asmblyuuki

Director of assemble.

asmblyuuki

Director of assemble.

記事一覧

世界という箱の中に - 石井岳龍『箱男』と赤瀬川原平『宇宙の罐詰』

私は基本的にレディメイドには反対の立場を取っているが、ひとつだけ好きな作品がある。それが赤瀬川原平の『宇宙の罐詰』である。カニ缶のラベルを内向きに貼っただけの作…

asmblyuuki
3週間前

止まっている、あるいは動いているフィルム - 『美と殺戮のすべて』『パリ、テキサス』

普通結びつかない2本の映画を立て続けに見ると、何らか共通点があったりする。今年公開されたナン・ゴールディンを追ったドキュメンタリー『美と殺戮のすべて』、1985年に…

asmblyuuki
2か月前
2

せずには居られない、しても埋まらない。- 『蛇の道』

復讐とはそういうものだ。すべてを燃やし尽くしても、その果てにあるのは目的の喪失だけ。やることが無くなってしまう。「本当に辛いのは終わらないことでしょう?」 黒沢…

asmblyuuki
3か月前
3

漂白された地続きの現実 - 『関心領域』

ラストシーンにハッとした。これは劇映画ではない。劇映画だと思い込もうとした自分がいた。すべて実際に起きたこと。そして今もそこに従事する者がいる。関心があるフリを…

asmblyuuki
4か月前
2

刹那の意味 - 『14歳の栞』

刹那とは仏教における時間の単位である。風が吹けば一瞬で過ぎ去ってしまう。一瞬で忘れてしまう。そんなかけがえのない時間を人は青春と呼び、それは刹那という単位になる…

asmblyuuki
4か月前
8

20年推し続けた、父親と同じ歳のミュージシャン - 菊地成孔と少しだけ大人になった自分のこと

先日、阪急梅田ホールで行なわれた菊地成孔とぺぺトルメントアスカラール20周年記念公演『香水』に参加してきた。このバンドを機にファンになったから、菊地成孔のファンを…

asmblyuuki
5か月前
4

ある日、悪夢を所有してしまったら - Roadsteadと黒沢清『Chime』

15000円を払って悪夢を所有した。 前回の記事で今年は黒沢清イヤーになるということ、その中でも新しいプラットフォームRoadsteadで展開される『Chime』が気になるという…

asmblyuuki
5か月前
3

それぞれの道義的呵責で作られた地獄 – 『オッペンハイマー』

道義的呵責というのは、結果に対してもたらされるものである。つまり事が行われた先にある後悔。もう結果は出ている。変えられない過去なのである。 2024年アカデミー賞を…

asmblyuuki
6か月前
2

境界線にある半透明の恐怖 - 黒沢清についての覚書

基本的にホラーが苦手である。音や映像でびっくりさせるジャンプスケアが主な原因なのだけれど、まあとにかく苦手である。 しかし、想像したことのある納得感のある恐怖は…

asmblyuuki
6か月前
8

芸術というタイムマシン - 『瞳をとじて』

31年。 ビクトル・エリセは長編を作るのにこの時間をかけた。今の自分には途方もない時間に思える。単純にその間どうやって暮らしていたのかも気になる。しかし、歳を重ね…

asmblyuuki
6か月前
1

歴史は誰かの悲しみで出来ている - 『ラストエンペラー』について

かつて奈良に住んでいたことがある。徒歩で平城宮跡に行ける距離で、あの広大な草原(としか言いようがなかった。まだ平城遷都祭もなかった頃だ)を、ただ時間をやり過ごす…

asmblyuuki
6か月前
2

この世界の見え方が違う、ということを許容できるのか - 『ボーはおそれている』について

多様性というある意味では平和、ある意味では心の機械化に関する言葉がある。先のポストで怒りについての話に触れたが、「怒ってはいけない」というやさしい暴力のように感…

asmblyuuki
6か月前
3

怒りについて - 『ヴェルクマイスター・ハーモニー』とキップ・ハンラハン

先週末はアップリンク京都に2日続けて居た。映画史的に重要だとされる2作を観るために、2時間半を捧げてきた。(ちなみにもうひとつの映画は『ラストエンペラー』だが、こ…

asmblyuuki
6か月前
2

公正でいることは難しい – 『哀れなるものたち』のこと

いちどフェミニストと口論になったことがある。 お互い酔っ払っていたし彼女も覚えていないだろうけど、主に仕事における男女平等の話だったと思う。彼女とはそれっきり会…

asmblyuuki
7か月前
2

最初で最後のゴダール

ゴダールには間に合わないことが多かった。 『ソシアリスム』『さらば、愛の言葉よ』『イメージの本』は新作公開で行けたはずだ。『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』のリ…

asmblyuuki
7か月前
2

気づいたら映画館ばかりにいた

自分としては珍しいことである。(ここを更新することも含めて) 昨今の4Kリマスターやリバイバル上映にまんまと乗せられて、気づいたら毎日のように映画館にいる。 1.『…

asmblyuuki
7か月前
4
世界という箱の中に - 石井岳龍『箱男』と赤瀬川原平『宇宙の罐詰』

世界という箱の中に - 石井岳龍『箱男』と赤瀬川原平『宇宙の罐詰』

私は基本的にレディメイドには反対の立場を取っているが、ひとつだけ好きな作品がある。それが赤瀬川原平の『宇宙の罐詰』である。カニ缶のラベルを内向きに貼っただけの作品だと言えるが、主体と客体を考えた瞬間にすべて腑に落ちる。あの瞬間が好きだし、それでこそアートだと思っている。まあ哲学の話なので、もちろん話そうじゃないか。箱をかぶったそこのあなたに言っている。

石井岳龍がとうとう安部公房の『箱男』を映像

もっとみる
止まっている、あるいは動いているフィルム - 『美と殺戮のすべて』『パリ、テキサス』

止まっている、あるいは動いているフィルム - 『美と殺戮のすべて』『パリ、テキサス』

普通結びつかない2本の映画を立て続けに見ると、何らか共通点があったりする。今年公開されたナン・ゴールディンを追ったドキュメンタリー『美と殺戮のすべて』、1985年に公開されたヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』を立て続けに見て、写真と映像、男のセンチメンタリズムから抜け出したくない様子と女のリアリズムから抜け出せない様子があり、そのふたつとも切なく美しい。その観点から散文を書いてみる。

孤独

もっとみる
せずには居られない、しても埋まらない。- 『蛇の道』

せずには居られない、しても埋まらない。- 『蛇の道』

復讐とはそういうものだ。すべてを燃やし尽くしても、その果てにあるのは目的の喪失だけ。やることが無くなってしまう。「本当に辛いのは終わらないことでしょう?」

黒沢清が『蛇の道』をセルフリメイクした。舞台はフランスで哀川翔のポジションは柴咲コウになる。冒頭に引用したニーチェの言葉を思い出し、もっと陰惨で残酷で空虚な「誰かの」復讐劇になるのだとゾクゾクした。

しかし。黒沢清が語る恐怖が今回も忍び寄る

もっとみる
漂白された地続きの現実 - 『関心領域』

漂白された地続きの現実 - 『関心領域』

ラストシーンにハッとした。これは劇映画ではない。劇映画だと思い込もうとした自分がいた。すべて実際に起きたこと。そして今もそこに従事する者がいる。関心があるフリをしていた自分がいることが明るみに出てきてしまう。

恐ろしいほど冷酷なカメラワークと地獄のような音響で展開される『関心領域』。誰でも観ることが出来るG判定の映画で、ここまで残酷なことを表現できるとは。もう観たくないが圧倒的に良かった。(もう

もっとみる
刹那の意味 - 『14歳の栞』

刹那の意味 - 『14歳の栞』

刹那とは仏教における時間の単位である。風が吹けば一瞬で過ぎ去ってしまう。一瞬で忘れてしまう。そんなかけがえのない時間を人は青春と呼び、それは刹那という単位になる。

35名分の刹那。それを丁寧に映したのが『14歳の栞』である。全員実名で出ているので、ソフト化や配信ができないらしい。興行としては厳しいだろうが、もう文化庁が運用しても良いだろうと思うほどに、日本にとって重要な作品だと断言できる。

3

もっとみる
20年推し続けた、父親と同じ歳のミュージシャン - 菊地成孔と少しだけ大人になった自分のこと

20年推し続けた、父親と同じ歳のミュージシャン - 菊地成孔と少しだけ大人になった自分のこと

先日、阪急梅田ホールで行なわれた菊地成孔とぺぺトルメントアスカラール20周年記念公演『香水』に参加してきた。このバンドを機にファンになったから、菊地成孔のファンを始めて20年経ったことになる。20年いろいろあったので、これを機に菊地成孔との出会いを振り返ってみる。まだ「推し」なんて概念も、スマホすらなかった時代の話である。

2005年当時私は高校生で、デザイン科に通い、Thee Michelle

もっとみる
ある日、悪夢を所有してしまったら - Roadsteadと黒沢清『Chime』

ある日、悪夢を所有してしまったら - Roadsteadと黒沢清『Chime』

15000円を払って悪夢を所有した。

前回の記事で今年は黒沢清イヤーになるということ、その中でも新しいプラットフォームRoadsteadで展開される『Chime』が気になるということを書いた。4月12日に無事発売となり、先日購入した。

たった45分に3大怖いものを詰め込んだという触れ込みと、ワタシがジャンプスケアが怖いので劇場で観れないということ、観る覚悟ができたとしても劇場公開は夏以降になる

もっとみる
それぞれの道義的呵責で作られた地獄 – 『オッペンハイマー』

それぞれの道義的呵責で作られた地獄 – 『オッペンハイマー』

道義的呵責というのは、結果に対してもたらされるものである。つまり事が行われた先にある後悔。もう結果は出ている。変えられない過去なのである。

2024年アカデミー賞を根こそぎ受賞していった『オッペンハイマー』を観た。日本における公開が難しかった本作であるが、確かに日本人としてみた場合は、ゾッとするような描写や怒りを覚えるセリフも登場する。史実だからどうしようもないし、この先も公開されなかったという

もっとみる
境界線にある半透明の恐怖 - 黒沢清についての覚書

境界線にある半透明の恐怖 - 黒沢清についての覚書

基本的にホラーが苦手である。音や映像でびっくりさせるジャンプスケアが主な原因なのだけれど、まあとにかく苦手である。

しかし、想像したことのある納得感のある恐怖は何となく分かる。それが構図や美術、ロケ地などがバシッとハマっていて美しいなら、むしろ見たくなってしまう。その監督が黒沢清である。

最初に見たのは『回路』か『アカルイミライ』だったと思う。存在しているかしていないかの境界線のような物体や人

もっとみる
芸術というタイムマシン - 『瞳をとじて』

芸術というタイムマシン - 『瞳をとじて』

31年。

ビクトル・エリセは長編を作るのにこの時間をかけた。今の自分には途方もない時間に思える。単純にその間どうやって暮らしていたのかも気になる。しかし、歳を重ねるごとに1年が加速度的に早くなっていることに気づく。彼にとってあっという間だったのだろうか。そう思いながら鑑賞した。

結論から言うとこの時間は必要だったように思う。物語が持つ静謐な余白と記憶について。贅沢な169分だった。歳を取るとい

もっとみる
歴史は誰かの悲しみで出来ている - 『ラストエンペラー』について

歴史は誰かの悲しみで出来ている - 『ラストエンペラー』について

かつて奈良に住んでいたことがある。徒歩で平城宮跡に行ける距離で、あの広大な草原(としか言いようがなかった。まだ平城遷都祭もなかった頃だ)を、ただ時間をやり過ごすためだけに使っていた。住まわせてくれた祖父母も亡くなり、家は売りに出され、とっくに別の誰かのものになっている。

もう誰も住んでいない、ただの広い空間。ラストエンペラーの最後の紫禁城は、まさにその空虚な空間であった。不自然で、美しく、切ない

もっとみる
この世界の見え方が違う、ということを許容できるのか - 『ボーはおそれている』について

この世界の見え方が違う、ということを許容できるのか - 『ボーはおそれている』について

多様性というある意味では平和、ある意味では心の機械化に関する言葉がある。先のポストで怒りについての話に触れたが、「怒ってはいけない」というやさしい暴力のように感じる。

もちろん生きる権利は誰にでもある。主張する権利も。だけど、差別する感情は差別されて良いことになっている。多様性の中では忌避されるべきものに勝手になっている。差別は良くない。良くないが人間とはそもそも、そういった感情を持っているはず

もっとみる
怒りについて - 『ヴェルクマイスター・ハーモニー』とキップ・ハンラハン

怒りについて - 『ヴェルクマイスター・ハーモニー』とキップ・ハンラハン

先週末はアップリンク京都に2日続けて居た。映画史的に重要だとされる2作を観るために、2時間半を捧げてきた。(ちなみにもうひとつの映画は『ラストエンペラー』だが、これはまた別の投稿にする)

『ヴェルクマイスター・ハーモニー』を監督したのは、ハンガリーの名監督タル・ベーラである。7時間の叙事詩『サタンタンゴ』の次に撮った作品で、なんと2000年の作品である。全然見えない。もっと遥か昔の作品に見える。

もっとみる
公正でいることは難しい – 『哀れなるものたち』のこと

公正でいることは難しい – 『哀れなるものたち』のこと

いちどフェミニストと口論になったことがある。
お互い酔っ払っていたし彼女も覚えていないだろうけど、主に仕事における男女平等の話だったと思う。彼女とはそれっきり会っていないが元気でいるのだろうか。

社会は昭和のシステムで出来ている。それを令和に急激にアップデートすると負荷が生じるから、いまは平成を少しずつ辿っているような感覚だ。それを引き合いに出生率が下がったりするからやっぱりダメだという論調があ

もっとみる
最初で最後のゴダール

最初で最後のゴダール

ゴダールには間に合わないことが多かった。
『ソシアリスム』『さらば、愛の言葉よ』『イメージの本』は新作公開で行けたはずだ。『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』のリマスターも間に合ったはずだ。でも行かなかった。

だから今作が最初で最後の新作で間に合った作品になる。

近年3時間超えが話題にもならないくらい長時間化する映画界で20分の大作。公開初日の1回目、最前列で観てきた。自分にとってゴダール作品は

もっとみる
気づいたら映画館ばかりにいた

気づいたら映画館ばかりにいた

自分としては珍しいことである。(ここを更新することも含めて)
昨今の4Kリマスターやリバイバル上映にまんまと乗せられて、気づいたら毎日のように映画館にいる。

1.『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991年/129分/ジム・ジャームッシュ監督/リバイバル上映)
2.『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』(1984年/89分/ジョナサン・デミ監督/リバイバル上映/京都シネマ, TOHOシネ

もっとみる