャサリン・レイシー

『ピュウ』 キャサリン・レイシー

こんなに心に訴えかける本はなかなかない。とにかく読んでほしい一冊だ。

この物語の視点であり語り手は、ピュウと呼ばれる人物であり、これは、ピュウがある町に現れてからの一週間の物語である。

どこから来たのか分からない。人種も年齢も、性別も定かでない。何を聞いても一切言葉を発しない。そんな不思議な少年/少女が、ある町にある日突然姿を現し、住民たちは彼/彼女をピュウと呼ぶようになる。

ピュウ(pew

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『この闇と光』 服部まゆみ

『この闇と光』 服部まゆみ

エマ・ドナヒューの『部屋』。
角田光代の『八日目の蝉」。
どちらも、映画化ドラマ化されたものも合わせて素晴らしい作品だ(私は『八日目の蝉』はNHKで放映されたドラマ版が好きだ)。さらわれて戻ってきた子供という題材は、作家を刺激するのだろう。
だが本書で著者が創り出した物語は、その分野の中でもなかなかにユニークなものなのではないだろうか。
難しいことは考えず、巧みに紡がれた物語に翻弄される楽しみがこ

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『アトランティスのこころ』 スティーヴン・キング

『アトランティスのこころ』 スティーヴン・キング

1960年から現代までのアメリカを、いくつかの人生に乗せて描いた長編大作。読書の高揚感をかき立てる、上下巻組の大型本だ。

物語の幕開けは1960年、コネティカット州郊外の住宅地。11歳の少年ボビーは、母親と二人でつましく暮らしている。
ボビーには毎日つるんで遊ぶ気の合う友人がいて、恋人になりそうな女の子もいる。目下の関心事は、どうしても欲しい自転車を購入するために、お金を貯めること。
そしてもう

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『緋の城』 木崎さと子

『緋の城』 木崎さと子

とても怖い、そして言いようもなくセクシーな小説だ。
この物語には「女性」というものが万華鏡のように映し出されている。
母性と少女性。現実をさばくたくましさと妄想に浸る危うさ。頑なに理性的かと思えば本能的な心のブレにはしなやかに従う。
「わたし」は、そんな女性という性が持つ特質を体現しているかのようなヒロインだ。
そのさらけ出された女性性の暗い部分が怖く、そしてさらけ出されているというそのことに官能

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